METI
文科省と経産省の担当課長が教育を語り合う。「描く未来像は重なっている」
「予定調和」を乗り越えて
人工知能(AI)と人間が共存する未来社会を見据え、社会の変化に対応した人材をどう育てるか―。くしくも同じ6月に、経済産業省と文部科学省が、教育改革に向けた提言をそれぞれまとめた。両省の担当課長が省庁の垣根を越え、未来の教育に込めた思いを熱く語り合った。
経済産業省商務・サービスグループサービス政策課長 浅野大介(以下、浅野) 今日はありがとうございます。他省庁の媒体に登場する機会はあまりないですよね。
文部科学省初等中等教育局 財務課長 合田哲雄(以下、合田) 戸惑いがなかったといえばうそになりますが(笑)。ただ、これからの社会や教育について文科省と経産省が描く未来像は重なっています。だからこそもっと理解を深めたい。そんな思いで参りました。
いきなり話が脱線するようですが、浅野さん、西日本豪雨の被災地支援で広島に行かれていたとか。私は、同じ中国地方の岡山県倉敷の出身なだけに感謝申し上げます。
浅野 いやいや。たった8日間でしたが、あらためて被災地は社会課題の最前線だと実感しました。どこにどんな支援が必要か瞬間的に判断し、チームで動く機動力が問われます。印象的だったのは、当時、弁当の供給が追いつかず、工場近隣の高校や大学の生徒・学生さんに増産対応の応援を依頼したんです。そうしたらわずか1時間で100人近くが駆けつけてきてくれた。これには感激しましたね。まさに課題解決型学習の実践です。一方で、こうした取り組みを許容する社会風土の醸成が、まだまだ必要とも感じました。
合田 おっしゃる通りですね。変化する状況の中で、それぞれの子どもにとっていま、何が一番大切か、何をなすべきかを自分の頭で判断し行動することを、大人として後押しすることが広い意味での「教育」ですよね。とりわけ、AIの飛躍的進化の中で、目の前の子どもたちは「人間として強み」を発揮することが今まで以上に求められています。読解力といった基礎学力の定着のための一斉一律の授業だけでなく、異学年や異集団での協働や学習も重視する「学びのあり方」そのものを変革する必要があると感じています。
浅野 新学習指導要領で、討論や発表などを通じた「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)などが打ち出されている様子を見る限り、文科省の問題意識は僕らと同じ方向を向いていると感じます。
合田 かつて「ゆとり教育」の名の下で、思考力を鍛える学習や経験重視の教育方針が打ち出されました。ただ、当時の文部省は、「詰め込み教育」の反動から、知識を軽視するような誤ったメッセージを発してしまった一方で、このような転換の必要性に対する認識が企業や保護者を含め広く社会で共有されたとは言い難く、大きなうねりにはなりませんでした。
あれから20年あまり―。社会は激変しました。AIが囲碁の世界チャンピオンに勝利したことはひとつの象徴であり、社会が未来社会を明確に意識するターニングポイントになったと私は受け止めています。
これまでの教育は、自分の頭の中に知識のタワーを築いて、それを誰にも渡さないという学習スタイルを前提にしていました。ところがAIは明確な構造やデータのあるフィールドにおいては、いともたやすく人知を超えていく。その姿を目の当たりにして、多くの人が、他者と協働することや自ら考え抜く自立した学びの必要性を実感するようになった―。こう受け止めています。もちろん基礎的な学力の確実な定着は大前提です。新たな学習指導要領は、20年の時を経て、日本の教育が次の段階に入る姿を示しています。
浅野 この半年あまり、文科省は「ソサエティー5・0に向けた人材育成に関わる大臣懇談会」、経産省は「『未来の教室』とEdTech研究会」で教育改革を議論してきました。僕らが最も訴えたかったのは、「創造的な課題発見・解決力」を養うことの重要性です。異分野の力を合わせて「越境」しながら課題に挑む姿勢。正解にたどり着けなければ「試行錯誤」を繰り返し、どろんこになってでもタッチダウンする粘り強さ―。こうした力は一朝一夕に養えるものではなく、幼少期からの教育が重要と考えます。だから僕らも教育にアプローチしたわけです。
生きる力や課題解決力を養う上では、学びのスタイルそのものが変わっていく必要があると思うんですよね。ITを活用すれば、生徒それぞれの理解度や進捗(しんちょく)に合わせた学習内容を提供できる。あるいはAIによって基礎学習の習得が効率化されれば空いた時間を創造的な学習に当てることができる。こうした学びの革新は、現在の教育行政でどこまで許容できるんですか。
