東日本大震災のガレキ処理経験、豪雨被災の廃棄物処理に継承される
東日本大震災からの復興を全国の中小企業が支援した。リサイクル業のリマテックホールディングス(大阪府岸和田市)もその1社で、岩手県の大船渡市と陸前高田市の震災がれき処理に協力した。従業員150人規模の同社だが、県内でも大量だった2市のがれき処理を3年で完遂した。その経験は、多発する豪雨災害で発生した廃棄物処理にも継承されている。
「異様な緊張感があった」。リマテックに残る資料に記録された社員の回想だ。その社員は2011年4月19日、大阪府から岩手県に入った。到着した事務所はがれき処理の準備で殺気立っており、社員は「大きなプロジェクトに参加した使命感があった」と記している。
「岩手には世話になっている。とにかく動こう」。3月11日の震災発生直後、大阪府内にいたリマテックの田中靖訓社長(当時副社長)は突き動かされた。同社は岩手・青森県境の産業廃棄物処理の関連業務に携わっていた。大船渡市には取引先の太平洋セメントの工場もある。阪神淡路大震災のがれき処理の経験を生かす時だと思い3月15日、田中社長は現地に急行した。
到着直後から被災地を回り、4月上旬には大船渡市の廃棄物発生量を推定し、仮置き場の候補地を調べた。「阪神淡路大震災では渋滞して機能しなかった仮置き場があった。大型車の走行経路も検討して仮置き場を選んだ」という。
がれきを素材別に選別して粉砕する詳細な工程表も策定。5月中旬、地元の建設業者に選別の指導を始めた。現地の協力が不可欠だが、大阪の会社が仕事を奪いに来たと思われると作業は進まない。「市役所の方が自分たちを処理のプロとして紹介してくれたので、ありがたかった」と感謝する。また「地元ではできない仕事だけをやる姿勢も明確にした」ことで信頼を得た。
作業が本格化すると機械1台や時間当たりの処理実績を収集し、課題を見つけては解消した。「必要最低限の重機で早く処理を終えるために日々、PDCA(計画・実行・評価・改善)サイクルを回していた」と当時を思い出す。
リマテックは最大時40―50人の社員を岩手に投入した。全社員の3分の1を派遣できたのは、平時からあえて余剰人員を抱えていたからだ。社員教育にかける余裕を生むためで、この人材育成の方針が非常時に発揮された。他にもスピード感、緻密な計画、日々の業務改善が奏功し、がれき処理事業を遂行できた。
いま、豪雨災害の被災地から支援要請が来るようになった。田中社長は「ノウハウをすべて現地に置いてくるように社員に言っている」と強調する。次の災害発生時は地元主導で廃棄物を処理してほしいからだ。がれき処理費が地元企業の収入になれば、地域経済の復興が早まる。
自然災害が多発しており、どの地域も被災地になる可能性がある。地元企業は復興支援の経験を蓄積し、次の災害時に生かせるようにしておくと、レジリエンス(復元力)のある地域づくりに貢献できる。