臨床研究や創薬で実を結んだ「iPS細胞」、実用化への道は?
治療用細胞 品質高める技術高度化
iPS細胞(人工多能性幹細胞)の臨床応用の実現が大きく近づいた。ヒトiPS細胞は2007年に京都大学の山中伸弥教授によって樹立され、これにより山中教授は12年にノーベル生理学医学賞を受賞した。京大iPS細胞研究所を中心に研究が進み、18年に臨床研究や創薬といった形で実を結んだ。19年はさらに臨床応用が広がり、実用化への道が開けそうだ。
18年5月、大阪大学心臓血管外科の沢芳樹教授らによるiPS細胞由来の心筋細胞を心臓病患者に移植する臨床研究が、厚生労働省の専門部会の了承を得た。さらに9月には京大の江藤浩之教授らによる再生不良性貧血を対象とした臨床研究計画も了承された。iPS細胞から分化させて作った細胞を移植する臨床研究としては14年に理化学研究所の高橋政代プロジェクトリーダーのもとで始まった眼科領域に続き、新たに2例が開始されることになった。19年には、慶応義塾大学の岡野栄之教授、中村雅也教授らによる脊髄損傷の患者を対象とした臨床研究も開始する見込みだ。
また治験として、高橋淳教授らにより、神経変性疾患の一種「パーキンソン病」の患者を対象に、iPS細胞を神経細胞へ分化させ、患者の脳へ移植する治療が行われた。治験はより実用化に近い段階として位置付けられる。安全性、有効性が認められれば、再生医療等製品として市販化される。
これらの臨床研究は他に治療法がない患者を対象にした安全性を主に評価する研究であるという共通点を持つ。現時点で、生命に関わる他のリスクと比較してもiPS細胞を使った再生医療を実施するベネフィットが上回る症例に対して実施し、安全性を確かめるのが目的だ。主なリスクとして、当初から未分化のiPS細胞が腫瘍化することが指摘されてきた。沢教授は「移植に使う細胞シートにおける未分化細胞は10万分の1以下とし、検出できないレベルにまで純度を高める」と話す。iPS細胞由来の治療用細胞の品質を高める技術が向上したことが、臨床応用へとつながった。
慶大の中村教授は「iPS細胞は魔法のような細胞という印象があるが、そうではない。臨床研究はいずれも世界初の試みで、初めから有効性評価をすることはできない」と強調する。まずは安全性を慎重に見極め、そこから移植に最適な細胞数や手法を検討し、治療効果を評価する段階へと進んでいく。
iPS細胞を使った創薬も進んでいる。患者由来の細胞からiPS細胞を作製することで、よりヒトの病態に近い細胞を研究できるようになった。特に、研究や創薬に欠かせない、病気を再現した適切なモデル動物がない疾患においては、iPS細胞を活用した研究が治療法開発のカギを握る。ドラッグリポジショニング(既存薬の転用)と組み合わせた創薬が実現し、治験へと進んでいる。
慶大の小川郁教授、藤岡正人専任講師らは、同大岡野教授と共同でめまいや難聴などの症状が現れる遺伝性疾患「ペンドレッド症候群」に対し、免疫抑制の用途で使われる既存薬「シロリムス」を低用量で投与する治験を開始した。
さらに岡野教授は同大医学部中原仁教授、高橋慎一准教授らと共同で、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の治療薬候補としてパーキンソン病の治療に使われる薬剤「ロピニロール塩酸塩」を特定し、治験を開始すると発表した。薬剤の選抜には、健常者とALS患者由来のiPS細胞から作製した脊髄運動ニューロンを使った。作製した細胞から、家族性ALSの原因遺伝子の情報を基に疾患の治療に有効な化合物を探索した。その結果、神経伝達物質「ドーパミン」の受容体を作動させるロピニロール塩酸塩が治療薬候補として特定され、治験へと結びついた。
疾患モデル動物がなければ、研究成果を治療法開発に結びつけるのが困難になる。例えばペンドレッド症候群では、疾患に特徴的な異常遺伝子が発見されたが、ヒトとマウスとは頭の形が大きく違う。そのため、マウスでその遺伝子を壊してもヒトの病態を再現できない。適切な動物モデルが作れない点でALSも共通している。
難聴治療の研究に取り組む藤岡専任講師は、「治験に進むには治療法が有効である可能性が示されているかが重要。既存薬で安全性がすでにわかっている場合、ヒトの病態を再現したモデル動物がいなくてもiPS細胞で有効性が適切に示されていれば治験が可能になる」と説明する。また、岡野教授は「動物モデルを使うことが難しい疾患でも、iPS細胞でしっかり病態再現し、既存薬を使うといった条件を満たせば、細胞の実験の成果で創薬につながっていく事例となった」と手応えを示す。
iPS細胞を使ったこうした手法は、患者数が少ない希少疾患で有効だ。利益が見込めないことから希少疾患は治療薬の開発が進んでこなかったが、iPS細胞とドラッグリポジショニングを組み合わせて低コストで治療薬が開発できる可能性がある。
再生医療と創薬はiPS細胞の臨床応用における大きな柱だ。18年に両方の分野で大きな動きがあったものの、研究者は安全性評価の段階であることを強調する。しかし、研究により知見が蓄積することで、位置付けは変わっていくかもしれない。沢教授は「かつて重症患者にしか行われなかった心臓の弁置換術も、今は実施する患者の重症度が下がってきた。(再生医療が)今は他に治療の選択肢がない患者を対象に行う研究でも、より身近な治療になっていくかもしれない」と話す。身近な治療として発展するためにも、慎重な安全性試験を進めることが重要だ。