合田 埼玉県戸田市や千代田区の麹町中学校でご存知の通り、分権型の教育行政において、学校や教育委員会ができることはかなりあります。リクルートでの勤務経験があり、この4月に広島県教育長になった平川理恵さんは、オランダのイエナプランを活かした教育をしたいとおっしゃっておられますよね。もちろん、文科省を含めた教育関係者の意識や文化をチャレンジ志向に転換するとともに、必要に応じて制度のあり方も練り続けなければならないのは当然です。その際、公正にチャンスが開かれている社会の実現が最大の使命である文科省の立場で言えば、個別最適化された学びは、公正に提供されていることが何よりも大事だと思っています。その観点から、実はいま非常に気になっていることがあります。
浅野 何ですか。
合田 小学校に入ってくる子どもたちの語彙(ごい)力の差が大きくなっているという学校現場の実感です。語彙の差が学習差になり、それが縮まらないことを危惧しています。その対策としてもITを活用した反復学習などが有効だと期待しています。他方で、教育現場へのIT活用は、ともすれば皆が黙々とタブレット端末に向かっているといったイメージを抱きがちですが、AI時代だからこそ求められる人間としての強みを発揮するためには、学び合いや教え合いといった集団における学びの意味もますます重要になっています。「主体的・対話的で深い学び」を、どのような意図を持ってどのように単元を構成することにより実現していくか―。教師の力量が問われてくると思います。これからの教師はティーチングのみならず、子どもたちの学びを演出する「プロデューサー」的な役割が求められると考えています。
浅野 僕が気になるのは、プロジェクトベース・ラーニングにしてもアクティブ・ラーニングにしても、教師のシナリオありきの「予定調和」の色彩が強いことなんですよ。
合田 「予定調和」は日本の教育界が乗り越えなければならない課題です。例えば今回、「特別な教科」になった道徳では、「社会正義・公正」という項目では、いじめを見つけたらすぐに先生や保護者に報告しましょうと書いてある。ところが「友情・信頼」の項目では、友達はとことん信頼しましょうとある。
浅野 一体、どっちなんだと(笑)。
合田 今回の学習指導要領ではあえて、こうした道徳的価値と道徳的価値の葛藤を盛り込みました。それぞれの価値は調和がとれていても、実際に社会に出て直面するのは、「価値と価値の葛藤」、「価値と現実のギャップ」です。美しい言葉で片付けるだけでなく、さまざまなことを議論する中で、板挟みや想定外と向き合い調整する力や責任を持って遂行する力を養ってほしいと考えるからです。
浅野 一方で、教師自身が「結論はこうあるべきだ」という常識に縛られすぎていませんか。真のアクティブ・ラーニングには、教師を常識や既成概念から解き放つことが第一歩と感じるのですが。
合田 それは私たち保護者や企業も同様ではないでしょうか。自分が社会に出た当時と現在では、産業構造や技術進展は全く異なる。とりわけ、この5年、10年ほどの社会の変化は破壊的なほどですよね。にもかかわらず、意識変化は追いついていない。見方を変えれば、破壊的であるがゆえに、目の前の子どもたちは創造的なことに挑戦できるわけですよね。
浅野 既成概念や常識から教師を解放するには、社会の多様な主体との交流が不可欠ではないでしょうか。だからこそ、経済界やNPOなど多様な主体との対話の機会を創出したいと考えています。僕ら役人があれこれ言うよりも、実際に価値を生み出している人の言葉は心に響くでしょう。経産省がこのほどスタートする実証事業では、民間企業やNPO、全国の中学校・高校などが連携し、エドテックの活用などよる新たな教育プログラムの開発に取り組みます。こうした枠組みにはぜひ文科省の方にも参加して頂きたいし、逆に文科省でやっておられる教育長や校長先生とのプラットフォームには僕らも顔を出したい。お互いに、どんどん「越境」し合いたいですね。
合田 新たな価値を創出しておられる方々と教師や保護者との対話、ぜひ一緒にやりましょう。また、私はいま、学校の働き方改革も担当しています。教師という仕事は子どもたちを通じて未来を創造する実にクリエイティブな仕事であるにもかかわらず、日常業務に忙殺されているという実情にあります。あらゆる施策を総動員してこの現状を何とか変えたい。その際、文科省もエドテックでこんなことができるようになれば、教育の質的転換が一気に広がりますよとメーカーや教育関係のベンチャーの皆さんと対話したいと思っています。同時に、教師の専門性とは何なのかをあらためて問い直し、社会的なコンセンサスを形成しながら、教育の中身も先生の働き方も同時に変えていきたい。それは国の「ありよう」につながるテーマだと自覚しています。
