イスラエルの最先端「ICT農業」に、ニッポン農業の未来はあるか

<情報工場 「読学」のススメ#72>『日本を救う未来の農業』(竹下正哲著)

ほとんど雨が降らないイスラエルが有数の農業輸出国に


 イスラエルという国に、どんなイメージをお持ちだろうか。日本人の目からは、軍事国家の側面が強いのかもしれない。常に周辺のアラブ諸国と緊張関係にあり、核保有も疑われている。

 最近では、スタートアップ大国でハイテク分野でのイノベーションが盛んなことも知られるようになってきた。だが、イスラエルが、世界有数の「農業輸出国」である事実は、日本ではあまり知られていないのではないか。

 イスラエルの国土は狭い。だいたい日本の四国と同じくらいだ。しかも国土の6割ほどが砂漠で、国の南側はほとんど雨が降らないそうだ。北側に行くほど降水量は増えていくが、やや北寄りにある首都テルアビブの年間降水量は東京のおよそ3分の1。それも雨季の3カ月に集中して降ってしまい、残り9カ月はほとんど降らない乾季となる。

 さらに、土壌にほとんど養分が含まれていないのだという。普通に考えたら、こんな条件で農業をやろうとは考えないだろう。それでもイスラエルは毎年一定量の農作物を収穫し、人口が少なく国内の需要に限りがあるため、せっせと他国に輸出している。どういうことだろうか?

 『日本を救う未来の農業』(ちくま新書)に、その答えがあった。同書では、「農業テクノロジーのグローバルリーダー」とも呼ばれるイスラエルの先端的なICT農業を紹介し、日本農業の発展に役立てる術(すべ)を探っている。そう、イスラエルは、農業には圧倒的に不利な諸条件を克服するために、最新のテクノロジーを大胆に取り入れた農業を展開しているのだ。

あらゆる農業テクノロジーの基盤「ドリップ灌漑」


 イスラエル農業の根幹を支えるのが「ドリップ灌漑(かんがい)」(drip irrigation)だ。農地に小さな穴が等間隔に開けられたチューブが張り巡らされ、穴からポタポタと点滴のように水を出して植物に水をやるシステムである。チューブには、水圧が一定になるような加工が施されている。

 直接根を狙って水滴を落とすため、水がほとんど無駄にならない。与えられた水がどれだけ作物に吸収されたかを示す水利用効率でいうと85~95%だ。日本の灌漑の多くは、水田のように一気に水を流し込むflood irrigationが一般的だが、これでの水利用効率は40~60%にすぎない。

 なお、チューブの中身に液体肥料を混ぜると、水やりと同時に施肥もできる。この場合は「ドリップ・ファーティゲーション」(drip fertigation:点滴施肥灌水)と呼ばれる。

 だが、こんなふうにアナログなドリップ灌漑を真っ先に挙げると、「どれだけ先端的なんだろう」と期待した人には拍子抜けかもしれない。実はこのドリップ灌漑は、イスラエルの不利な降雨条件と土壌の問題を一気に解決するだけでなく、以下に紹介するクラウド農業やAI(人工知能)農業の基盤となる技術なのだ。

 クラウド農業とは、文字通りインターネット上の「クラウド」を活用した農業である。IoT農業と呼んでもいい。イスラエルの耕地には、ドリップ灌漑システムだけでなく、数多くのセンサーが設置されている。それにより、土壌の温度、土壌水分、肥料濃度、pHなどがリアルタイムにモニタリングされ、クラウドに送られる。

 それらに上空からの衛星画像や、天気予測データが組み合わされ、「明日はどのエリアが水不足になるか」「どのエリアに重点的に窒素を施肥した方がよいか」といった判断が自動的になされ、ドリップ灌漑やドリップ・ファーティゲーションを使って、やはり自動的に実行される。

