ニュースイッチ

修から俊宏の親子リレーで始まる「スズキ」と「鈴木」の新時代

30日付で俊宏氏が社長に、修氏は会長兼CEO「30年たった後に比較されるような経営者になれたら」(俊宏氏)
修から俊宏の親子リレーで始まる「スズキ」と「鈴木」の新時代

会見後握手する鈴木俊宏社長(左)と鈴木修会長

 スズキは30日、鈴木俊宏副社長(56)が30日付で社長に昇格したと発表した。鈴木修会長兼社長(85)は代表権のある会長兼CEO(最高経営責任者)に専念する。俊宏副社長は修会長兼社長の長男。2011年からは副社長で組織する「経営企画委員会」の構成メンバーとして、海外事業の拡大に力を発揮した。

 スズキは14年に軽自動車シェアで7年ぶりに首位に立ち、国内市場での強さを鮮明にしている。今後は修氏が新社長をサポートしながら、次世代の成長戦略を確実にする。修氏は78年に社長に、00年に会長に就任したが、当時の社長らの逝去などで08年から会長兼社長となっていた。会長時代を含めると37年間ものあいだ経営トップを務めた経験やその発言のユニークさから、自動車業界だけでなく経済界全体の注目を集めた。

 都内で会見した修氏は交代について「独フォルクスワーゲン(VW)との問題の解決を待つ限度を超えた。若手に譲り、新しい経営の仕組みを早くスタートするギリギリのところまで来たため、踏ん切りをつけた」と説明。「この問題は私が責任を持って処理したい」と語った。

 鈴木俊宏氏は「新中期経営計画は私が中心となって策定した。若い社員の力を借りスズキにとって何がいいのかを判断していく」と抱負を述べた。

 「今後5年を次の100年に向けての土台作りとする」
 スズキの鈴木俊宏新社長率いる新体制は、海外事業の拡大やモノづくり力の強化で経営基盤を固める。30日発表した2015―19年度の中期経営計画では売上高を14年度実績比22・7%増の3兆7000億円、営業利益率を同1・0ポイント増の7・0%とする目標を掲げた。「今後5年を次の100年に向けての土台作りとする」(鈴木俊宏社長)と意気込んだ。

 日本では軽自動車でシェア30%以上、小型車10万台以上の販売目標を掲げ、海外の主力市場であるインドでは乗用車でシェア45%以上を目指す。「日本とインドに頼ることなくインドネシア事業も育成する」(同)としてアジアを中心に新興国事業を拡大する。
 
 2輪車は「選択と集中で赤字体質から脱却する」(同)。150cc以上などのカテゴリーに注力し低価格帯から中・高価格帯へシフトし、収益性を改善する。2019年度に4輪車の世界販売を14年度実績比18・5%増の340万台、2輪車は同13・6%増の200万台とする目標を示した。
 
 一方、モノづくりの強化策として、試作前に商品の機能と品質を確認することで開発期間を短縮する。日本、インド、インドネシアなどグローバル生産拠点と位置づけ、拠点間の部品供給体制を構築し、内製化の推進などで生産体制強化する方針だ。
 
 鈴木新社長は「顧客の立場に立ち返って品質を最優先する」とも述べ、大規模リコールを教訓に品質体制を強化する方針も示した。
 
 「経営はやる気と責任感があれば誰でもできる」(修会長)
 修会長と俊宏社長の一問一答
 ―ワンマンからの脱却をどうとらえていますか。役割分担は。
 修会長 スズキの今の企業規模はワンマンの限界を超えている。組織的に仕事をすることを考えなければならない。基本方針は私が議長を務める取締役会で決め、業務執行は社長を中心に進める

 ―フォルクスワーゲン問題は今後も会長が担当するのですか。
 修会長 そうだ。私の責任で話が出てきた。始末はきちんと私がとりたい

 ―修会長の後に社長を務めるプレッシャーは。
 俊宏社長 会長は「中小企業のおやじ」として会社を引っ張ってきた。社員もそれに慣れている。それでもいつかは世代交代しないといけない。入社以来、設計、生産技術、商品企画などを経験してきたのが私の強み。30年たった後に比較されるような経営者になれたらと思う

 ―新社長の評価は。
 修会長 経営はやる気と責任感があれば誰でもできる。

 

新社長の素顔とは?技術者の思いを代弁し、発売に反対する修氏を押し切った芯の強さも


 鈴木修会長兼社長の長男で創業家直系。2代目社長から修氏まで3代連続で女婿だったが、初の直系社長となる。取締役就任から12年、副社長就任から4年をかけ満を持しての登板だ。ワンマン経営から合議制への転換―。その成否が世界的小型車メーカーであるスズキの命運を握る。
 
 ここ数年は古株の販売店社長から「おやじさんの若いころによく似てきた」と言われるたびに「外見が似るのは当たり前。中身はまだまだです」と頭を下げていた。周囲が「謙虚で誠実」と口をそろえる温厚な性格。その一方で、ある新型車をめぐって技術者の思いを代弁し、発売に反対する修氏を押し切った芯の強さも併せ持つ。
 
 スズキ入社後は主に技術畑を歩んだ。海外営業や国内営業など重要部門を歴任し、経験は十分。ここ数年は修氏とともに各地を飛びまわりその言葉、判断を見てきた。あとは自らがトップとして決断するだけだ。
 
 鈴木俊宏氏(すずき・としひろ)83年(昭58)東京理科大院理工修了、同年日本電装(現デンソー)入社。94年スズキ入社、00年磐田工場長、03年取締役、06年取締役専務役員、11年副社長。静岡県出身。
 (文=浜松編集委員・田中弥生)
日刊工業新聞2015年07月01日 1/3面
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役ブランドコミュニケーション担当
修会長はまだまだ元気で当面は親子二人三脚で経営にあたることになるだろう。VWとの問題が長引いており、環境技術対応が後手に回っているが、次にどこと組むか。マツダはトヨタを選択したが。

編集部のおすすめ