「凡百の議論より実践」を好んだ住友グループの顔

元住友銀行頭取・堀田庄三

 「凡百の議論より実践」―。19年もの長期間、住友銀行(現三井住友銀行)の頭取を務め、“住銀の法皇”として知られたのが堀田庄三。当時の4大銀行最下位にあった住銀をトップバンクに育て上げたほか、住友グループの重鎮として、強烈な指導力を発揮した。

 愛知県名古屋市生まれ。若い頃は小説家、京都帝国大学(現京都大学)時代は外交官を志望した堀田だが、1926年住銀に入行。

 大蔵省(現財務省)や日銀を担当する「MOF担」の先駆的存在として知られた。52年、頭取に就任すると、当時の銀行業界にはびこっていた横並び意識を打破すべく、「堅実・健全な経営」「情実・因縁にとらわれない合理的かつ公正な経営の貫徹」「凡百の議論より実践」という3カ条を策定。合理化と効率化を徹底した。

 堀田が打ち出した戦略経営のひとつが、“外延企業作戦”。住友直系だけでなく、松下電器産業(現パナソニック)や武田薬品工業、コマツ、ブリヂストンといったグループ外の主要企業に対して取引を拡大。そんな“堀田イズム”は収益力最高の銀行を築き上げ、住銀の「中興の祖」となった。

 財界活動では、日本特殊鋼管(現新日鉄住金)社長の大塚万丈らとともに、経済同友会設立に奔走。47年に代表幹事を務めたほか、住友グループの重鎮として住友家評議員会委員長などを歴任。“住友の顔”と言える。
(敬称略)

※日刊工業新聞では毎週金曜日に「近代日本の産業人」を連載中

日刊工業新聞2016年1月22日4面
日刊工業新聞電子版

明 豊

明 豊
01月25日
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「住友銀行中興の祖」といえば磯田一郎氏が真っ先に浮かぶが、それ以前に掘田氏が基盤を築いた。今、「三井住友銀行」の最大の企業案件といえば東芝(もともとは三井グループ)の再建だろう。

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