「水の都・東京」水道橋ー羽田空港間、船の旅
国交省の舟運社会実験を体験乗船
水の都「東京」。その東京には未だ約60もの運河が沿岸部に張り巡らされ、全国的にも類を見ない数の多さを誇る。
東京(江戸)の運河の歴史は徳川家康が江戸城に入城し、兵糧としての塩を確保するめに旧中川から隅田川まで小名木川運河を開削させた事に始まる。江戸時代から明治時代にかけては物資輸送や、交通手段として盛んに利用され、人々の生活に欠かせないものとなっていった。
だが、大正時代に入ると物流は運河を利用した船運から陸上の鉄道やトラック輸送へのシフトが始まる。第一次世界大戦では鉄道による物資輸送が増え、続く関東大震災では都心部の残土処理のために幾つもの運河が埋め立てられてしまった。
また第二次世界大戦後は高度成長にあわせ東京港などの貨物量は急増したものの、陸上輸送の利便性が高まり運河の利用は大幅な減少をたどる。
しかし近年は水辺の環境を活かした運河の再開発や、増加をたどるインバウンド向けの新たな観光資源として舟運が注目され始めた。
そんな中、国土交通省は第3次春季舟運社会実験の基幹コースの一つとして5月ー6月までの2ヶ月間、水道橋付近の新三崎橋防災船着場(千代田区)から羽田空港船着場(大田区)を経由し、ぷかり桟橋(横浜市)間の乗船参加者(有料)の募集し話題になっている。
今回はそのうちの1区間、水道橋ー羽田空港間を体験乗船した。船着き場は水道橋駅西口から徒歩数分、日本橋川に架かる三崎橋を渡った先に乗船場がある。
眼下には新造船の「Jetsailor」号がすでに停泊しており、付近をゆく人も見慣れない船を目にし係員に運転形態の質問をしたり、スマホを取りだし撮影する姿が見られた。
出船15分前になると係員の案内が始まり、注意事項などを受けたのち出港となった。船は出港すると同時に早速一つ目の難関に向き合う事になる。目の前にある三崎橋の桁下と船の屋根のクリアランスがなんと10センチメートル程度で(潮位により変化)、頭を撫でられるように進むスリルは今まで経験したことがない感覚を味わえる。
船は50メートルほど先の神田川を右へ曲がり次々と現れる低い橋の下をゆくりとくぐり抜けていく。御茶ノ水駅付近では地下鉄・丸ノ内線が川を渡る橋があり、しばし船を止め通過する電車を見学させてくれる。
正面に「柳橋」が見える頃、花街として栄えたなごりか、川の左右には華やかな屋形船や釣り船が隙間なく停泊する難所を迎える。後部の船員は長い棒を持ち風に揺られ、ぶつかりそうな船があると船を突き避けながら隅田川へと進む。隅田川に出ると左手に東京スカイツリーが見え、船は右に大きく舵を切り、今までとは違う力強いエンジン音とともに白い水しぶきを上げ東京湾を目指す。
頭上には「両国橋」、「新大橋」、「清洲橋」、「隅田川大橋」、「永代橋」、「中央大橋」、「佃大橋」と名だたる橋をくぐり抜け、隅田川に架かる最後の橋「勝鬨橋」(跳開橋)を過ぎると右手には築地市場や東京タワー、そして本年度開通予定の「築地大橋」が現れる。
そして気づけば前方に優雅な「レインボーブリッジ」の姿が。高さ52メートルの橋の下をゆっくりと進み、船は右、そして左へと向きを変え京浜運河へ向かう。
運河に入ると東海道新幹線の大井車庫へ続く橋を過ぎ、天王洲アイル駅を超えた辺りからは右手に東京モノレールが行き交う姿が何度か見ることができる。また、東京モノレールの後ろ側に平行して走る道路は首都高速道路羽田線で、近年老朽化のために架け替えの準備工事が進められている。
5年後、10年後には大きく姿を変えた新しい首都高速道路が現れているはずで、変貌前の姿を今のうちに記録として残したい場所だ。
そして京浜運河も終わりに近づく頃、視界の彼方に羽田空港が見え始め、羽を休める機体が見える。橋をくぐると船は中央部を迂回するように進む。海の中央部は潮が引くと干潟が現れるほどの浅瀬となっており、不自然な波が立つ中に目をこらすと浅瀬が現れた。
船はゆっくりと浅瀬をかわし海老取川へ向かうが、前方に何やら不思議な建造物が目に映り込んでくる。その建造物は現在使用していない首都高速の可動橋で、開通からわずか4年ほど使用しただけのもの。その開いたままの可動橋に「これは凄いなー、東京湾に可動橋が有るなんて今まで知らなかったよ」と慌ててカメラに収める乗客の姿も。
「穴守橋」を過ぎると左手には災害時に人や緊急物資を運ぶための水上輸送拠点「羽田空港天空橋船着場」。これは大田区が建設したもので平常時は観光振興を目的・舟運事業等に使用されている。
そして大河広がる多摩川へ出る最後の橋「弁天橋」にさしかかる頃、左前方に真っ赤な鳥居、旧穴守神社の「羽田大鳥居」が見える。その大鳥居を眺めながら船は羽田国際ターミナルの見える左へと舵を切り河口へと出る。
ここから羽田港船着き場までラストスパート。しかしスピードは上がるどころか水路を現す水面から伸びるさお竹に導かれる中、水深計は1.5メートルを切る表示に手に汗を握る。風に煽られ少しでも油断すれば即座に座礁となる中、微妙なエンジンコントロールにより無事羽田空港船着場に接岸する事が出来た。
