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ファナック創業者・稲葉清右衛門氏死去、日本のお家芸支えた世界との向き合い方

対等に力を出し合える同士の協力こそが永続し、実を結ぶ
ファナック創業者・稲葉清右衛門氏死去、日本のお家芸支えた世界との向き合い方

富士通ファナック社長時代(1978年8月21日撮影)

ファナックの実質的創業者で名誉会長の稲葉清右衛門(いなば・せいうえもん)氏が2日、老衰のため死去した。95歳だった。茨城県出身。1946年(昭21)に東京帝国大学(現東京大学)第二工学部精密工学科を卒業し、同年富士通信機製造(現富士通)に入社した。同社で数値制御(NC)装置の開発プロジェクトをリーダーとして先導し、56年に日本における民間初のNC装置を完成させた。

NC装置事業は、72年に「富士通ファナック」(現ファナック)として富士通から分離。清右衛門氏は75年に社長に就任し、NC装置からロボットや工作機械へと業容を広げた。NC、ロボットともに高い世界シェアを持ち、製造業としては極めて高い利益水準を誇る企業に育て上げた。95年に会長、2000年には名誉会長に就任した。

技術者としての評価も高く、東京工業大学で工学博士を取得。精密工学会会長のほか、日本ロボット工業会の会長は2回にわたり務めた。工場自動化(FA)や産業用ロボットに関する企業や大学の研究者を表彰する「FA財団」を創設するなど学術・産業の発展に大きく寄与した。長男の善治会長は「ファナックを世界最大のNCとロボットのメーカーに育て上げた」と功績をたたえた。

NC装置とロボットをけん引

日本の工作機械は技術、シェアともに世界で圧倒的な存在感を示している。部材を精巧かつ最適に組み合わせるすり合わせ技術や素材加工、表面処理、構造分析などさまざまな要素技術があるが、工作機械を一気に高度化し、日本の「お家芸」である高精度加工を支えたのが「頭脳」である数値制御(NC)装置だ。

NC開発は、日本の工作機械産業にとってエポックメーキングな出来事だった。NC時代の夜明けは約70年前までさかのぼる。開発に最初に乗り出したのは米国。戦闘機やミサイルといった軍需品の部品加工技術の向上が目的だった。1951年、米マサチューセッツ工科大学(MIT)が世界初のNC装置開発に成功した。

当時の日本は大学レベルでの研究がようやく始まった段階。企業はどこも手がけない中、富士通信機製造(現富士通)に所属していた稲葉清右衛門氏をリーダーとするプロジェクトチームが国産NC装置の開発を始めた。

「開発はMITの技術論文を取り寄せるところからという手探りでのスタート」(稲葉氏)だったが、56年に試作NC装置を搭載したタレットパンチプレスを完成。2年後の58年には「事実上のNC初号機」(同)となる国産NCフライス盤を牧野竪フライス製作所(現牧野フライス製作所)と共同開発した。このNCフライス盤は同年の日本国際見本市(大阪見本市)に出展され、日本のNC時代の幕開けを内外に印象付けた。

73年の第一次石油ショック以降、省エネルギー化や合理化に対するニーズを受け、NC工作機械は普及期に入った。日本の工作機械総生産額に占めるNC化率は70年の時点で1割に満たなかったが、81年には過半の51・0%に達した。

NC化の波は町工場にも押し寄せた。NC工作機械は、使い方さえマスターすれば現場経験の浅い若手や女性でも扱える。マニュアル(手動)式工作機械は1台につき1人の熟練工を必要としたが、NC工作機械の登場で1人が多台持ちできるようになり、生産性が飛躍的に向上した。腕一本で生きてきた熟練工に「黒船」「異星人」と形容されるほどのインパクトをNC工作機械は生み出した。

コンピューター技術が進歩し、NCはコンピューター数値制御(CNC)に進化した。CAD/CAM(コンピューター利用設計・製造)と連携し「1種量産」から「複数種中量生産」、そして「変種変量生産」への対応を可能にした。

