江戸時代から続いた印旛沼との戦い―自然災害を克服してきた歴史と新たな展開

印旛沼開拓事業および印旛沼開発事業(1946年着工、1969年完成)
 千葉県北部に位置する印旛沼は、江戸時代から洪水被害に苦しんでおり、明治、大正、昭和と先人たちが洪水対策の工事に挑み続けてきた歴史がある。1969年に長年の悲願であった「印旛沼開発事業」が完成し、洪水被害は大きく減った。現在、2010年から「国営印旛沼二期農業水利事業」として、老朽化が進んだ農業用用排水機場や用排水路の改修・更新と合わせ、印旛沼の水質保全のため循環かんがい施設の整備や、本地域での環境保全型の営農が拡大するよう取り組んでいる。

江戸時代における治水・開発計画


 徳川幕府による利根川の開発計画は、1594年より開始され、1654年には、利根川を常陸川筋に向けて、上流から下流を一本化する「利根川東遷」が完成する。従来、印旛沼に流れ込む河川の増水による内水と、利根川からの逆流による外水により洪水が起こっていた印旛沼は、水の流れが変わったこの東遷以降、洪水がより広範囲におよぶようになったという。

 そこで1724年、平戸村の名主・染谷源右衛門らは、印旛沼の洪水被害を防止し、新田開発を行う目論見書を幕府に提出した。幕府は土木技術に精通した井澤弥惣兵衛らの役人に現地を検分させた後、源右衛門を請負主とする掘割工事の計画を許可し、数千両ともいわれる資金を貸し付けた。

 こうして江戸湾から平戸村までの約17キロメートルの掘割工事が着手されるが、源右衛門および同士78人が負債を抱えたため、工事は頓挫したとされている。

 1780年、幕府からの求めに応じ、草深新田の名主・平左衛門、島田村の名主・治郎兵衛は、地元の普請として、印旛沼の開発のための目論見書を幕府に提出した。これは、平戸村から検見川までの掘割普請、埜原新田から安食村までの利根川からの水を締め切る普請であった。

 これを受け、財政経済政策の一環として、印旛沼の開発に意欲を持っていた老中・田沼意次は、大商人の資金を活用し、幕府直営で実施することを決定した。しかし、工事は浅間山の噴火により、1783年に一時中止し、再開の後、全体の3分の2が進捗(しんちょく)したが、同年の豪雨による利根川の大はん濫により、整備した施設が壊滅状態になった。幕府は工事再開を目指していたが、老中・田沼意次が罷免されると、この掘割工事は潰(つい)えることになる。

 その後も老中・水野忠邦により平戸橋から花見川までの水路開削に着手されたが、これも水野忠邦の失脚などにより1844年、工事は3度目の挫折をみる。

明治・大正期の動き


 江戸期の3度の挫折を乗り越えて、幕末から明治、大正にかけて、印旛沼開発は新たに動きだすことになる。1877年、千葉県令柴原和が内務卿・大久保利通、大蔵卿・大隈重信に印旛沼開削の上申書を提出する。渋沢栄一、金原明善らも名を連ねたこの印旛沼開削計画は、1921年の農務省「印旛沼手賀沼土地利用計画」、1927年の「印旛沼手賀沼大規模開墾計画」につながっていくことになる。

 明治期にも印旛沼周辺住民は、豪雨、氾濫に苦しんでおり、中でも1896年の水害は未曾有のものになり、堤防が決壊し、濁流が村々を襲い、布鎌村、埜原村の被害は甚大だった。数々の水害を機に、利根川の治水対策、改修が行われる。

 1897年、利根川が河川法の適用を受けると、その後、利根川の計画洪水流量が増強された。1922年には印旛沼と利根川をつなぐ長門川に印旛水門が建設され、利根川からの印旛沼への逆水が防止されるなど、一定の洪水対策が講じられた。

国営印旛沼手賀沼干拓事業の実施


 昭和期に入っても、1935年、1938年、1941年に発生した洪水は「3年に一度コメを収穫できればよい」といわれるほど甚大な被害をもたらした。

 戦後、食料増産と失業者対策として、1945年に閣議決定された「緊急干拓事業」の一環として、印旛沼の干拓と内水排除を目的とする農林省直轄の「国営印旛沼手賀沼干拓事業」が1946年に着工されることとなった。

 事業途中、工業用水の需要拡大に対応するため、計画が改定され、印旛沼の中央部を埋め立て、北印旛沼と西印旛沼を捷水路(しょうすいろ)で結ぶとともに、新川と花見川の分岐点に大和田機場、利根川に印旛機場、長門川に酒直水門と酒直機場を設置、併せて調整池周辺に堤防を築く計画となった。

 この「印旛沼開発事業」計画は、1963年に水資源開発公団(現水資源機構)に継承され、1969年に完成をみることになり、洪水に苦しんでいた地元民の長年の悲願が成就した。
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日刊工業新聞2016年2月29日 特集面

COMMENT

昆梓紗
デジタルメディア局
記者・編集者

図にもありますが、グーグルマップで印旛沼を見ると沼が二つに分かれているのがよくわかります。300年近く続いてきた水害との戦いですが、水の恵みを生かし、共存する農業へと発展を遂げつつあるようです。

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