9年越しのJR常磐線全通、“過大な輸送力”10両編成で運行する理由
JR東日本は14日、東日本大震災によって運転を休止し、鉄道での再開を目指してきた全路線の復旧を完了する。甚大な津波被害を受けた三陸地域では、地域の理解を得てBRT(バス高速輸送システム)転換や第三セクター鉄道への移管を実施。最後に再開する常磐線・富岡(福島県富岡町)―浪江(同浪江町)間では、福島第一原発事故による汚染土の除染に取り組んだ。鉄道ネットワークの再開で復興は“第2ステージ”へと移る。(取材・小林広幸)
【避難指示が解除】
常磐線は福島県内の広野―原ノ町間で長期間運休を余儀なくされた。2017年に原ノ町―浪江、富岡―広野間が相次ぎ開通。鉄道が再開した駅では駅前を中心に、町がにぎわいを取り戻し始めた。
今回再開する沿線は今も“帰還困難区域”に設定されている。線路周囲や駅前の一画のみが特定復興再生拠点区域として、避難指示が解除された。復興に向けた作業が今後、本格化する地域で、除染や廃炉作業に携わる人の往来が見込まれる。
【心理的効果】
震災前、相馬―いわき間は地域間交流が活発だったが、寸断された9年を経て、どれぐらい乗客が戻るかは未知数。14日からは開通区間で普通列車11往復に加え、仙台―都内間の直通特急「ひたち」が3往復運行する。
10両編成で定員600人の輸送力は需要に対して過大だが、深沢祐二社長は「経済合理性だけでなく、将来に向けた一つの希望の印だ」と話す。被災地域と東京をつなぐ、直通列車がもたらす心理的効果に期待がかかる。
常磐線の復旧には約1000億円が投じられ、延べ24万人が工事に携わった。水戸支社で指揮を執った設備部の堀込順一部長は「主な作業は除染。ノウハウがなく、すべてが手探りだった」と話し、多くの人の尽力、工夫があって工期内に完了できたと振り返る。
復旧は“災害に強い鉄道づくり”もテーマだった。先行開業区間では津波に流された旧ルートを内陸に移転。今回の開通区間でも一部の橋を鋼橋化するなどした。設備の「省メンテナンス性に配慮」(堀込部長)して耐久性の高い軌道を採用したほか、信号保安設備を簡素化。さらに駅オペレーション省力化のため、ICカード乗車の範囲拡大や、自社初の対話型券売機の導入などで、将来も持続可能な鉄道を目指した。
【貨物も走行可能】
常磐線全通は国土強靱(きょうじん)化の面でも、東京―仙台間の二重系を回復できる。鉄道貨物は19年の台風災害で東北線が被災し、長期の不通に見舞われた。代替路線になり得る常磐線ではかつてコンテナ列車が数多く運行。今回ダイヤこそ設定されなかったが、貨物列車も走れる状態にある。JR貨物の真貝康一社長は「迂回(うかい)輸送を含めて、どう(活用を)考えるか。社内で議論していきたい」と前向きだ。
東日本大震災がもたらした広範囲にわたる鉄道ネットワークの大規模な被災。JR東にとって会社発足以来、最大の危機だったとも言える。9年間進めてきた復旧は14日、ようやく一段落を迎える。
JR東の深沢社長は常磐線全通の日を「福島、東北の復興に向けて、グループ挙げて取り組む出発の日にしたい」とも話す。鉄道は地域の足として生活を支えるとともに、地域に人々を運ぶことで、交流の創出、地域活性化につなげていく。
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