「面白くないことを、ニコニコ顔で伝えるなんてイヤ」女子アナ時代の丸川大臣
環境から五輪へ。小池新都知事との関係は?
8月3日の内閣改造で環境相から五輪担当相に横滑りした丸川珠代さんの11年前のインタビュー。
いわゆる「あこがれの職業」の中でも、女子アナウンサーは最難関のひとつに違いない。何百倍もの倍率を勝ち抜いた彼女たちは、社員の身分でありながら華やかなスポットライトを浴びる。若くして去っていくことも少なくない。その中にあって、テレビ朝日の丸川珠代さんはやや変わったキャリアを築いていると言えるかも知れない。経済問題などの報道メディアに強い関心を示す彼女は、女子アナの枠を踏み越えようとしているように見える。
【チームプレー】
「ああ、好きなお洋服を着ちゃいけないんだ」―。テレビ受像機の向こうの世界は、新人の局アナにとって驚きと楽しさの連続だった。最も意外だったのは「個性をアピールする仕事だと思っていたのに、チームプレーだったこと」。洋服から話題の選択まで”視聴者が求めること“に従って細かく指示された。
がむしゃらに仕事をこなしながら、丸川さんには違和感があったという。「かわいくておしゃべりの上手な子はたくさんいる。自分が面白くないことを、ニコニコ顔で伝えるなんて私はイヤだ」。ならば何か別のことを身につけなければ、この世界では生きていけないと思っていた。
【お笑い開眼】
そんな時に「TVタックル」の仕事を与えられた。ビートたけしさんの横で、笑顔を見せずにおかしなことを話して視聴者を笑わせる”芸“。「これは自分に向いていると思いました。アナウンサーの仕事かどうか分からないけれど、私には遺伝子があったから」。
関西出身の丸川さんの実家は大のお笑い好きだ。「祖母は毎朝『珠ちゃん、きょうは○時にお笑いがあるから、その時間は買い物は行かれへんで』と決めていました(笑い)」。番組の忘年会でたけしさんから『ネエちゃん、芸人になんないかい?』と誘われた時には「冗談でもうれしくて、すぐに母に報告しました」と笑う。
しかし小さいころ人見知りで恥ずかしがり屋だった丸川さんには自信がなかった。フリーのアナウンサーから芸能人に転じた青木さやかさんと話した時には「勇気あるなあ」と、ちょっと複雑な気分になった。
結局、別の道を進む。入社時からずっと望んでいた海外赴任を認められたのだ。ニューヨーク支局に1年間。ちょうど報道番組が軌道に乗っていただけに、そこから離れることは「テレビに出る人間として価値が下がると反対する人もいました。でも行きたかった」。
【記者の勉強】
支局では記者の勉強をしろと言われた。「これまで、どうやってチームと同調するかばかりを考えていた」というアナウンサーの仕事から解放され「自分が何をしたいか、どう表現すべきか」を改めて自問自答した。
昔から表現することが好きだった。「会社では出来ないことの、はけ口」としてファッション雑誌『JJ』から『世界』まで、手広くエッセーや論文を書いてきた。だから企画から取材、ビデオ編集まで自分でやる仕事が楽しくて仕方がない。帰国して上司に「ディレクターか記者にして下さいとお願いしました。でもダメだって言われちゃった」。
代わりにアナウンス部の仕事のない時に、記者について行くことを認めてもらった。会見に出て記事を書き、デスクのチェックを受けてニュース原稿に仕上げる。企業のトップにもインタビューする。「何を聞いても、勉強になることばかり」と目を輝かせる。
東大出で、顔がキツくて、すぐに自分の意見を言いたがる―。周囲にそう批判され、自分でも「この仕事をいつまでやれるか」と感じていたという丸川さん。バラエティーから報道まで守備範囲は広いが、いずれにせよ”かわい女子アナ“にはとどまりたくないと思っている。「だって自分で大事だと思うことを言えなければ、不満をためるもとですから。今は何より、現場を知りたい」。
―記者の仕事をして感じたことは?
