今治タオル、ソムリエでブランド化。地元に帰ってくる若者も増えている!
地方再生のモデルケースに
日頃、何げなく使っているタオル。これを起爆剤に再生した地方都市がある。
瀬戸内海沿岸の愛媛県今治市の特産品「今治タオル」だ。一時は消滅の危機に陥っていた伝統工芸品の復活劇は全国の地方自治体から地方再生のモデルケースとして熱い視線を集める。
吸水性に優れ、白色が映える今治タオルは120年の歴史を持つ。だが、バブル崩壊で需要は一気に冷え込む。今治タオル工業組合の井上裕基理事長は「一時は生産量が年間1万トンを切る危機的状況だった」と振り返る。
頼みの中国製タオルに対する繊維セーフガード発動も2004年に政府の調査が打ち切られた。「もはや打つ手なし」(組合関係者)と思われた時、降ってわいたような話が舞い込む。06年、中小企業庁の「JAPANブランド育成支援事業」に採択された。
これをきっかけに「今治タオルプロジェクト」が始動する。ブランディングはクリエーティブディレクターの佐藤可士和氏に依頼し、組合は加盟業者へのブランド認定基準を設定。販売員への「タオルソムリエ」資格認定制度を創設した。
徐々に百貨店やホテル関係者の間で品質が評価され、右肩下がりを続けていた生産量がプラスに転じた。その2年後の12年、同組合は東京のトレンド発信地に打って出る。
港区南青山のアンテナショップ「今治タオル南青山店」で「タオルソムリエNo.1091」のネームを誇らしげに下げる海出由香さんは「結婚や出産祝いなどのギフトが多い」とにこやかに説明してくれた。
アンテナショップ近くには相次いで組合員が直販店舗を出店し、産地の生産量も年間1万2000トンまで回復。08年には最高峰の技能者に与える「タオルマイスター」資格認定制度を創設した。「地元に帰ってくる若者も増えている」。そう言う井上タオル3代目の組合理事長も80年代の「Uターン組」の一人だ。
瀬戸内海沿岸の愛媛県今治市の特産品「今治タオル」だ。一時は消滅の危機に陥っていた伝統工芸品の復活劇は全国の地方自治体から地方再生のモデルケースとして熱い視線を集める。
吸水性に優れ、白色が映える今治タオルは120年の歴史を持つ。だが、バブル崩壊で需要は一気に冷え込む。今治タオル工業組合の井上裕基理事長は「一時は生産量が年間1万トンを切る危機的状況だった」と振り返る。
頼みの中国製タオルに対する繊維セーフガード発動も2004年に政府の調査が打ち切られた。「もはや打つ手なし」(組合関係者)と思われた時、降ってわいたような話が舞い込む。06年、中小企業庁の「JAPANブランド育成支援事業」に採択された。
これをきっかけに「今治タオルプロジェクト」が始動する。ブランディングはクリエーティブディレクターの佐藤可士和氏に依頼し、組合は加盟業者へのブランド認定基準を設定。販売員への「タオルソムリエ」資格認定制度を創設した。
徐々に百貨店やホテル関係者の間で品質が評価され、右肩下がりを続けていた生産量がプラスに転じた。その2年後の12年、同組合は東京のトレンド発信地に打って出る。
港区南青山のアンテナショップ「今治タオル南青山店」で「タオルソムリエNo.1091」のネームを誇らしげに下げる海出由香さんは「結婚や出産祝いなどのギフトが多い」とにこやかに説明してくれた。
アンテナショップ近くには相次いで組合員が直販店舗を出店し、産地の生産量も年間1万2000トンまで回復。08年には最高峰の技能者に与える「タオルマイスター」資格認定制度を創設した。「地元に帰ってくる若者も増えている」。そう言う井上タオル3代目の組合理事長も80年代の「Uターン組」の一人だ。
【メモ】今治タオルは、1894年に阿部平助氏が綿ネル機械を改造して、タオルの製造を開始したことから始まり。1910年にタオルを同時に2列織る機械が考案され、12年には大衆向けのタオルが開発された。21年頃には、高級なジャカード織りの今治タオルが生産されるようになる。現在では、質量共に日本一となった。
日刊工業新聞2018年5月25日