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研究不正の内部告発、“噂の深層"にどこまで労力をかける?

<研究不正・パラダイム転換へ#04>組織責任のジレンマ
 文部科学省は不正対策の徹底を大学や研究機関に求めるために罰則を設けて実行性を確保した。組織体制に不備が見つかり、文科省からの改善指示を守れない場合は間接経費を最大で15%削減。不正が見つかって調査が遅れると最大10%を減らす。間接経費は大学運営を支える重要な資金源だ。この削減は地方大学など余裕のない組織にとっては致命的となりかねない。

 研究不正の告発を受け、調査委員会を立ち上げると数百万円単位のコストが発生する。組織的な不正などの大型事案では調査期間が長引き、数千万円がかかるとされる。

 文科省の研究不正対策の新ガイドラインでは、調査委の半数以上を外部有識者で構成することが求められている。このため、弁護士などを雇えば費用がさらにかさむ。

 ある国立大副学長経験者は「内部告発は重要な制度」とした上で、「研究者をおとしめるための偽の内部告発もある。偽告発にも対応しなければならず、経費はバカにならない」とため息を吐く。

 そして「最も悪質なのはうわさを流すタイプ。責任者はうわさレベルでも対応せざるを得ない。だが偽物とわかっても、流した者は責任をとらない」とほぞをかむ。

 余裕のない組織ほど不正対応のための予算捻出が厳しい。しかし、不正に対して対処できなければ致命傷になりかねない罰則が下されるというジレンマにある。

 また不正を見抜く力を大学などの組織だけに求めることが果たして正しいのかという疑問も残る。例えば地方大では一大学に数人しか専門家がいない研究分野もあり、分野特有の不正手段を見抜くことは難しい。そのため管理体制や倫理教育など全組織的な対策に終始してしまう。だがモラルだけで不正の根絶は難しい。

 STAP細胞問題ほどの話題にならなくても、深刻な不正事案は後を絶たない。次に研究不正が社会問題に発展した時、その組織は存続できるのだろうか。

 研究者倫理が専門の東京工業大学の札野(ふだの)順教授は、「倫理教育や管理体制をあらかじめ整えた組織には組織責任は免除し、研究者個人の責任にした方がよいのではないか」と提案する。組織責任には限界がある。画一的な不正対策の再徹底では再発は防げず、組織をより疲弊させるだけかもしれない。

 また、組織や個人の責任を問うことだけに終始せず、次は研究領域や構造ごとに問題を絞り込み、個々の対策を講じることも手だ。学会などで研究の実態を知る者が不正リスクをあらかじめ洗い出し、対策を用意する必要がある。
                   
日刊工業新聞2017年3月21日
小寺貴之
小寺貴之 Kodera Takayuki 編集局科学技術部 記者
各研究組織に置かれた責任者はトカゲの尻尾なのか、不正を減らす対策実施者なのか、不正をないことにする共謀者なのか。どの側面もあるので、どう推移するかは時間をかけて見守るほかないかもしれません。どんな責任者も、研究不正を確信犯的に行う研究者の不正を見抜くことはできないと思います。裏を返すと、どんな責任者も組織内で不正が発覚したら彼・彼女は確信犯的だったとその不正手法の周到さを説明することになります。個人から組織に移った責任は、再び組織から個人に戻ることになるかもしれません。責任たる何かが個人と組織を行き来している間に、両方とも疲弊して不正が見つからなくなるかもしれません。体力のある内に本質的なアプローチを模索したいところです。

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