浅野 さまざまな知見やネットワークを共有しながら、これからもぜひ、ともに取り組んでいきましょう。
理解深めたい
経済産業省商務・サービスグループサービス政策課長 浅野大介(以下、浅野) 今日はありがとうございます。他省庁の媒体に登場する機会はあまりないですよね。
文部科学省初等中等教育局 財務課長 合田哲雄(以下、合田) 戸惑いがなかったといえばうそになりますが(笑)。ただ、これからの社会や教育について文科省と経産省が描く未来像は重なっています。だからこそもっと理解を深めたい。そんな思いで参りました。
いきなり話が脱線するようですが、浅野さん、西日本豪雨の被災地支援で広島に行かれていたとか。私は、同じ中国地方の岡山県倉敷の出身なだけに感謝申し上げます。
浅野 いやいや。たった8日間でしたが、あらためて被災地は社会課題の最前線だと実感しました。どこにどんな支援が必要か瞬間的に判断し、チームで動く機動力が問われます。印象的だったのは、当時、弁当の供給が追いつかず、工場近隣の高校や大学の生徒・学生さんに増産対応の応援を依頼したんです。そうしたらわずか1時間で100人近くが駆けつけてきてくれた。これには感激しましたね。まさに課題解決型学習の実践です。一方で、こうした取り組みを許容する社会風土の醸成が、まだまだ必要とも感じました。
合田 おっしゃる通りですね。変化する状況の中で、それぞれの子どもにとっていま、何が一番大切か、何をなすべきかを自分の頭で判断し行動することを、大人として後押しすることが広い意味での「教育」ですよね。とりわけ、AIの飛躍的進化の中で、目の前の子どもたちは「人間として強み」を発揮することが今まで以上に求められています。読解力といった基礎学力の定着のための一斉一律の授業だけでなく、異学年や異集団での協働や学習も重視する「学びのあり方」そのものを変革する必要があると感じています。
浅野 新学習指導要領で、討論や発表などを通じた「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)などが打ち出されている様子を見る限り、文科省の問題意識は僕らと同じ方向を向いていると感じます。
教育は次の段階に
合田 かつて「ゆとり教育」の名の下で、思考力を鍛える学習や経験重視の教育方針が打ち出されました。ただ、当時の文部省は、「詰め込み教育」の反動から、知識を軽視するような誤ったメッセージを発してしまった一方で、このような転換の必要性に対する認識が企業や保護者を含め広く社会で共有されたとは言い難く、大きなうねりにはなりませんでした。
あれから20年あまり―。社会は激変しました。AIが囲碁の世界チャンピオンに勝利したことはひとつの象徴であり、社会が未来社会を明確に意識するターニングポイントになったと私は受け止めています。
これまでの教育は、自分の頭の中に知識のタワーを築いて、それを誰にも渡さないという学習スタイルを前提にしていました。ところがAIは明確な構造やデータのあるフィールドにおいては、いともたやすく人知を超えていく。その姿を目の当たりにして、多くの人が、他者と協働することや自ら考え抜く自立した学びの必要性を実感するようになった―。こう受け止めています。もちろん基礎的な学力の確実な定着は大前提です。新たな学習指導要領は、20年の時を経て、日本の教育が次の段階に入る姿を示しています。
浅野 この半年あまり、文科省は「ソサエティー5・0に向けた人材育成に関わる大臣懇談会」、経産省は「『未来の教室』とEdTech研究会」で教育改革を議論してきました。僕らが最も訴えたかったのは、「創造的な課題発見・解決力」を養うことの重要性です。異分野の力を合わせて「越境」しながら課題に挑む姿勢。正解にたどり着けなければ「試行錯誤」を繰り返し、どろんこになってでもタッチダウンする粘り強さ―。こうした力は一朝一夕に養えるものではなく、幼少期からの教育が重要と考えます。だから僕らも教育にアプローチしたわけです。
生きる力や課題解決力を養う上では、学びのスタイルそのものが変わっていく必要があると思うんですよね。ITを活用すれば、生徒それぞれの理解度や進捗(しんちょく)に合わせた学習内容を提供できる。あるいはAIによって基礎学習の習得が効率化されれば空いた時間を創造的な学習に当てることができる。こうした学びの革新は、現在の教育行政でどこまで許容できるんですか。
教師は「プロデューサー」
