「アンドロイド」を使って感じる「ウィンドウズ」の凄さ

使いはじめると、すぐにスマホの限界に突き当たる

 パソコンの勃興期-といっても、さほど昔のことではない。1995年の「ウィンドウズ95」から2001年の「ウィンドウズXP」を経て、「ウィンドウズVista」が発売された2006年までの約10年間が、そう呼べるだろう。

 当時は数多くのパソコン雑誌が生まれ、そこを根城にしていたフリーのライターが、これまた数多くいた。彼らは「ウィンテル」のビジョンの分析や今後の戦略を予想するとともに、パソコンの技術面にも厳しい批判を寄せた。それらは新聞メディアが求める記事とは違ったが、ひとりの読者としてはまとこに興味深かった。

 スマートフォン全盛の今もテクニカル・ライターはいるし、「お勧めのアプリ」のような記事はよく見る。しかしアンドロイドの欠点や今後の戦略について、パソコン時代のような読み応えのある記事に出会わなくなったのは、なぜだろうか。

 アンドロイドのアプリが充実し、音楽や動画、メールやテキストデータのやりとりなど、日常的に情報機器に求められる機能を果たせるようになった。マンガぐらいはタブレットで描画できるし、キーボードやマウスなどの入出力機器を接続すれば簡単な表計算すら可能である。しかも価格はパソコンの数分の一ですむ。

 ただ、これはスペック上のものでしかない。使いはじめると、すぐにスマホの限界に突き当たる。電子書籍の閲読を例にしよう。epub形式の一般的な電子書籍と、青空文庫などの著作権切れtxtデータ。jpgやpng形式のアートブックと、仕事の上でやりとりするpdfファイル。これらすべてをカバーするアプリはなく、目的別に用意しなければならないのが実情だ。

 音楽や動画となれば静止画以上に形式が多いので、再生できるアプリ探しに苦労する。しかもアンドロイドのバージョン制限や、機種ごとの相性でインストールできないアプリもある。

 確かにパソコンにも似たような問題はあるだろう。しかしパソコンの場合、一般にソフトの汎用性は高く、プロパティを調整したりコーデックパックをインストールしたりすればすむケースが少なくない。

 スマホのアプリは、そんな複雑な機能は持ち合わせていないから、どうしてもかゆいところに手が届かない。またOS(基本ソフト)のバージョンが同じでも、機種によってソフトがインストールできないような問題は、少なくとも近年のウィンドウズにはないだろう。

 ウィンドウズも「95」より前、「3.1」の時代は今のスマホと似たようなモノだった記憶がある。数多くの批判をあびながら、マイクロソフトは改良を重ね、今日のような安定感を獲得したわけだ。そこにウィンドウズの凄さがある。

 なぜ欠点だらけのアンドロイドがあまり批判されず、グーグルの戦略や将来ビジョンがもっと分析されないのか、不思議に思えてならない。スマホのユーザーは、パソコンほどの多様性や万能性を求めていないからなのかも知れない。
(文=加藤正史)

日刊工業新聞2017年8月31日

加藤 正史

加藤 正史
09月02日
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近年のマイクロソフトの動きを見ていると、ウィンドウズが築き上げた歴史的成果がいつまで維持できるか、不安に思えてしまう。すでに「XP」が消え、現代の世界標準といえる「ウィンドウズ7」もサポート終了のカウントダウンが進んでいる。コンピューターのOSの統一はユニックスの時代から技術者たちの夢だった。しかしマイクロソフトの歴史は、一度は世界のOSを統一しても、あっけないぐらい短期間でまた分裂してしまうことを示している。10年後の未来を見通せないIT革命の激動は、パソコンの隆盛期も今も同じなのである。

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