ニュースイッチ

“栃木のイケヤ”、「ル・マン」目指す社長の秘蔵ノート

池谷社長、100冊以上の中にアイデアと夢つまる
“栃木のイケヤ”、「ル・マン」目指す社長の秘蔵ノート

「IF-02RDS」を前に社員と談笑する池谷社長(右)

 栃木県中心部から例幣使街道を西へ進むこと40分。自動車関連部品を中心に手がけ、アフターパーツで広く名を知られるイケヤフォーミュラの本社工場が姿を見せる。社長の池谷信二は自動車をこよなく愛し、「(自社ブランドの)車をつくりたい一心でここまでやってきた」と熱を帯びて話す。

 池谷の経歴は異色で、自動車競技「ダートトライアル」のドライバー出身。第一線を退いた後に、車づくりを始めた。
 
 2013年の東京モーターショー。イケヤは自社ブランドの4輪自動車「IF―02RDS」の試作車を初公開した。メーカーからの問い合わせ、メディア向けの取材対応に追われる日々。池谷は「昨日のことのように思い出す」と話す。

 そして17年のモーターショーではナンバープレートを装着し、公道走行を可能にした同自動車を世界に見せつけた。ただ、出展にこぎ着けるまでの道のりは決して平たんではなかった。

 モーターショーへの出展など考えてもいなかった11年、池谷の“秘蔵ノート”には新たなアイデアがつづられていた。「シフトチェンジの際に起こるトルク抜けを解消する方法」。

 車を加速する時にギアを切り替えると駆動が途切れてしまう。このトルク抜けを解消すれば乗り心地の向上に加え、レースでのタイムロスの抑制にもつながる。周囲からは「中小企業ができるレベルではない」と言われたという。

 悔しさをバネに夜を徹して開発した。そして、トルク抜けを解消した変速機「シームレス・トランスミッション」を完成させる。世界に広める手段として東京モーターショー出展を検討する。だが「(主催者側に)自動車の量産を目的としたメーカーでないと出展できないと指摘された」。池谷は落ち込むどころか、「夢だった自社ブランドの自動車を完成させれば出展できる」と目を輝かせた。

 イケヤ流のスピード感ある作業により、13年のモーターショーに合わせて車を製作。自社製ミッションを搭載した自社ブランドの自動車を出展した。国内外のメーカーから注目され、シームレス・トランスミッションの量産化に明るい兆しが見えた瞬間だった。

 「中小には不可能」。少なくない否定を受けてきた地方の中小企業では現在、大手自動車メーカーとの打ち合わせが日々行われ、シームレス・トランスミッションの量産化が目前に迫る。ただ、池谷の夢にゴールはなく「(同ミッションの)特性を最大限に生かすには高効率のエンジンが必要」と話し、自社製エンジンの開発を進めている。

 「次の夢はル・マン24時間レースに自社製の変速機、エンジンを載せた自社の車を出場させること」と力を込める。信念を結実させてきた池谷。オフィスの引き出しにはA4サイズの秘蔵ノートが100冊以上眠っている。年間5冊はたまるというノートには、「新製品のアイデアや仕組みなどが詰まっている。過去の思いつきが何年後かに実となることもある」(池谷)。終わりのない夢の実現に向けて、今日も秘蔵ノートに新たなアイデアが刻まれる。
(敬称略)
(文=栃木・前田健斗)
日刊工業新聞2018年9月14日の記事に加筆
日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
「世の中にないモノを作り上げる。モノづくりは想像力だ」―。駐車場事業が軌道に乗り始めた1997年、池谷社長は再び“自動車づくり”に照準をあてる。きっかけは自動車部品の将来を見据え、軽量化に資するカーボンの加工技術を学びに米国企業を訪ねたことだった。先方の社長へのプレゼンテーションで、当時はシフトレバーの配置がH形(Hパターン)しかなかった手動変速機(MT)をIパターン化する仕組みを説明。アイデアを評価され、モノにしろと激励されたという。  帰国した池谷社長の脳内にカーボンはなく、Iパターン化だけを考えた。当時、自動車競技ではシフトチェンジのミスによるタイムロスが課題とされ、ミスを抑えられるIパターン化は画期的な考え方だった。帰国以来5年間、ギアの仕組みを学び、試行錯誤を重ね、ついにIパターン装置「シーケン・シフター」をものにする。その年の全日本ダートトライアルで一部の競技車両が採用し、「ダントツの1位になった。03年からは全日本ラリーでも希望するチームの車に搭載を始めた。  しかし、04年に猛烈な“逆風”が吹く。自動車競技を統括する日本自動車連盟(JAF)が公平性を鑑み、日本国内の全競技で「シーケン・シフター使用禁止」を通達。1年と持たず、全世界の自動車競技をつかさどる国際自動車連盟(FIA)も使用禁止を唱える。現在は製品ラインアップに一般車向けの部品がズラリと並ぶ。そのわけは過去の世界的な使用禁止にある。それは競技向けではなく、一般顧客に照準を絞るという池谷社長なりの意地だった。 (日刊工業新聞栃木支局・前田健斗)

編集部のおすすめ