商用化の道はどこ?…ラボ発ベンチャーたちの試行錯誤
大学などの研究室からベンチャーが続々と生まれている。ただ研究と事業は別物だ。唯一無二の先端技術であっても、それがサービスになり、会社を支えるほどの収益を生む保証はない。ベンチャーを起こしてから数年間商用化を模索し続ける例は少なくない。特徴的な2社の試行錯誤を追った。(取材・小寺貴之)
AI文章予測、リアルタイムに反映
「2018年に会社を立ち上げて構想を発表してから、似たサービスが出てこないかずっとプレッシャーだった。一番にサービスを提供でき少し安心した」と東北大学大学院の伊藤拓海大学院生は振り返る。同期の栗林樹生大学院生らと修士1年の時にLangsmith(ラングスミス、東京都渋谷区)を起業し、英語論文の執筆支援システムを開発した。2人はこの2年間で国際トップカンファレンスに4本論文が採択された。研究だけに集中しても難しい本数だ。
今春には英語文の推敲支援サービスの無償提供をはじめ、ユーザーからフィードバックを集めている。このサービスでは学生などが拙い英語を書くと人工知能(AI)技術で、きれいな文章を複数挙げる。論文のきれいな文章と拙い文章のペアを機械的に大量生成して深層学習し、拙い文章からきれいな文章を予測する。英語に不安があっても、候補の中から表現を選べるため論文執筆の負担が減る。
非英語圏の研究者にとって言語は不利な面がある。英語をネイティブとする研究者の中には、多少のデータ不備はレトリックな表現で回避して論文に仕上げる人も少なくない。栗林大学院生は「文章力で補えない非英語圏の研究者はデータを示し、論理を固めるしかなかった」と振り返る。東京大学をはじめ英語の推敲やデザインに費やす研究室は多い。ラングスミスのサービスはレトリックな文章を生成する技術ではないが、予測候補に入ってくれば執筆者の選択肢は広がる。
サービス実装に当たり、兄弟会社のエッジインテリジェンス・システムズ(東京都渋谷区)の協力を受けた。深層学習をサービスに仕上げるには通信量を抑えつつ、予測結果をリアルタイムに反映する必要がある。データ分析と異なり、文章推敲は執筆者の思考を妨げない程度の応答速度が求められる。
即応性を確保するために通信プロトコルを開発した。通常、システムのバグ取りや堅牢性などは大学の研究室では取り組まない。伊藤大学院生は「エッジインテリジェンスの日高雅俊取締役にかなり助けてもらった。研究では考えもしない課題に挑戦し勉強になった」と目を細める。
事業面では無償サービスとして最初のユーザー獲得が始まった段階だ。まだ収益モデルができている訳ではない。事業化を支えてきた森山雅勝ラングスミス取締役は「まずはユーザーがつかないことには広告や機能課金などを設計できない」と説明する。研究論文と技術コンセプトは公開されており、時間がたてば類似のサービスが出てくる可能性がある。
強みは学術領域ごとにAIを鍛えられる点だ。物質材料や医学、社会科学など、学会や研究機関と協力すると分野に特化した推敲支援サービスを開発でき、その分野の底上げになる。研究そのものでなく文章力でつまずく日本人研究者は多い。特許や技術訴訟などを含めて、非英語圏の助けになる。
高速画像処理、ハード・ソフト両輪開発
AIなどソフトウエアサービスは研究開発とサービス実装が不可分だ。技術を開発し次第サービスに載せて効果を検証できる。ビジネスモデルと技術と一緒に開発できる。一方ハードウエアが絡むと開発投資が膨らみ、製品一つの当たり外れが経営を揺るがす。ベンチャーにとって受託開発から自社製品への転換が大きな壁になる。
CYBO(東京都千代田区)は次世代セルソーター「ENMA」を開発する。血球などの大量の細胞を流して写真を撮り、AI技術で細胞を選別して必要なものだけ回収する。将来、培養細胞の中から再生医療に使う幹細胞を分取したり、がん細胞のみを取り出して治療に反映したりできるようになる。21年度にENMAのベータ機を投入する計画だ。
この技術は内閣府の革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)で開発された。研究室で開発された当初は光学研究用の精密テーブルの上でシステムが組まれていた。精密テーブルにレーザー光源やミラーが配置され、通常の病院には設置できなかった。これをCYBOではデスクトップサイズに収め、1秒間に100回だった撮像回数を1000―2000回に増やす。
開発メンバーはImPACT終了後、大企業に戻る道もあった。CYBOの新田尚社長は「大企業はベータ機であっても、世に出すからには高い完成度が求められ、製品化まで時間がかかる。ベンチャーでまず形にしてユーザーと改良を重ねる道を選びたかった」と振り返る。大量の細胞を高速分取する際、画像データの処理がボトルネックになる。毎秒1000枚の画像をAI処理すると演算能力が足りず、高度な判定はできなくなる。ENMAでは細胞以外の画像やデータを省き、AIで処理するデータ量を圧縮する。
この技術に買い手がついた。がん研究会とは子宮頸がんの高速3D細胞診断システムを開発する。子宮頸がんの内、扁平上皮がんはバラバラにほぐれた細胞を観察する。対して腺がんは細胞塊をみて診断する。細胞塊は厚み方向に2マイクロメートル(マイクロは100万分の1)の間隔で画像をとり、3次元的に解析する。2次元の画像に比べて10―20倍のデータ量になる。そこで高速画像処理の開発プロジェクトを立ち上げた。
ImPACTの成果実用化を目標とすると回り道にもみえるが、ユーザーとの接点はそれ以上の価値がある。ユーザー視点の発想はENMAにフィードバックでき、売り上げも立つ。新田社長は「収支が赤字だと時限爆弾を抱えているようなもの。ベースが黒字なら長期戦を戦える」と説明する。杉村武昭開発部長は「技術の移り変わりは激しい。小さなベンチャーだが、ハードとソフトの両方を抑えていることは大きい」と説明する。
ベンチャーは研究室から巣立つとすぐに激しい競争にもまれる。先端技術も唯一無二でいられる期間は長くない。ユーザーの声を集めてしなやかに生き抜こうとしている。