合田 埼玉県戸田市や千代田区の麹町中学校でご存知の通り、分権型の教育行政において、学校や教育委員会ができることはかなりあります。リクルートでの勤務経験があり、この4月に広島県教育長になった平川理恵さんは、オランダのイエナプランを活かした教育をしたいとおっしゃっておられますよね。もちろん、文科省を含めた教育関係者の意識や文化をチャレンジ志向に転換するとともに、必要に応じて制度のあり方も練り続けなければならないのは当然です。その際、公正にチャンスが開かれている社会の実現が最大の使命である文科省の立場で言えば、個別最適化された学びは、公正に提供されていることが何よりも大事だと思っています。その観点から、実はいま非常に気になっていることがあります。
浅野 何ですか。
合田 小学校に入ってくる子どもたちの語彙(ごい)力の差が大きくなっているという学校現場の実感です。語彙の差が学習差になり、それが縮まらないことを危惧しています。その対策としてもITを活用した反復学習などが有効だと期待しています。他方で、教育現場へのIT活用は、ともすれば皆が黙々とタブレット端末に向かっているといったイメージを抱きがちですが、AI時代だからこそ求められる人間としての強みを発揮するためには、学び合いや教え合いといった集団における学びの意味もますます重要になっています。「主体的・対話的で深い学び」を、どのような意図を持ってどのように単元を構成することにより実現していくか―。教師の力量が問われてくると思います。これからの教師はティーチングのみならず、子どもたちの学びを演出する「プロデューサー」的な役割が求められると考えています。
浅野 僕が気になるのは、プロジェクトベース・ラーニングにしてもアクティブ・ラーニングにしても、教師のシナリオありきの「予定調和」の色彩が強いことなんですよ。
合田 「予定調和」は日本の教育界が乗り越えなければならない課題です。例えば今回、「特別な教科」になった道徳では、「社会正義・公正」という項目では、いじめを見つけたらすぐに先生や保護者に報告しましょうと書いてある。ところが「友情・信頼」の項目では、友達はとことん信頼しましょうとある。
浅野 一体、どっちなんだと(笑)。
合田 今回の学習指導要領ではあえて、こうした道徳的価値と道徳的価値の葛藤を盛り込みました。それぞれの価値は調和がとれていても、実際に社会に出て直面するのは、「価値と価値の葛藤」、「価値と現実のギャップ」です。美しい言葉で片付けるだけでなく、さまざまなことを議論する中で、板挟みや想定外と向き合い調整する力や責任を持って遂行する力を養ってほしいと考えるからです。
常識から解き放ちたい
浅野 一方で、教師自身が「結論はこうあるべきだ」という常識に縛られすぎていませんか。真のアクティブ・ラーニングには、教師を常識や既成概念から解き放つことが第一歩と感じるのですが。
合田 それは私たち保護者や企業も同様ではないでしょうか。自分が社会に出た当時と現在では、産業構造や技術進展は全く異なる。とりわけ、この5年、10年ほどの社会の変化は破壊的なほどですよね。にもかかわらず、意識変化は追いついていない。見方を変えれば、破壊的であるがゆえに、目の前の子どもたちは創造的なことに挑戦できるわけですよね。
浅野 既成概念や常識から教師を解放するには、社会の多様な主体との交流が不可欠ではないでしょうか。だからこそ、経済界やNPOなど多様な主体との対話の機会を創出したいと考えています。僕ら役人があれこれ言うよりも、実際に価値を生み出している人の言葉は心に響くでしょう。経産省がこのほどスタートする実証事業では、民間企業やNPO、全国の中学校・高校などが連携し、エドテックの活用などよる新たな教育プログラムの開発に取り組みます。こうした枠組みにはぜひ文科省の方にも参加して頂きたいし、逆に文科省でやっておられる教育長や校長先生とのプラットフォームには僕らも顔を出したい。お互いに、どんどん「越境」し合いたいですね。
多様な主体との対話を
合田 新たな価値を創出しておられる方々と教師や保護者との対話、ぜひ一緒にやりましょう。また、私はいま、学校の働き方改革も担当しています。教師という仕事は子どもたちを通じて未来を創造する実にクリエイティブな仕事であるにもかかわらず、日常業務に忙殺されているという実情にあります。あらゆる施策を総動員してこの現状を何とか変えたい。その際、文科省もエドテックでこんなことができるようになれば、教育の質的転換が一気に広がりますよとメーカーや教育関係のベンチャーの皆さんと対話したいと思っています。同時に、教師の専門性とは何なのかをあらためて問い直し、社会的なコンセンサスを形成しながら、教育の中身も先生の働き方も同時に変えていきたい。それは国の「ありよう」につながるテーマだと自覚しています。
浅野 さまざまな知見やネットワークを共有しながら、これからもぜひ、ともに取り組んでいきましょう。