「うーん。アナウンサーって『ぬるいな』って思いました。あっ、責任の質が違うということです。ひとりで取材して記事にするのは、アナウンサーと別の意味で大変です」
「アナウンサーっていうのは、チームの人にみこしをかついでもらって目立つ部分をやらせてもらっている。でも『あ、それはやらなくていいよ』と言われることも多くて、内心じくじたるものがありました。だから自分で全部やれば、もっと自分の言葉で意見を言うことができるように思います」
―どんなことを言いたいんですか?
「世の中には多様な価値観があるということを伝える仕事がしたいんです。多様性を確保したい、ということでしょうか。入社の志望動機にもそう書きました」
「テレビや新聞のようなメディアは、同じことばかり言っていると感じていました。世の中の意見をひとつに集約することはできない。たとえば『朝生(朝まで生テレビ)』は意見対立をあからさまにする番組です。そうしたものが、視聴者がモノを考えるきっかけや道具になるのではないでしょうか」
―そういう気持ちになると、女子アナの仕事はできないんでしょうか。
「いいえ、かなり訓練されましたから。(笑い) もう司会でもなんでも悩まずに出来ます。ただ私が楽しいかどうかは別です。ニューヨークから帰国してからは、楽しくない番組はやっていません。嫌いなことは続かないですから」
「入社してすぐに、私は会社の中でうまくやっていけないタイプだと気づいたんです。万人受けする資質には欠けている。だからニッチで生きるものを見つけるか、他流試合で通用するようにならないといけません」
―テレビの仕事に不満があるわけでは?
「会社にいるのが面白くなくなったら辞めます。”顔出し“する仕事をずっと続けるとも限りません。でもテレビ局の看板は大きいし、そこで自分の聞きたいことを聞く仕事ができるのは素晴らしいことです」
―将来は、たとえばニュースキャスターを目指しますか?
「キャスターって何だか、よく分かりません。言葉にするなら、まずはジャーナリストかな」
(聞き手=加藤正史)
【プロフィル】
93年(平5)東大経卒、同年テレビ朝日入社。主な担当番組は「たけしのTVタックル」(95年―99年)、「CNNヘッドライン」(95年―96年)、「朝まで生テレビ」(99年―03年)、「スーパーJチャンネル」(02年―03年)。このほか全米オープンゴルフなどのゴルフ中継にもかかわる。03年ニューヨーク駐在。帰国後の現在は日曜正午の「サンデースクランブル」司会や経済人のインタビュー番組「トップに迫る」を担当。04年12月には各局の女子アナとともに地上デジタル放送推進大使に任命される。趣味はダイビングとゴルフ。著書に「ダマされるな! 目からウロコの経済学」(共著、ダイヤモンド社)。兵庫県出身、34歳。>
※肩書き、内容は当時のもの
丸川珠代五輪担当相は、「東京五輪・パラリンピック大会の成功のためには私は何でもやる。東京都ともしっかりと連携したい」と抱負を述べた。さらにリオ五輪の視察に出発するが、「リオ大会では現在進行形の課題があると思うので、我々ならどう対応するのか、しっかりみたい」と意欲を語った。大会整備費用については「作業結果を踏まえながら、役割分担などしていきたい」と述べた。
一方、東京都の小池百合子知事は3日、五輪担当相に起用された丸川珠代氏について、「聡明(そうめい)な方で信頼している。お互いに国民や都民にとって良い東京五輪・パラリンピックになるように連携したい」と呼び掛けた。登庁時に報道陣に語った。
自身に次いで女性2人目の防衛相となる稲田朋美氏には「国家観が明確で、国防にまい進してもらえると期待する。女性が働きやすい自衛隊にしてほしい」とエールを送った。
また、閣僚人事に関しては、「アベノミクスを具体的に仕上げる時期なので、布陣が整ってきているのではないか」と感想を述べた。
