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前LINE社長が若い女性たちと目指す“ニッポンのMTV”

スイッチを入れる人たち(第3回)「プライドなんて馬鹿らしい。今、1日10件くらい営業に回ってます」
 「スイッチを入れる人たち」の3回目はLINEの社長を3月で退任、48歳にして女性向け動画ファッションマガジン「C CHANNEL」を起業した森川亮さん。最近は巷で森川さんの記事が溢れているが、LINE時代のこと、ソニー時代のこと、そして新事業への熱い思いを率直に、そしてシンプルに語ってくれたインタビュー。「森川亮の正体」を覗いてみた。

自由じゃなくなった瞬間から自由になりたくなった


 ―いつごろLINEの社長を辞めると決めたんですか。
 「2013年の終わりですね。退任を発表したのが2014年12月なので、ちょうど1年前ですね」

 ―退任にはいろいろ要因があったと思いますが、内部要因と外部要因の割合みたいなものは。
「割合というか、このまま行くと、タイミングがなくなるので。もう社長を長くやっていたし、いいタイミングで辞めようと思っていたんですよ。ただ、業績が悪くてもダメだし、上場したらなかなか辞められない。そう考えると、総合的にあのタイミングが良かったんですよね」

 ―ということは、一区切り付けて辞めようと考えたのはもっと前ということなんですね。
 「そうです。ゲーム事業が成長したけど、ライブドアと一緒になって、なかなか辞められなかったんですよ。『検索』事業は上手くいっていなかったですし。2011年に(スタンプコミュニケーションアプリの)LINEをリリースして、いい流れになって大丈夫そうになったのが大きなきっかけです。辞めたいとか辞めたくないではなく、もう10年近く社長でいると、僕の色が強すぎて次の人も困るでしょ。ゲーム事業も分社化したし、いろいろな意味でタイミングも良かったと思うんです。多分ここで辞めなかったら上場するまでやったいただろうし、そうなると3年は辞められなくなる。ITの会社で50代の社長はどうかと思っていたんですよね。正直」

 ―LINEの社長時代で一番悩んだ局面はなんですか。
 「いろいろありますけどね。例えば、検索の事業でグーグルと闘っていてもなかなか厳しかったですし、そんな中で、ライブドアを60億円程度で買収しました。それで本当にうまくいくのか?というのはありました。そこが一番きつかったですよね。ゲーム事業で利益は出していましたけど、あまりに投資が大きかったので。そこから何かを生まなければいけないと考え悩んでましたよ。結局、2回も検索から撤退する形になって、ライブドアの人たちと頑張っていこう!って一緒になったのに。それで売却してしまったらその人たちにも迷惑が掛かってしまいますから。そういう部分は責任を感じちゃいますよね」

 ―逆に一番、達成感があったのはなんですか。
 「そうですね。最初はやっぱりゲーム事業が急成長したことですかね。僕がハンゲームジャパン(現LINE)に入った時は年間の売り上げが2億、翌年が確か25億くらいになったんです。10倍じゃないですか。規模は小さいですけど、1年でそれくらい伸ばす中で、サービスとか社内の雰囲気がずいぶん変わったな、というのは感じましたよ。僕は創業メンバーじゃないので、余計に達成感がありましたね」

 ―ゲーム事業は収益変動が大きいですよね。アプローチはどういう風に考えていたんですか。
 「ゲームの事業といっても、プラットフォームの事業だったので、まあ、当たらないものもあれば当たるものもある、だからそれほどリスクはなかったですね。当時のディー・エヌ・エーやグリーも同じような事業形態でしたから」

 ―今回、LINE時代の経営ノウハウが詰まった本「シンプルに考える」を出版されました。初著作ですが、とても分かりやすい一方で、とても本質的でユニークなことが書かれています。「計画はもたない」、「ルールはいらない」、「差別化は考えない」、「イノベーションは目指さない」などなど。いくつかの項目がある中で一番伝えたかった部分は。
 「必要ないものは載せない、ということで書いたので、どれも意味があります。ただ、全体的にセットでやらなきゃいけないということですね。『ここだけ抜き取ってやります』だと、社内も混乱しますから。実践して行く上で最も難しいのは、やっぱり全部セットで進めていくことなんです」

 ―森川さん1人がそう思っていても、なかなかできないじゃないですか。それをどういう形で社内にプロセスを共有したんですか。
 「ちょっと会社が複雑だったので特殊かもしれません。もともとNHN Japanがあって、そこにネイバージャパンやライブドアが入ってきた。たぶん最初から一つの会社だとセットで変革していくことは難しかったと思うんです。別々の会社だったからシフトチェンジがやりやすかったという面はあります」

今までやってきたことを変える時は、多くの人が辞める覚悟をしてやらないといけない


 ―結構ダイナミックに人が入れ替わったのも良かったんですね。
「そうですね。今までやってきたことを変えるときには、ある程度、多くの人が辞めることを覚悟してやらないといけない。同じ人のままで変えるのは難しいです。気持ちを変えるのには時間がかかる。結局、成功した人を変えるのは難しいんですよ。ネイバージャパンやライブドアも事業が上手くいってなかったので、社員の人たちもそういう意味で変化することに抵抗がなかったと思います」

