「意思あれば道あり、あきらめないで」日本初の女性旅客機機長が講演
JALの藤明里機長、エアショーでダイバーシティーを語る
5000人中、わずか50人――。
日本の航空会社に勤務するパイロットの数と、そのうちの女性の人数だ。女性の機長に限れば、わずか4人しかいないという。日本の「空」はまだまだ男性中心の社会といえる。
そんな中、日本初の女性旅客機機長として活躍する日本航空(JAL)の藤明里(ふじ・あり)機長(47)が、6月中旬にフランスで開催された「パリ国際航空ショー」の会場内で講演した。藤機長は1999年にジャルエクスプレス(現JAL)に入社後、10年7月、女性では日本で初めてとなる機長に昇進した。現在は、小型旅客機の「ボーイング737」の機長として、国内線を中心に乗務しているという。
ショー会場内で開かれた「国際航空女性協会」(IAWA)の総会で登壇した藤機長は、操縦免許を取得するために大学卒業後に単身渡米した過去や、パイロットになってから幾多の偏見にさらされてきたことなど、自身の体験を披露。その上で、「男女の能力に差はない。女性が働くことで社会に利益があると思ってもらえるようになれば、みんなの意識は変わる」と訴えかけた。スピーチの後、記者団の質問には「だれでもパイロットになるチャンスはある。あきらめないでほしい」と、航空業界を目指す女性らにエールを送った。
ニュースイッチでは、藤機長のスピーチの要旨を掲載する。
◇ ◇
皆さん、こんにちは。日本航空でボーイング737-800型機の機長をしている藤明里です。このようなスピーチの機会をいただき、ありがとうございます。
現在、日本の航空会社で働くパイロットは約5000人。そのうち、女性は50人ほどです。その中で、女性の機長は、私を含め4人しかいません。女性の社会進出が進んできているとはいえ、まだまだ女性でパイロットになる人は限られます。そもそも、パイロットに女性がなれると考える人が少ないのではないかと感じています。
まず、私がパイロットを目指した頃の話から始めたいと思います。日本でエアラインのパイロットになる方法は、航空会社の自社養成制度に参加するか、航空大学校に入る方法の二つしかありません。そのころ、女性のエアラインパイロットは一人もいない時代でしたが、乗り物全般が好きだった私は、将来の仕事の選択肢の一つにしていました。
しかし、いざその道に進もうとしてみると、自社養成は門前払い。電話の向こうの担当者からは「大変申し訳ありませんが、当社では女性パイロットを養成することは考えておりません」と言われました。また、航空大学校は、身長制限にあと8センチメートル足りず、受験できませんでした。
身長制限のことを父に話すと、父は、そのころにいたある相撲の力士が、力士になるための身長基準に満たず一度目は試験に落ち、頭にシリコンを入れて受験しなおし、晴れてプロの力士になったという話を持ち出し、おまえもそうしたらどうかと提案してきました。
もちろん、即却下です(笑)20歳前後の未婚の女性が、それをいいアイデアだと言うはずがありません。もちろん、冗談だったのでしょうが・・・。
日本でパイロットになる選択肢はないと思い、とりあえず、パイロットの免許を取るために米国に行くことにしました。空を飛ぶことがどんなものかも知りませんでしたが、何か新しい道を見つけられるかもしれない、と思ったのです。
米国に行き、FAA(米連邦航空局)のライセンスを取得してみると、パイロットになりたい、という気持ちがますます強くなりました。飛行訓練は楽ではありませんでしたが、飛ぶことの楽しさを知ってしまった感じでした。そして、パイロットの仕事は自分に向いている、と考えるようになりました。
ただ、それからエアラインのパイロットになるまでの道のりは長いものでした。FAAのライセンスを持っているからといって、すぐにパイロットの職に就けるわけではありません。OLをしながらお金を貯め、日本でも(操縦の)ライセンスを取得して、来たるべきチャンスを待ちました。
そして、ついにそのチャンスが訪れました。JALの子会社(旧ジャルエクスプレス、現JAL)が、日本の航空会社では初めて、ライセンスを取得していればだれでも応募できる入社試験を実施することになったのです。私にとっては、待ち焦がれたビッグチャンス。絶対に受かるという気持ちで、必死に努力しました。そして、その強い思いは、現実につながりました。