 こうしたクラウド農業は、今やイスラエルでは当たり前になっているそうだ。そして、『日本を救う未来の農業』によれば、10年後ぐらいには「AI農業」に進化している。

 同書によると、AI農業になると、センサーから得たビッグデータからAIが法則性を見出し、最適な農法を判断するようになる。さらに世界中の研究論文などを読み込み、新しい栽培法を試みることも期待できる。AIに任せておけば、勝手に条件をコントロールし、これまでの2倍、3倍の収穫量を実現したり、果物の酸味や甘みを10段階でコントロールしたりできるようになるというのだ。

伝統の匠の技と最新テクノロジーで「両利きの農業」


 これら夢のような農業はいずれも、ドリップ灌漑システムがなければ実現しない。ところが日本では、このドリップ灌漑は、まったくと言っていいほど普及していないそうだ。

 なぜなら、日本は気象条件などに「恵まれている」から。雨季と乾季がはっきり分かれておらず、1年中雨が降る。特に灌漑に困ってこなかったため、ドリップ灌漑の技術はすでに1970年代に専門家の間で知られていたものの、採用する農家や農協はほとんどなかった。

 『日本を救う未来の農業』の著者、拓殖大学国際学部の竹下正哲教授は、現在の日本農業の国際競争力の低さを嘆く。日本の国産農作物は、質はよく美味しいが、他国に比べて値段が高すぎるという。

 今後、TPP(環太平洋パートナーシップ)やヨーロッパEPA(経済連携協定)のおかげで、安くて、質も及第点の輸入野菜や果物が大量に国内市場に出回ると、値段の高い国産の農作物はまったく売れなくなる可能性がある。

 どうして値段が高いかというと、日本の農業は効率性よりも「質」を求めてきたからだ。伝統的な匠(たくみ)の技を重視し、代々受け継がれてきた農地で「より美味しい作物」を作るべく、努力を重ねてきた。農業従事者は補助金や関税に守られ、厳しい競争にさらされることは少なかった。

 イスラエルは違う。不利な条件の中、とにかく効率を上げることを重視し、テクノロジーの力を借りて、輸出産業として農業ビジネスを推進している。

 貿易自由化により国際競争にさらされる日本農業が生き残るには、イスラエル農業を参考にしながらテクノロジーを取り入れて大幅に生産効率を上げ、世界で戦える作物価格まで引き下げていくしかないのだろう。まずはドリップ灌漑の導入からだ。

 しかし、日本伝統の「匠」の技も、もちろん捨てるべきではない。磨き上げられた技による高い品質も、国際競争力の一つであることは確かだ。

 チャールズ・A・オライリーとマイケル・L・タッシュマンの共著『両利きの経営』(東洋経済新報社)に詳しいが、近年、欧米のイノベーション理論の主流となっているものに「両利き(ambidexterity)」がある。知の「深化(exploitation)」と「探索」(exploration)を同時にバランス良く行うことでイノベーションを生み出す、という理論だ。

 日本農業も同様に、匠の技の「深化」と、クラウド農業やAI農業の「探索」を同時に行う「両利きの農業」を行っていくのがベストではないだろうか。両者が融合することで、世界のどこにもない、質と生産性を兼ね備えた「最強の農業」が誕生することすら期待できる。

 近くのスーパーで買った、手ごろな値段でとびきり美味しい国産野菜や果物を味わえる日が来ることを、心から願う。
(文=情報工場「SERENDIP」編集部)

『日本を救う未来の農業』 -イスラエルに学ぶICT農法
竹下 正哲 著筑摩書房(ちくま新書)272p 840円(税別)


                  

冨岡 桂子

冨岡 桂子
10月20日
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AIや自動のクラウド農業によって農業従事者が、単純だが苦労の多い農作業から解放されると、農業のイメージも大幅に変わってくるだろう。最新のテクノロジーを使って新しい農法などのイノベーションに従事できるとなると、好奇心と意欲にあふれた若者たちが続々と農業を志すようになる可能性がある。そうすれば人手不足、後継者不足も解消され、さらなる生産性の向上も期待できる。そのために、まずは今の農業関係者の価値観を変えていかなければならないが、実はそれがいちばん難しいのかもしれない。

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