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GAFAが率先する「万人がデータで管理される」現実。複雑なことの拒絶がコロナ禍招く

セカチューの片山恭一・オリジナルエッセイ

何年か前にメディアで、ITと金融を組み合わせた「ファンテック」のことが紹介されていた。中国のIT大手アリババがAIを使って、スマホ決済の利用情報、車や家などの保有資産、学歴などから個人の「信用スコア」をはじき出し、スコアが高いほど優待されるというサービスをはじめているとか、ソフトバンクとみずほ銀行が共同出資した会社が、個人情報をもとに信用力を点数化して融資する「スコア・レンディング」を本格的に展開するといった内容だった。

加入者に端末を貸し出し、一日平均8000歩の目標が達成されると二年後に保険の一部が還付される「あるく保険」や、約160万人の健康診断結果などのビッグデータを分析して、血圧や尿検査などの検診結果から加入者の「健康年齢」を割り出し、実年齢より健康年齢が若いほど保険料が安くなる保険なども紹介されていた。

こうした延長上に今回のコロナ禍があるように思う。つまり心身の状態も含めて生活のすべてがデータとして管理されるということだ。近い将来現実になるはずだったことがコロナによって加速し、5年か10年か前倒しで進行しているということではないだろうか。

もう一つ、コロナのおかげで浮かび上がってきたことは、世界全体が非常にわかりやすくなっているということである。誰にでも容易に理解できること、簡単に操作できるものだけが世界の内容になろうとしている。世界がスマホ仕様になっている、幼稚園化していると言ってもいいと思う。

たとえば電子レンジで一分間チンすればお燗がつくというのは誰でもわかる。チンパンジーにもわかるかもしれない。このわかりやすさに説得されてしまう。だからスマホは人類規模で広がった。スマホは汎用性のある電子レンジみたいなもので、スクリーン上のアイコンをクリックするだけで、映画を観たり、音楽を聴いたり、ゲームで遊んだり、電話をかけたりできる。

もう一つわかりやすいのは貨幣だろう。「1+1=2」は子どもにもわかる。だからやっぱり世界中に広がって人類を統率してしまった。新型コロナ・ウイルスについて感染症の専門家が言っていることも、マスクを着けましょうとか、三密を避けましょうとか、とてもわかりやすい。だからテクノロジーや貨幣のように流通するのだろう。それこそインターネットによって瞬時に世界中に広まり、いまや貨幣やスマホと同様に人類を統率してしまった観がある。

生活することが非常に簡単になって、極端に言えば、スマホさえ操作できれば暮らしていけるようになっている。幼稚園児にもできることが世界の仕様になっている。その裏で進行していることは、万人がデータとして管理されるという現実である。これらをぼくは「1+1=2」の世界と呼びたいと思う。

「1+1=2」は誰でも容易に理解できる。そしてAIのアルゴリズムも「1+1=2」でできている。0と1という二種類の記号を使ってあらゆる計算を行う。瞬時のインターネット検索も、裏で行われていることは膨大な整数計算であり、その点はチューリング・マシンから何も変わっていない。

AIを使って「1+1=2」だけで世界をアレンジする、というのが目下、GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)やBAT(バイドゥ、アリババ、テンセント)といったIT企業が先陣を切ってやっていることだ。そうやって構築されようとしている世界が、いとも簡単にウイルスに感染してしまったということだと思う。

コロナ文脈でいうと、「人から人へウイルスが広がっている」とか「ウイルスをうつされると病気になる」といった、誰でも容易に理解できることだけが流通している。少し考えればわかるように、ぼくたちは一人ひとりが個別に花粉症だったり蕎麦アレルギーだったり、なんともなかったりする。それらを均質な感染予備軍として見るのが現行のコロナ対策である。こんな馬鹿げたことはない、とぼくなどは思うのだが、「馬鹿げている」と言う人はあまりいないようだ。多くの人たちが「1+1=2」レベルの説明を受け入れている。なぜだろう?

ぼくたちが幼稚園児並みの世界仕様に馴れつつあるということではないだろうか。マスク着用にしてもワクチン接種にしても、ただ黙って従っていればいい。考える必要のないことは容易に広がる。一方、自分で考えて判断するといった要素が入ると、途端に流れが悪くなってしまう。面倒くさいことは最初から受け付けない。スマホを操作するよりも複雑なことは拒絶する。そうした不寛容さというか融通の利かなさが、今回のコロナ禍の最大の要因かもしれない。

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