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「イシグロ」にあって「石黒」にないもの

大阪大学教授・石黒浩氏が語る『わたしを離さないで』
 通常の研究ではあまり触れない人間の本質的で難しい問題をどう考えればよいか。唯一、その助けとなったのがカズオ・イシグロ氏の『わたしを離さないで』だ。

 脳科学、医学、認知科学などである程度客観的に人間を理解することはできる。しかし、その先にある難しい問題、例えば「意識や主観、感情とは何か」といった問いは、いくら客観的にメカニズムを説明されてもピンとこないことが多い。そこを乗り越えるには想像力が重要だが、『わたしを離さないで』を読み、人間の深い部分への想像が全然足りていないことを痛感した。

 我々の研究とこの作品はよく似ている。我々はアンドロイド研究を通して被験者を集めて巻き込み、「人間とは何か」を探求する。だから「どんなロボットを作ればよいか」に発見のポイントがある。イシグロ氏はクローンが題材の小説を用意し読者を巻き込み、読者が人間とは何かを感じる場所を作り出す。

 「誰も体験していないことをどう描写するか」に発見のポイントがあるのだろう。思考実験的で、想像をかきたたせてくれる。自分では決してできないと思う。

 そうした意味では、まだ人間を客観的な性質や従来的な研究でしか捉えられていないのかもしれない。イシグロ氏の描く世界のような研究対象にはなっていないが人間にとって非常に重要なものをまだ捉えられている気がしない。

 例えば、医学などの学問で人体を理解することはさほど難しくはない。だが、その人間に埋め込まれているそれまでの人生の複雑な経験や人間性の構築過程を理解するのは難しい。これは今の学問では全て説明できず非常に難題だが、本質的なことかもしれない。その答えをひらめくような直感力は、理工学の専門書では養えないと思う。イシグロ氏のような人間への観察力や直感力というものがないと、人間の本質や複雑さにはたどり着けないように思う。(文と写真・平川透)
日刊工業新聞2019年4月29日
日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
部下や学生にはよく現代アートの本を勧める。「新しいものを作るときに重要なことはひらめき。答えにいきなりたどり着く直感力だ」と語る。発見の瞬間は常にイメージが先立つ。専門書はあくまでもイメージを理論的に構築し、再現するための道具。イメージが降りるにはさまざまなアート作品に触れ、感性を養うことが重要だという。

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