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「経団連会長」を断った男、引き受けた男

経団連の次期会長に日立製作所の中西会長
「経団連会長」を断った男、引き受けた男

川村氏と中西氏

 経団連の次期会長に日立製作所の中西宏明会長が5月末に就任する。「中西さんに決まって本当によかった」。経団連で要職を務めた財界OBの一人は安堵(あんど)の表情を浮かべる。“財界総理”と呼ばれる経団連会長をめぐっては2代にわたり人選が難航。経済界の人材難もささやかれるなか、早くから本命視されていた中西氏が固辞すれば人事は大混乱するとの不安の声が絶えなかったからだ。

 日立はこれまで財界活動とは一線を画してきた。だが中西氏の登場によって、そんな不文律から解き放たれそうだ。中西氏自身、早い段階から経団連就任を阻む社内事情はなく、「自分のことは自分で決める」と周囲に漏らしていた。

 かつて経団連会長候補として有力視されていた前会長の川村隆氏が東京電力ホールディングス会長に転じたことで、経団連と東電のトップを日立出身者が占めることを疑問視する声が一部にあったことは事実。

 だが、国内外でリーダーシップを発揮できる人材が経済界に見当たらなかったことが日立待望論へつながっていった。経団連会長をめぐり中西氏から相談を受けた川村氏はこう答えたという。「自分でお決めなさい」。

対照的な二人


 「川村ー中西」コンビで日立を立て直してきたが、二人はとても対照的だ。川村さんと比較することで「中西宏明」という人物像が浮かびあがる。

 まず川村さんは過去の大きな流れから「今」を語る。中西さんは未来から逆算して「今」を語る。だから社内外で中西さんの意図をよく理解できない人たちも少なからずいる。川村さんは意外とロマンチストで個人より社会に興味がある。中西さんはリアリストで人に興味がある。

 これは性格だけでなく世代の違いもあるように思う。川村さんは戦中生まれ(39年)、中西さんは戦後(46年)。両者とも日本に対する思いは強いが、川村さんの方がより「国家」を意識している。

 中西さんは若い時からグローバル経済を体感し、今でも米ゼネラル・エレクトリック(GE)のジェフ・イメルト前最高経営責任者(CEO)や同IBMのジニ・ロメッティCEOなど世界企業の経営者と深いつながりを持つ。

 一方で、中西さんには異端の血が流れている。入社は制御機器を生産する大みか工場(現大みか事業所)。本人は「伝統ある日立工場(現日立事業所)などからあぶれた人が集められていた」と振り返るが、エスタブリッシュメント(既存秩序)への反骨精神が彼の原動力だ。川村さんは日立工場長も務めた保守本流。東電会長を引き受けたのも、電力産業の“落穂ひろい”という意味もあったのだろう。

 中西さんが最近、最も刺激を受けた経営者がニトリホールディングスの似鳥昭雄会長だ。守りに入りやすい大企業のサラリーマン社長の姿勢が嫌いなのだ。付いてくるなら付いてくればいいー。経団連に対する心の声が聞こえてくる。

 同じ総合電機として競い合ってきた東芝は不正会計に端を発し苦境に陥っている。日立と東芝の対比はいろいろあるが、企業文化の根幹的な違いは「権力者」、「権威」に対する向き合い方だと感じる。

 東芝の経営トップは先日亡くなった西室さん(泰三元社長)以降、特に財界活動への意欲が増した。それは自然と社内でも権力者に対する接し方に出たのではないか。会長や社長への忖度や物言えぬ雰囲気があった。中西さんは「うちも最近はそんな風潮がある」と危機感を持つ。インフラ事業を手がけていると、どうしても政権とも近くならざるをえない。

 日立はあえて財界トップを目指さないできたが、まだまだとてつもない「形式主義」が残っている。経団連会長の就任によって日立がどう変質していくのかにも注視しなければいけない。
(文=明豊)
日刊工業新聞2018年1月10日の記事を加筆・修正
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
4年前、川村さんは経団連会長の就任要請を断った。川村さんは地位や名誉に興味がない。日立の会長を退き、趣味の読書やスキーなどをやりながらのんびりしたいと話していた。ではなぜ東電会長を引き受けたのか。自分の経験やノウハウが実践として生かせると思ったからだろう。経団連会長というポストは役割や成果が見えにくい。中西さんは、未知なるものに飛び込むタイプであり、「最初」が好きな人だと感じる。かれこれ9年くらいお二人とお付き合いしてきての印象である。

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