日本の航空会社に勤務するパイロットの数と、そのうちの女性の人数だ。女性の機長に限れば、わずか4人しかいないという。日本の「空」はまだまだ男性中心の社会といえる。
そんな中、日本初の女性旅客機機長として活躍する日本航空(JAL)の藤明里(ふじ・あり)機長(47)が、6月中旬にフランスで開催された「パリ国際航空ショー」の会場内で講演した。藤機長は1999年にジャルエクスプレス(現JAL)に入社後、10年7月、女性では日本で初めてとなる機長に昇進した。現在は、小型旅客機の「ボーイング737」の機長として、国内線を中心に乗務しているという。
ショー会場内で開かれた「国際航空女性協会」(IAWA)の総会で登壇した藤機長は、操縦免許を取得するために大学卒業後に単身渡米した過去や、パイロットになってから幾多の偏見にさらされてきたことなど、自身の体験を披露。その上で、「男女の能力に差はない。女性が働くことで社会に利益があると思ってもらえるようになれば、みんなの意識は変わる」と訴えかけた。スピーチの後、記者団の質問には「だれでもパイロットになるチャンスはある。あきらめないでほしい」と、航空業界を目指す女性らにエールを送った。
ニュースイッチでは、藤機長のスピーチの要旨を掲載する。
◇ ◇
皆さん、こんにちは。日本航空でボーイング737-800型機の機長をしている藤明里です。このようなスピーチの機会をいただき、ありがとうございます。
現在、日本の航空会社で働くパイロットは約5000人。そのうち、女性は50人ほどです。その中で、女性の機長は、私を含め4人しかいません。女性の社会進出が進んできているとはいえ、まだまだ女性でパイロットになる人は限られます。そもそも、パイロットに女性がなれると考える人が少ないのではないかと感じています。
まず、私がパイロットを目指した頃の話から始めたいと思います。日本でエアラインのパイロットになる方法は、航空会社の自社養成制度に参加するか、航空大学校に入る方法の二つしかありません。そのころ、女性のエアラインパイロットは一人もいない時代でしたが、乗り物全般が好きだった私は、将来の仕事の選択肢の一つにしていました。
しかし、いざその道に進もうとしてみると、自社養成は門前払い。電話の向こうの担当者からは「大変申し訳ありませんが、当社では女性パイロットを養成することは考えておりません」と言われました。また、航空大学校は、身長制限にあと8センチメートル足りず、受験できませんでした。
身長制限のことを父に話すと、父は、そのころにいたある相撲の力士が、力士になるための身長基準に満たず一度目は試験に落ち、頭にシリコンを入れて受験しなおし、晴れてプロの力士になったという話を持ち出し、おまえもそうしたらどうかと提案してきました。
もちろん、即却下です(笑)20歳前後の未婚の女性が、それをいいアイデアだと言うはずがありません。もちろん、冗談だったのでしょうが・・・。
日本でパイロットになる選択肢はないと思い、とりあえず、パイロットの免許を取るために米国に行くことにしました。空を飛ぶことがどんなものかも知りませんでしたが、何か新しい道を見つけられるかもしれない、と思ったのです。
米国に行き、FAA(米連邦航空局)のライセンスを取得してみると、パイロットになりたい、という気持ちがますます強くなりました。飛行訓練は楽ではありませんでしたが、飛ぶことの楽しさを知ってしまった感じでした。そして、パイロットの仕事は自分に向いている、と考えるようになりました。
ただ、それからエアラインのパイロットになるまでの道のりは長いものでした。FAAのライセンスを持っているからといって、すぐにパイロットの職に就けるわけではありません。OLをしながらお金を貯め、日本でも(操縦の)ライセンスを取得して、来たるべきチャンスを待ちました。
そして、ついにそのチャンスが訪れました。JALの子会社(旧ジャルエクスプレス、現JAL)が、日本の航空会社では初めて、ライセンスを取得していればだれでも応募できる入社試験を実施することになったのです。私にとっては、待ち焦がれたビッグチャンス。絶対に受かるという気持ちで、必死に努力しました。そして、その強い思いは、現実につながりました。
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