「秋田の風を、秋田のために生かす」 100年に一度のチャンスを逃すな
風力発電事業にかける企業経営者の思い重なる
「秋田の風を、秋田のために生かす」。風力発電事業にかける秋田県の企業経営者たちの思いだ。強い風が吹く同県には全国トップ級の190基の風車が稼働するが、ほとんどを県外企業が所有し、売電収入の利益が県外へ流出している。自ら風車の建設に乗りだした県内企業は、風がもたらす富を秋田にとどめ、風力を地域経済再浮上の起爆剤にする。
1日、能代市で風車17基が運転を始めた。地元9社と市が出資する「風の松原自然エネルギー」(能代市)が運営する風力発電だ。
9社は風車の素人ばかり。その1社の大森建設(同)は約15年前に一度、県外企業の風車の基礎工事に携わった。同社の大森三四郎社長は「厄介者の風で発電事業ができる。いいなと思ったが、高嶺の花だった」と振り返る。風力発電事業は投資額が大きく、事業は長期に及ぶことから投資回収リスクがある。地元企業が手を出せる事業でなかった。
転機は2012年7月、再生可能エネルギーの固定価格買取制度(FIT)の開始だった。20年間、発電した電力を同じ価格で買い取ってもらえるため参入障壁が下がった。早速、県が風力発電事業者に貸し出す県有地の抽選に応募。高倍率だったが当選した。
喜びつつも「地元の風を1社で独占していいのか」と思い、8社と市に呼びかけて風の松原自然エネルギーを設立。能代市民からも出資を募ろうと、窓口となるファンドを作った。銀行からも資金を調達し、事業費160億円を用意できた。
風車は日立パワーソリューションズ(茨城県日立市)が建設し、電力会社への売電で得た利益は出資する9社と市、市民で分け合う。「地元の風を地元に生かせる。20年間の発電事業は新入社員のためにもなる」と目を細める。売電は経営の支えとなり、新入社員の将来への不安を取り払う。風力発電は次世代への投資だ。
男鹿市でも県内企業による風力発電が始まった。石材加工・施工業の寒風(男鹿市)と4社が出資する「風の王国・男鹿」の風車4基が11月、稼働した。
計画当初の12年、資本金は300万円だった。寒風の鈴木博常務は「本当に地元だけでやれるのか」と不安だった。次第に出資者が増え、資本金を4000万円に増額できた。銀行からも資金を借り、運転にこぎ着けた。
売電収入があっても「本業をしっかりやりながら納税し、地域に貢献する」と語る。売電も含めた税金が住民サービスに回って地域に活力が生まれれば、地元企業の仕事も増える。勢い良く回る風車で地元に“富の循環”を作る。
秋田県は全国最速で人口減少が進む。ここ10年間は年1万人以上のペースで減り、100万人割れが目前。地域経済を支えた非鉄鉱業や石油産業が撤退や縮小し、県内総生産は東北6県で最低、全国でも下位に沈む。
地元の金融機関も危機感を抱く。貸し先が細る一方だと地域のお金の流れが滞り、地盤沈下に拍車がかかる。停滞から抜け出そうと、地元銀行も巨額資金が必要な風力へと舵を切った。
北都銀行が音頭をとって12年、風力発電専業のウェンティ・ジャパン(秋田市)を立ち上げた。同社の佐藤裕之社長は「20年前、秋田に戻った時、疲弊ぶりにがくぜんとした」と振り返る。
佐藤社長は東京でIRコンサルタントをしていたが、自分の手で事業をしたくなって実家の羽後設備に入社した。08年、風力発電を検討したが「費用がかかり、非現実的」と思いとどまった。
北都銀の町田睿(さとる)会長もUターン組だ。都市銀行、他県の地銀を経て09年に北都銀へ移ると、約40年ぶりの故郷は危機感がない「豊かさに慣れきったゆでガエル」だった。風力の可能性を知り「風は秋田の資源。地方再生に活用したい」と考えた。佐藤氏の思いと重なり、ウェンティ・ジャパンを設立した。
