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【三菱150年】世界市場で戦うには「強いものをより強く」

#4 三菱電機特別顧問・野間口有氏
―ご自身と三菱創業家の精神とのつながりは。

「入社時の新人研修で三菱グループの講話を受け、そこで岩崎家や三菱グループの理念である『三綱領』の精神を学んだ。三つの視点で近代日本をけん引してきた企業集団であることを知り、大変うれしく感じた」

―1923年の三菱電機と米ウェスチングハウス(W社)との提携が三菱グループ企業と外国企業との初の本格的な提携でした。創業家4代目岩崎小弥太の意向もあり長く関係が続きました。

「W社には非常にお世話になった。太平洋戦争で提携関係は事実上解消となるが戦後復活した。(岩崎小弥太の意向を受け)当社はW社への信義を重んじ、戦争で日米の国交が断絶した時期にも、戦後の混乱が収まった時を見据えてW社に支払うべき対価を蓄えていた。私はこの話を当社の特許の歴史をつづった冊子で知った」

 「その後、私が社長に就任して早々に、米ピッツバーグにあるW社との合弁会社に訪問した時、現地の中堅マネージャーから同じ話を聞いた。彼は自分の祖父と父がW社で働き、三菱電機が義理堅い会社だと聞かされ、三菱電機の関係会社で働けることに誇りを感じていると話した。大変うれしく思ったことを覚えている」

―業績が厳しい中で2002年に社長に就任し、「強いものをより強く」との方針で業績回復を導きました。創業家精神との関わりはありますか。

「あえて言えば三綱領の一つ『立業貿易』(全世界的、宇宙的視野に立脚した事業展開を図るの意)だ。お客さまと会話をすると、当社の製品やサービスを高く評価いただいており、まだまだ良いものがたくさんあることにあらためて気づかされた。この良さを武器にグローバルに存在感を高め、世界市場で戦っていくために、当時の経営企画室スタッフの意見も踏まえ、『強いものをより強く』というスローガンを打ち出した」

―三菱グループ企業間の関係をどう見ていますか。

「戦前は財閥としてコングロマリットで事業を進めてきたと考えるが、戦後に財閥が解体された。幸いその時には各社成長し、ある程度『大人』として自立できていた。今は親を同じくするグループとしての親近感はあるが、制約はなく完全にビジネスライクな付き合いだ。例えば発電事業で三菱重工業や三菱商事と、宇宙事業で三菱重工と連携しているが、三菱グループ企業であることは一切関係なく大人同士が互いをふさわしい相手だと判断したからだ。大人になってからは、是々非々で取引を判断していると思う」(次回は11月上旬掲載)

日刊工業新聞2020年10月23日

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