(文・安川結野)
安全性を評価
18年5月、大阪大学心臓血管外科の沢芳樹教授らによるiPS細胞由来の心筋細胞を心臓病患者に移植する臨床研究が、厚生労働省の専門部会の了承を得た。さらに9月には京大の江藤浩之教授らによる再生不良性貧血を対象とした臨床研究計画も了承された。iPS細胞から分化させて作った細胞を移植する臨床研究としては14年に理化学研究所の高橋政代プロジェクトリーダーのもとで始まった眼科領域に続き、新たに2例が開始されることになった。19年には、慶応義塾大学の岡野栄之教授、中村雅也教授らによる脊髄損傷の患者を対象とした臨床研究も開始する見込みだ。
また治験として、高橋淳教授らにより、神経変性疾患の一種「パーキンソン病」の患者を対象に、iPS細胞を神経細胞へ分化させ、患者の脳へ移植する治療が行われた。治験はより実用化に近い段階として位置付けられる。安全性、有効性が認められれば、再生医療等製品として市販化される。
これらの臨床研究は他に治療法がない患者を対象にした安全性を主に評価する研究であるという共通点を持つ。現時点で、生命に関わる他のリスクと比較してもiPS細胞を使った再生医療を実施するベネフィットが上回る症例に対して実施し、安全性を確かめるのが目的だ。主なリスクとして、当初から未分化のiPS細胞が腫瘍化することが指摘されてきた。沢教授は「移植に使う細胞シートにおける未分化細胞は10万分の1以下とし、検出できないレベルにまで純度を高める」と話す。iPS細胞由来の治療用細胞の品質を高める技術が向上したことが、臨床応用へとつながった。
慶大の中村教授は「iPS細胞は魔法のような細胞という印象があるが、そうではない。臨床研究はいずれも世界初の試みで、初めから有効性評価をすることはできない」と強調する。まずは安全性を慎重に見極め、そこから移植に最適な細胞数や手法を検討し、治療効果を評価する段階へと進んでいく。
治験に結実
iPS細胞を使った創薬も進んでいる。患者由来の細胞からiPS細胞を作製することで、よりヒトの病態に近い細胞を研究できるようになった。特に、研究や創薬に欠かせない、病気を再現した適切なモデル動物がない疾患においては、iPS細胞を活用した研究が治療法開発のカギを握る。ドラッグリポジショニング(既存薬の転用)と組み合わせた創薬が実現し、治験へと進んでいる。
慶大の小川郁教授、藤岡正人専任講師らは、同大岡野教授と共同でめまいや難聴などの症状が現れる遺伝性疾患「ペンドレッド症候群」に対し、免疫抑制の用途で使われる既存薬「シロリムス」を低用量で投与する治験を開始した。
さらに岡野教授は同大医学部中原仁教授、高橋慎一准教授らと共同で、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の治療薬候補としてパーキンソン病の治療に使われる薬剤「ロピニロール塩酸塩」を特定し、治験を開始すると発表した。薬剤の選抜には、健常者とALS患者由来のiPS細胞から作製した脊髄運動ニューロンを使った。作製した細胞から、家族性ALSの原因遺伝子の情報を基に疾患の治療に有効な化合物を探索した。その結果、神経伝達物質「ドーパミン」の受容体を作動させるロピニロール塩酸塩が治療薬候補として特定され、治験へと結びついた。
疾患モデル動物がなければ、研究成果を治療法開発に結びつけるのが困難になる。例えばペンドレッド症候群では、疾患に特徴的な異常遺伝子が発見されたが、ヒトとマウスとは頭の形が大きく違う。そのため、マウスでその遺伝子を壊してもヒトの病態を再現できない。適切な動物モデルが作れない点でALSも共通している。
安全性試験 慎重な対応が重要
難聴治療の研究に取り組む藤岡専任講師は、「治験に進むには治療法が有効である可能性が示されているかが重要。既存薬で安全性がすでにわかっている場合、ヒトの病態を再現したモデル動物がいなくてもiPS細胞で有効性が適切に示されていれば治験が可能になる」と説明する。また、岡野教授は「動物モデルを使うことが難しい疾患でも、iPS細胞でしっかり病態再現し、既存薬を使うといった条件を満たせば、細胞の実験の成果で創薬につながっていく事例となった」と手応えを示す。
iPS細胞を使ったこうした手法は、患者数が少ない希少疾患で有効だ。利益が見込めないことから希少疾患は治療薬の開発が進んでこなかったが、iPS細胞とドラッグリポジショニングを組み合わせて低コストで治療薬が開発できる可能性がある。
再生医療と創薬はiPS細胞の臨床応用における大きな柱だ。18年に両方の分野で大きな動きがあったものの、研究者は安全性評価の段階であることを強調する。しかし、研究により知見が蓄積することで、位置付けは変わっていくかもしれない。沢教授は「かつて重症患者にしか行われなかった心臓の弁置換術も、今は実施する患者の重症度が下がってきた。(再生医療が)今は他に治療の選択肢がない患者を対象に行う研究でも、より身近な治療になっていくかもしれない」と話す。身近な治療として発展するためにも、慎重な安全性試験を進めることが重要だ。
(文・安川結野)
日刊工業新聞2019年1月4日