 ―本に書かれていることはLINEの社長になってから、言葉としてまた行動として整理できるようになったんですか。
 「そうですね。社長になる前と社長になった後でずいぶん変わりましたね。どの会社も多分そうだと思うんですけど、ナンバー2や3の人は、事業をうまくやれば会社を経営できると思いがちなんですけど、いざ社長になると事業はほんの一部で、『経営』とはどういうことなのか、ということとしっかり向き合わないといけない。そこからすごく学びがある。大学や経営塾などとはまったく違います。親会社は海外の企業で、外国人は価値観がまったく違いますし、そういうところも一つひとつクリアしていきました」

 ―森川さんをみてると、思考も行動も非常に柔軟だな、と感じます。そこが強みなのでは。
「変なこだわりはないですからね。確かに柔軟性とスピード感はありますね。スキルはきっとそんなに高くないと思いますが」

 ―もともとの性格みたいなものもあるんですか。
 「前職(LINE時代)で変わりましたね。経歴でいうと、日本テレビ時代があって、ソニーに入った時に、随分と苦労したんです。それでもプライドがあったので上司ともぶつかっていました。そしてハンゲームジャパンに入ってみて、韓国や中国の人たちが変化しないと生き残っていけない、という危機感をもってやっているのを目の当たりにしました。でも日本人は全体的に変えることにぐずぐず言っている。比較して、日本人のプライドは馬鹿らしいと思ったんです。その時に変わりましたね」

 ―筑波大学から最初は日本テレビに入社しましたが、森川さんはもともとバンドでドラムをやっていましたよね。エンターテイメントの事業に興味があったんですか。
 「音楽関係の仕事をやりたいとは思っていましたね。たまたま日本テレビから内定をもらって。青田買いの時期で、まあ、それでいいかって(笑)。でも、配属がコンピュータシステムの部署だったんです。それが嫌で嫌でしょうがなかった。でも、今思えば、それが良かっと思います。もし好きなことをやらせてもらっていたら、なんの疑問を持つこともなく、今まで来ていたでしょうから」

 ―人生を振り返っても、そこが今の「森川亮」を作り出した最初の転機だったと。
 「やっぱりそこですね。やりたくない仕事をやらされたことです。一度は、日本テレビで情報部門を極めようと思いましたが、ダメでした。きっと、わがままなんでしょうね。わがままというか不器用というか。なんか、そういう気分で一生行きたくない、というのがあったんです。ずっと子供のころから自由にやってきたので、自由じゃなくなった瞬間から自由になりたくなったって感じですね」

 ―それで、次にソニーに転職しました。森川さんは、昔のソニーのカルチャーを評価されていましが、実際入ってみて思っていたイメージと違いましたか?そんなに長く在籍していませんよね。
 「やっぱり大企業ですからね。僕が最初に入ったのはテレビとかオーディオのネットワーク化戦略の事業部門だったんです。何ですかね、僕が外部から来たこともあったんでしょうけれど、なかなか動かなかったですね」

 ―その時のトップは出井(伸之氏)さんですか。
 「はい出井さんです。多分、出井さんに戦略があってもカンパニー制だったので、カンパニー長はもうおじさんでネットワークもよく分かっていない。既存のテレビやオーディオは売れてましたから、ネット戦略をやるべきという総論に対して各論は少なかった。なので、そのカンパニーはなかなか進まないので、そこを出て通信のカンパニーに移りました」

 ―そこでも自分のやりたい時間軸で動かず、ソニーでの限界を感じたということですか。
 「決済ルールとかすごく細かいし。あとは、初年度100億円の売り上げが出ない事業はソニーはやるべきではないという感覚で、なかなか気軽に何かやってみましょうという雰囲気ではなかったですよね」

 ―基本的に自由人なんですね。
 「そうです」

 ―でも社長業は結構、縛られるんじゃないですか。
「LINE時代は結構、大変だったんですけど、今は随分、楽ですよ」

 ―退任されてからはヒカリエ(LINEの本社)に行きましたか?「顧問」という肩書きですが。
 「はい、行きました。まだ入館カードも持ってますし。僕が出ていかないとまとまらないときとか。僕の頃からつながった人脈の場合、『森川を出せ!』というのはあるので。最近は、お断りしているようにしていますが(笑)」

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明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役ブランドコミュニケーション担当
最近、森川さんの話を聞く機会が多かった。これまでゆっくり取材などをすることはなかったので、すごく飄々としたフットワークの軽い方、という印象が強かった。でも、本当の正体を知らなかったのだ。実に懐が深い経営者である。さすが様々な修羅場を経験されてこられただけのことはある。森川さんの言葉が一つひとつ本質的で鋭い。先日も森川さんと、ディー・エヌ・エーの南場さんの対談に立ち会ったが、南場さんも改めて森川さんの凄さを感じ取っていた様子だった。これからの「C CHANNEL」に大注目。

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