(文・写真=田山浩一)
東京(江戸)の運河の歴史は徳川家康が江戸城に入城し、兵糧としての塩を確保するめに旧中川から隅田川まで小名木川運河を開削させた事に始まる。江戸時代から明治時代にかけては物資輸送や、交通手段として盛んに利用され、人々の生活に欠かせないものとなっていった。
だが、大正時代に入ると物流は運河を利用した船運から陸上の鉄道やトラック輸送へのシフトが始まる。第一次世界大戦では鉄道による物資輸送が増え、続く関東大震災では都心部の残土処理のために幾つもの運河が埋め立てられてしまった。
また第二次世界大戦後は高度成長にあわせ東京港などの貨物量は急増したものの、陸上輸送の利便性が高まり運河の利用は大幅な減少をたどる。
しかし近年は水辺の環境を活かした運河の再開発や、増加をたどるインバウンド向けの新たな観光資源として舟運が注目され始めた。
そんな中、国土交通省は第3次春季舟運社会実験の基幹コースの一つとして5月ー6月までの2ヶ月間、水道橋付近の新三崎橋防災船着場(千代田区)から羽田空港船着場(大田区)を経由し、ぷかり桟橋(横浜市)間の乗船参加者(有料)の募集し話題になっている。
今回はそのうちの1区間、水道橋ー羽田空港間を体験乗船した。船着き場は水道橋駅西口から徒歩数分、日本橋川に架かる三崎橋を渡った先に乗船場がある。
眼下には新造船の「Jetsailor」号がすでに停泊しており、付近をゆく人も見慣れない船を目にし係員に運転形態の質問をしたり、スマホを取りだし撮影する姿が見られた。
出船15分前になると係員の案内が始まり、注意事項などを受けたのち出港となった。船は出港すると同時に早速一つ目の難関に向き合う事になる。目の前にある三崎橋の桁下と船の屋根のクリアランスがなんと10センチメートル程度で(潮位により変化)、頭を撫でられるように進むスリルは今まで経験したことがない感覚を味わえる。
船は50メートルほど先の神田川を右へ曲がり次々と現れる低い橋の下をゆくりとくぐり抜けていく。御茶ノ水駅付近では地下鉄・丸ノ内線が川を渡る橋があり、しばし船を止め通過する電車を見学させてくれる。
正面に「柳橋」が見える頃、花街として栄えたなごりか、川の左右には華やかな屋形船や釣り船が隙間なく停泊する難所を迎える。後部の船員は長い棒を持ち風に揺られ、ぶつかりそうな船があると船を突き避けながら隅田川へと進む。隅田川に出ると左手に東京スカイツリーが見え、船は右に大きく舵を切り、今までとは違う力強いエンジン音とともに白い水しぶきを上げ東京湾を目指す。
頭上には「両国橋」、「新大橋」、「清洲橋」、「隅田川大橋」、「永代橋」、「中央大橋」、「佃大橋」と名だたる橋をくぐり抜け、隅田川に架かる最後の橋「勝鬨橋」(跳開橋)を過ぎると右手には築地市場や東京タワー、そして本年度開通予定の「築地大橋」が現れる。
そして気づけば前方に優雅な「レインボーブリッジ」の姿が。高さ52メートルの橋の下をゆっくりと進み、船は右、そして左へと向きを変え京浜運河へ向かう。
運河に入ると東海道新幹線の大井車庫へ続く橋を過ぎ、天王洲アイル駅を超えた辺りからは右手に東京モノレールが行き交う姿が何度か見ることができる。また、東京モノレールの後ろ側に平行して走る道路は首都高速道路羽田線で、近年老朽化のために架け替えの準備工事が進められている。
5年後、10年後には大きく姿を変えた新しい首都高速道路が現れているはずで、変貌前の姿を今のうちに記録として残したい場所だ。
そして京浜運河も終わりに近づく頃、視界の彼方に羽田空港が見え始め、羽を休める機体が見える。橋をくぐると船は中央部を迂回するように進む。海の中央部は潮が引くと干潟が現れるほどの浅瀬となっており、不自然な波が立つ中に目をこらすと浅瀬が現れた。
船はゆっくりと浅瀬をかわし海老取川へ向かうが、前方に何やら不思議な建造物が目に映り込んでくる。その建造物は現在使用していない首都高速の可動橋で、開通からわずか4年ほど使用しただけのもの。その開いたままの可動橋に「これは凄いなー、東京湾に可動橋が有るなんて今まで知らなかったよ」と慌ててカメラに収める乗客の姿も。
「穴守橋」を過ぎると左手には災害時に人や緊急物資を運ぶための水上輸送拠点「羽田空港天空橋船着場」。これは大田区が建設したもので平常時は観光振興を目的・舟運事業等に使用されている。
そして大河広がる多摩川へ出る最後の橋「弁天橋」にさしかかる頃、左前方に真っ赤な鳥居、旧穴守神社の「羽田大鳥居」が見える。その大鳥居を眺めながら船は羽田国際ターミナルの見える左へと舵を切り河口へと出る。
ここから羽田港船着き場までラストスパート。しかしスピードは上がるどころか水路を現す水面から伸びるさお竹に導かれる中、水深計は1.5メートルを切る表示に手に汗を握る。風に煽られ少しでも油断すれば即座に座礁となる中、微妙なエンジンコントロールにより無事羽田空港船着場に接岸する事が出来た。
(文・写真=田山浩一)
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