ニッポン石油産業の基礎を築いた大蔵官僚
現JXホールディングス“中興の祖”橋本圭三郎
わが国の石油産業の基礎を確立し、外資系に対抗し得る”日の丸石油“を作り上げたのが橋本圭三郎だ。日本石油(現JXホールディングス)の”中興の祖“として、石油業界の成長を主導した。
大蔵事務次官を経て、貴族院議員を務めていた橋本は1916年、日本石油とともに、わが国の2大石油会社であった宝田石油の社長に就任する。当時と言えば、スタンダード・オイルなどの欧米企業が世界を席巻し、日本市場も外資系の攻勢にさらされていた。欧米企業の草刈り場になってしまうという危機感を抱いた橋本は、国内再編による対抗策に打って出る。
それが日本石油との大合併だ。合併でガリバーを作りだし、外資と対抗する。しかし、合併の最大の障害になるのは人事。特にトップ人事をめぐっては、主導権争いが過熱し、時として合併そのものが頓挫するケースもあるが、橋本は社長の座を日本石油の内藤久寛に渡し、自身は副社長に甘んじる。合併を最優先した英断である。
その後、橋本は第2代の日本石油社長、東亜燃料工業、帝国石油の社長を歴任するなど、わが国の石油産業の基礎を築く一方、政府に対しても石油政策の推進を強く要求。31年にはこんな報告書を発表している。
「確固たる石油政策を持たない列強はわが国だけだ。石油政策確立の急に迫られている」。日本のエネルギーの将来を俯瞰(ふかん)した経済人である。
(敬称略)
※日刊工業新聞で毎週金曜日に「近代日本の産業人」を連載中
大蔵事務次官を経て、貴族院議員を務めていた橋本は1916年、日本石油とともに、わが国の2大石油会社であった宝田石油の社長に就任する。当時と言えば、スタンダード・オイルなどの欧米企業が世界を席巻し、日本市場も外資系の攻勢にさらされていた。欧米企業の草刈り場になってしまうという危機感を抱いた橋本は、国内再編による対抗策に打って出る。
それが日本石油との大合併だ。合併でガリバーを作りだし、外資と対抗する。しかし、合併の最大の障害になるのは人事。特にトップ人事をめぐっては、主導権争いが過熱し、時として合併そのものが頓挫するケースもあるが、橋本は社長の座を日本石油の内藤久寛に渡し、自身は副社長に甘んじる。合併を最優先した英断である。
その後、橋本は第2代の日本石油社長、東亜燃料工業、帝国石油の社長を歴任するなど、わが国の石油産業の基礎を築く一方、政府に対しても石油政策の推進を強く要求。31年にはこんな報告書を発表している。
「確固たる石油政策を持たない列強はわが国だけだ。石油政策確立の急に迫られている」。日本のエネルギーの将来を俯瞰(ふかん)した経済人である。
(敬称略)
※日刊工業新聞で毎週金曜日に「近代日本の産業人」を連載中
日刊工業新聞2015年10月16日 4面