好調の波に乗り、日本の工作機械生産額は85年に1兆円の大台を突破。一方、日本が躍進するにつれて、諸外国からの風当たりも強まることとなる。

日本製の中・小型NC工作機械が米国市場でシェア7割前後を占める状況を危惧した米国は「工作機械の輸入が増えると国防を脅かしかねない」として86年5月、対米主要輸出国に輸出自主規制を求める大統領声明を発表した。日米政府間の協議の結果、翌87年1月1日からNC旋盤やMCなど6機種について対米輸出数量自主規制(VRA)を実施。このVRAは93年12月末まで7年間続き、日本メーカーを苦しめた。

一方で貿易摩擦は、日本メーカーによる海外現地生産、技術・販売両面での海外メーカーとの連携といった「グローバル展開」を加速させた。結果的に日本は82年から2008年までの27年間、工作機械生産高で世界首位を維持。足元は米中貿易摩擦の長期化や新型コロナウイルス感染症の影響で低迷しているものの、18年には受注高ベースで1兆8157億円を記録し、2年連続で過去最高を更新した。

中国をはじめとした新興国の工作機械メーカーが力を付ける中でも、日本の工作機械に対する信頼や期待は依然として強い。日本の工作機械のNC化率は07年に90%の大台に到達し、今も機械加工の高付加価値化を支えている。

工作機械のNC化や生産現場の自動化の進展を先導しつつ、成長してきたのがファナックだ。1972年、富士通は高収益部門に成長したNC部門のさらなる飛躍に向け、同部門を本体から分離・独立させることを決めた。「富士通ファナック」(82年にファナックに社名変更)の誕生だ。だがNC専門メーカーとしてスタートを切った翌年、第一次石油ショックの難関に直面することとなる。

同社のNCの躍進を支えた技術の一つに、独自に開発した「電気・油圧パルスモーター」がある。電気パルスモーターのトルクを油圧モーターで増幅する仕組みだ。しかし石油ショックで、油を使う電気・油圧パルスモーターへの不安が広がりだした。

稲葉氏はこの技術を「捨てる」決断をした。油を使わない電気サーボモーターの導入に向け、同モーターの技術を持つ米ゲティスとライセンス契約を締結。74年に同モーターを完成させた。「自ら開発した技術に見切りを付けるのは大変な勇気が必要だったが、この決断がなければ今日の当社はなかった」。稲葉氏は2011年11月の日刊工業新聞のインタビューでこう振り返っている。

NC技術を応用した次の主力商品として開発を進めたのが産業用ロボットだった。77年に「ロボット―モデル1」の量産を開始。その後も、力センサーや視覚センサーを備え複雑な組み立て作業にも対応する「知能ロボット」、ロボット自らが振動を抑えて俊敏な動作を実現する学習機能を備えた「学習ロボット」などで市場をけん引した。最近では人と協調して働く「協働ロボット」も投入した。

さらに小型切削加工機や電動射出成形機、ワイヤカット放電加工機、超精密加工機といった「ロボマシン」事業にも注力。ロボマシン部門は、CNCやレーザーを含むFA(工場自動化)部門、ロボット部門と並ぶ事業の柱となった。

80年代以降のファナックの世界戦略を支えたのが海外大手との合弁事業だ。82年に米ゼネラル・モーターズ(GM)との間でロボット事業の合弁会社「GMファナックロボティクス」(米ミシガン州)を設立。欧米でのシェアを拡大した。また86年には米ゼネラル・エレクトリック(GE)とFA分野の合弁会社「GEファナックオートメーション」(米バージニア州)を設立し、欧米でNC装置を拡販した。

GM、GEとの合弁事業で稲葉氏が貫いたのが「完全平等」の原則だ。両合弁会社とも出資比率は50対50。稲葉氏は著書『黄色いロボット』で「対等に力を出し合える同士の協力こそが永続し、実を結ぶ」と強調している。GM、GEとの合弁は既に解消したが、こうした合弁事業がファナックの世界戦略をけん引したのは間違いない。

日刊工業新聞2020年10月7日

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