同社は県外企業と連携しながら不足する知見を補う。ただし、県外企業に事業へ出資してもらっても「地元がメジャー(主要)であることが、最大のこだわり」(佐藤社長)だ。潟上市の22基をはじめ40基近い風車建設を計画する。
「いずれ部品製造のクラスターを秋田に作りたい」と話す。風車には自動車と同じ2万点の部品が使われる。風車の設置が増えると、部品を建設地近くで生産する必要性が出てくる。交換部品の需要も定期的に発生するので、地元製造業の出番がやってくる。
秋田銀行は13年、県内5社と風力発電専業の「A―WIND ENERGY」(秋田市)を設立した。同行出身の千田邦宏社長は「秋田の気候は太陽光発電よりも風力に適している。地元資本だけで会社をやりたかった」と経緯を話す。また「5社には若者の就職の場を作りたい強い思いがあるはずだ。何かしらの形で波及すればいい」と願う。
A―WINDは初プロジェクトとして潟上市に風車17基を建設し、19年から発電事業を始める予定だ。「5社は月1―2度会合を開いてやってきた。まずまずのスピード」と手応えを語る。
地元企業が取り組む効果が表れている。風車の設置増加に応え、日立パワーソリューションズは17年1月、能代市に風車の保守拠点を稼働させる。春には市内の高校生3人が入社予定だ。まだ小さいが、雇用の受け皿ができた。地域再生の羽根が回り始めた。
秋田市内で美容室を営む山本久博氏も風力推進者の一人だ。美容師の傍ら地元ソーラーカーレースの発起人を務め、01年には自らソーラーカーを操ってシベリアを走破した経験の持ち主だ。
08年にNPO法人代表として、県内の海岸線に風車1000基を建てる構想を発表した。荒唐無稽と思われたが、実現に向け追い風が吹いている。「風の王国・男鹿」も山本氏の発案と人脈からできた事業だ。
山本氏は秋田沖での洋上風力の構想も打ち出した。海底の地形、漁場を調べると426基を設置可能という。「秋田にとって100年に一度のチャンス」と実現を訴える。洋上風力の建設地を書いた地図が、秋田の将来図かもしれない。
能代市で風車17基が運転始める
1日、能代市で風車17基が運転を始めた。地元9社と市が出資する「風の松原自然エネルギー」(能代市)が運営する風力発電だ。
9社は風車の素人ばかり。その1社の大森建設(同)は約15年前に一度、県外企業の風車の基礎工事に携わった。同社の大森三四郎社長は「厄介者の風で発電事業ができる。いいなと思ったが、高嶺の花だった」と振り返る。風力発電事業は投資額が大きく、事業は長期に及ぶことから投資回収リスクがある。地元企業が手を出せる事業でなかった。
転機は2012年7月、再生可能エネルギーの固定価格買取制度(FIT)の開始だった。20年間、発電した電力を同じ価格で買い取ってもらえるため参入障壁が下がった。早速、県が風力発電事業者に貸し出す県有地の抽選に応募。高倍率だったが当選した。
喜びつつも「地元の風を1社で独占していいのか」と思い、8社と市に呼びかけて風の松原自然エネルギーを設立。能代市民からも出資を募ろうと、窓口となるファンドを作った。銀行からも資金を調達し、事業費160億円を用意できた。
風車は日立パワーソリューションズ(茨城県日立市)が建設し、電力会社への売電で得た利益は出資する9社と市、市民で分け合う。「地元の風を地元に生かせる。20年間の発電事業は新入社員のためにもなる」と目を細める。売電は経営の支えとなり、新入社員の将来への不安を取り払う。風力発電は次世代への投資だ。
男鹿市でも県内企業による風力発電が始まった。石材加工・施工業の寒風(男鹿市)と4社が出資する「風の王国・男鹿」の風車4基が11月、稼働した。
計画当初の12年、資本金は300万円だった。寒風の鈴木博常務は「本当に地元だけでやれるのか」と不安だった。次第に出資者が増え、資本金を4000万円に増額できた。銀行からも資金を借り、運転にこぎ着けた。