「脱・女子アナ宣言」
いわゆる「あこがれの職業」の中でも、女子アナウンサーは最難関のひとつに違いない。何百倍もの倍率を勝ち抜いた彼女たちは、社員の身分でありながら華やかなスポットライトを浴びる。若くして去っていくことも少なくない。その中にあって、テレビ朝日の丸川珠代さんはやや変わったキャリアを築いていると言えるかも知れない。経済問題などの報道メディアに強い関心を示す彼女は、女子アナの枠を踏み越えようとしているように見える。
【チームプレー】
「ああ、好きなお洋服を着ちゃいけないんだ」―。テレビ受像機の向こうの世界は、新人の局アナにとって驚きと楽しさの連続だった。最も意外だったのは「個性をアピールする仕事だと思っていたのに、チームプレーだったこと」。洋服から話題の選択まで”視聴者が求めること“に従って細かく指示された。
がむしゃらに仕事をこなしながら、丸川さんには違和感があったという。「かわいくておしゃべりの上手な子はたくさんいる。自分が面白くないことを、ニコニコ顔で伝えるなんて私はイヤだ」。ならば何か別のことを身につけなければ、この世界では生きていけないと思っていた。
【お笑い開眼】
そんな時に「TVタックル」の仕事を与えられた。ビートたけしさんの横で、笑顔を見せずにおかしなことを話して視聴者を笑わせる”芸“。「これは自分に向いていると思いました。アナウンサーの仕事かどうか分からないけれど、私には遺伝子があったから」。
関西出身の丸川さんの実家は大のお笑い好きだ。「祖母は毎朝『珠ちゃん、きょうは○時にお笑いがあるから、その時間は買い物は行かれへんで』と決めていました(笑い)」。番組の忘年会でたけしさんから『ネエちゃん、芸人になんないかい?』と誘われた時には「冗談でもうれしくて、すぐに母に報告しました」と笑う。
しかし小さいころ人見知りで恥ずかしがり屋だった丸川さんには自信がなかった。フリーのアナウンサーから芸能人に転じた青木さやかさんと話した時には「勇気あるなあ」と、ちょっと複雑な気分になった。
結局、別の道を進む。入社時からずっと望んでいた海外赴任を認められたのだ。ニューヨーク支局に1年間。ちょうど報道番組が軌道に乗っていただけに、そこから離れることは「テレビに出る人間として価値が下がると反対する人もいました。でも行きたかった」。
【記者の勉強】
支局では記者の勉強をしろと言われた。「これまで、どうやってチームと同調するかばかりを考えていた」というアナウンサーの仕事から解放され「自分が何をしたいか、どう表現すべきか」を改めて自問自答した。
昔から表現することが好きだった。「会社では出来ないことの、はけ口」としてファッション雑誌『JJ』から『世界』まで、手広くエッセーや論文を書いてきた。だから企画から取材、ビデオ編集まで自分でやる仕事が楽しくて仕方がない。帰国して上司に「ディレクターか記者にして下さいとお願いしました。でもダメだって言われちゃった」。
代わりにアナウンス部の仕事のない時に、記者について行くことを認めてもらった。会見に出て記事を書き、デスクのチェックを受けてニュース原稿に仕上げる。企業のトップにもインタビューする。「何を聞いても、勉強になることばかり」と目を輝かせる。
東大出で、顔がキツくて、すぐに自分の意見を言いたがる―。周囲にそう批判され、自分でも「この仕事をいつまでやれるか」と感じていたという丸川さん。バラエティーから報道まで守備範囲は広いが、いずれにせよ”かわい女子アナ“にはとどまりたくないと思っている。「だって自分で大事だと思うことを言えなければ、不満をためるもとですから。今は何より、現場を知りたい」。
「会社にいるのが面白くなくなったら辞めます」
―記者の仕事をして感じたことは?