売電収入があっても「本業をしっかりやりながら納税し、地域に貢献する」と語る。売電も含めた税金が住民サービスに回って地域に活力が生まれれば、地元企業の仕事も増える。勢い良く回る風車で地元に“富の循環”を作る。
100万人割れが目前、銀行も危機感
秋田県は全国最速で人口減少が進む。ここ10年間は年1万人以上のペースで減り、100万人割れが目前。地域経済を支えた非鉄鉱業や石油産業が撤退や縮小し、県内総生産は東北6県で最低、全国でも下位に沈む。
地元の金融機関も危機感を抱く。貸し先が細る一方だと地域のお金の流れが滞り、地盤沈下に拍車がかかる。停滞から抜け出そうと、地元銀行も巨額資金が必要な風力へと舵を切った。
北都銀行が音頭をとって12年、風力発電専業のウェンティ・ジャパン(秋田市)を立ち上げた。同社の佐藤裕之社長は「20年前、秋田に戻った時、疲弊ぶりにがくぜんとした」と振り返る。
佐藤社長は東京でIRコンサルタントをしていたが、自分の手で事業をしたくなって実家の羽後設備に入社した。08年、風力発電を検討したが「費用がかかり、非現実的」と思いとどまった。
豊かさに慣れきったゆでガエル
北都銀の町田睿(さとる)会長もUターン組だ。都市銀行、他県の地銀を経て09年に北都銀へ移ると、約40年ぶりの故郷は危機感がない「豊かさに慣れきったゆでガエル」だった。風力の可能性を知り「風は秋田の資源。地方再生に活用したい」と考えた。佐藤氏の思いと重なり、ウェンティ・ジャパンを設立した。
同社は県外企業と連携しながら不足する知見を補う。ただし、県外企業に事業へ出資してもらっても「地元がメジャー(主要)であることが、最大のこだわり」(佐藤社長)だ。潟上市の22基をはじめ40基近い風車建設を計画する。
「いずれ部品製造のクラスターを秋田に作りたい」と話す。風車には自動車と同じ2万点の部品が使われる。風車の設置が増えると、部品を建設地近くで生産する必要性が出てくる。交換部品の需要も定期的に発生するので、地元製造業の出番がやってくる。
秋田銀行は13年、県内5社と風力発電専業の「A―WIND ENERGY」(秋田市)を設立した。同行出身の千田邦宏社長は「秋田の気候は太陽光発電よりも風力に適している。地元資本だけで会社をやりたかった」と経緯を話す。また「5社には若者の就職の場を作りたい強い思いがあるはずだ。何かしらの形で波及すればいい」と願う。
A―WINDは初プロジェクトとして潟上市に風車17基を建設し、19年から発電事業を始める予定だ。「5社は月1―2度会合を開いてやってきた。まずまずのスピード」と手応えを語る。
地元企業が取り組む効果が表れている。風車の設置増加に応え、日立パワーソリューションズは17年1月、能代市に風車の保守拠点を稼働させる。春には市内の高校生3人が入社予定だ。まだ小さいが、雇用の受け皿ができた。地域再生の羽根が回り始めた。
海岸線・洋上風車1426基構想
秋田市内で美容室を営む山本久博氏も風力推進者の一人だ。美容師の傍ら地元ソーラーカーレースの発起人を務め、01年には自らソーラーカーを操ってシベリアを走破した経験の持ち主だ。
08年にNPO法人代表として、県内の海岸線に風車1000基を建てる構想を発表した。荒唐無稽と思われたが、実現に向け追い風が吹いている。「風の王国・男鹿」も山本氏の発案と人脈からできた事業だ。
山本氏は秋田沖での洋上風力の構想も打ち出した。海底の地形、漁場を調べると426基を設置可能という。「秋田にとって100年に一度のチャンス」と実現を訴える。洋上風力の建設地を書いた地図が、秋田の将来図かもしれない。
日刊工業新聞2016年12月26日