「うーん。アナウンサーって『ぬるいな』って思いました。あっ、責任の質が違うということです。ひとりで取材して記事にするのは、アナウンサーと別の意味で大変です」
「アナウンサーっていうのは、チームの人にみこしをかついでもらって目立つ部分をやらせてもらっている。でも『あ、それはやらなくていいよ』と言われることも多くて、内心じくじたるものがありました。だから自分で全部やれば、もっと自分の言葉で意見を言うことができるように思います」
―どんなことを言いたいんですか?
「世の中には多様な価値観があるということを伝える仕事がしたいんです。多様性を確保したい、ということでしょうか。入社の志望動機にもそう書きました」
「テレビや新聞のようなメディアは、同じことばかり言っていると感じていました。世の中の意見をひとつに集約することはできない。たとえば『朝生(朝まで生テレビ)』は意見対立をあからさまにする番組です。そうしたものが、視聴者がモノを考えるきっかけや道具になるのではないでしょうか」
―そういう気持ちになると、女子アナの仕事はできないんでしょうか。
「いいえ、かなり訓練されましたから。(笑い) もう司会でもなんでも悩まずに出来ます。ただ私が楽しいかどうかは別です。ニューヨークから帰国してからは、楽しくない番組はやっていません。嫌いなことは続かないですから」
「入社してすぐに、私は会社の中でうまくやっていけないタイプだと気づいたんです。万人受けする資質には欠けている。だからニッチで生きるものを見つけるか、他流試合で通用するようにならないといけません」
―テレビの仕事に不満があるわけでは?
「会社にいるのが面白くなくなったら辞めます。”顔出し“する仕事をずっと続けるとも限りません。でもテレビ局の看板は大きいし、そこで自分の聞きたいことを聞く仕事ができるのは素晴らしいことです」
―将来は、たとえばニュースキャスターを目指しますか?
「キャスターって何だか、よく分かりません。言葉にするなら、まずはジャーナリストかな」
(聞き手=加藤正史)
93年(平5)東大経卒、同年テレビ朝日入社。主な担当番組は「たけしのTVタックル」(95年―99年)、「CNNヘッドライン」(95年―96年)、「朝まで生テレビ」(99年―03年)、「スーパーJチャンネル」(02年―03年)。このほか全米オープンゴルフなどのゴルフ中継にもかかわる。03年ニューヨーク駐在。帰国後の現在は日曜正午の「サンデースクランブル」司会や経済人のインタビュー番組「トップに迫る」を担当。04年12月には各局の女子アナとともに地上デジタル放送推進大使に任命される。趣味はダイビングとゴルフ。著書に「ダマされるな! 目からウロコの経済学」(共著、ダイヤモンド社)。兵庫県出身、34歳。>
※肩書き、内容は当時のもの
「成功のためなら何でもやる」(丸川大臣)、「聡明な方で信頼している」(小池都知事)
丸川珠代五輪担当相は、「東京五輪・パラリンピック大会の成功のためには私は何でもやる。東京都ともしっかりと連携したい」と抱負を述べた。さらにリオ五輪の視察に出発するが、「リオ大会では現在進行形の課題があると思うので、我々ならどう対応するのか、しっかりみたい」と意欲を語った。大会整備費用については「作業結果を踏まえながら、役割分担などしていきたい」と述べた。
一方、東京都の小池百合子知事は3日、五輪担当相に起用された丸川珠代氏について、「聡明(そうめい)な方で信頼している。お互いに国民や都民にとって良い東京五輪・パラリンピックになるように連携したい」と呼び掛けた。登庁時に報道陣に語った。
自身に次いで女性2人目の防衛相となる稲田朋美氏には「国家観が明確で、国防にまい進してもらえると期待する。女性が働きやすい自衛隊にしてほしい」とエールを送った。
また、閣僚人事に関しては、「アベノミクスを具体的に仕上げる時期なので、布陣が整ってきているのではないか」と感想を述べた。
日刊工業新聞2005年6月16日「今創人」より