「ろう者に音を届けたい」 髪の毛で音を感じる全く新しいデバイスとは

たくさんの人がつながった富士通のオープンイノベーション

 髪の毛にクリップすると音を感じることができる全く新しいインターフェイスOntenna。まるで猫のヒゲが空気の流れを感じるように、髪の毛で音を感じることができる装置―。  そんなユニークなコンセプトを持ったデバイスが今、世界中から注目を集めている。その名はOntenna(オンテナ)。聴覚に障がいを持つろう者のために開発されたもので、ヘアピンのように髪の毛につけると、生活のなかのさまざまな音を光と振動によって"感じる"ことができる。  「Ontennaはマイクとバイブレーター、LEDが内蔵されたシンプルなデバイスです。マイクが30dB〜90dBの音圧を検知して、256段階の振動と光の強さに変換し、音のリズムやパターン、大きさを髪の毛から伝えます。振動の強弱で音の距離感がつかめますし、左右に一つずつつければ音の方向もわかる。また、光ることでまわりの人と音情報を共有することも可能です」  そう語るのは、大学時代からOntennaの開発に取り組んできた富士通のUIデザイナー本多達也氏。Ontennaをモニタリングしたろう者からは、「電話とメールの音の違いがわかるようになった」「掃除機のコードがコンセントから抜けてしまったことに気づけた」「車が近づいてくるのがわかった」など、嬉しいレビューがたくさん寄せられたといいます。音を感じたときの笑顔が、開発の原動力になる」 (本多氏)  「なかでも印象的だったのは『初めて蝉の鳴き声を聞いた気がした』という女性の言葉。蝉はミーン、ミーンと鳴くと学校で教わったけど、それがどんなリズムやパターンなのか今まではわからなかったそうなんです。また、海外では、友達のつけているOntennaに向かって、『アー』と声を出す方もいました」  「ろう者は普段手話を使ってコミュニケーションを図るので声を出すことはほとんどないんですけど、Ontennaは光によって自分の声が相手に届いていることが視覚的にわかるので、いろいろな声を出して楽しんでいました。その光景を見たとき、Ontennaは新しいコミュニケーションツールになるのではないかと感じました」  本多氏がOntennaを生み出すきっかけとなったのは、大学の学園祭でろう者と出会ったことだった。 「構内で道に迷っていたので、身振り手振りで案内したんです。それをきっかけに交流がはじまって、手話を勉強するようになり、ろう者と一緒に様々な活動をしてきました。そのなかで音の聞こえない不便さを知り、彼らに音を届けたいと思うようになりました」  大学で情報やセキュリティについて学び、「身体と感覚の拡張」をテーマに研究を重ねていた本多氏は、2012年、大学4年生のときにOntennaの研究開発をスタートさせた。  数ヶ月間製作に没頭し、プロトタイプ第一号が完成。それは光の強弱で音情報を伝えるというものだった。本多氏にとっては「時間もお金もかけて生み出した自信作」だったが、ろう者からの反応は厳しいものだった。  「耳が聞こえないぶん、視覚情報に頼って生活している彼らにとって、これ以上視覚情報を加えることは負担でしかなかったんです。『こんなの使えないよ』と言われたときはさすがにショックでしたが、そこで気持ちに火がつきましたね」  「彼らが満足できるものを必ず作ろう」と考えた末、バイブレーターをつけて振動と光で音を伝える現在の仕組みを編み出した本多氏。しかし、振動の強弱やつける位置など、課題は山積みだった。  「実験をしてみると、ろう者は健聴者と比べて振動にとても敏感なことがわかったんです。振動は強過ぎても不快だし、弱過ぎても気づくことができないので、調整には苦労しました」  「また、つける場所も模索しました。腕や手につけると手話をしたり家事をするのに邪魔になってしまうし、『振動が気持ち悪い』『蒸れたりかぶれたりしそう』と言われてしまって。じゃあ服につけてみようと試してみると、今度は振動が伝わりにくく感知しづらい......。一時はどうしようかと本当に悩みましたね」  最終的にたどり着いたのが、ヘアピンのように髪の毛につけるというアイデア。テンションがかかることで振動を感じやすい、蒸れやかぶれの心配がない、家事や手話の邪魔にもならない。様々な課題を一挙にクリアできる理想的なインターフェイスだった。  「髪の毛につけるというアイデアは、ろう者の方と一緒に開発したからこそ出てきたもの。風が吹くと髪がなびいて、風がどこから吹いたか方向がわかるよねというような話をしていて、確かに髪はセンシティブな部位だな、と。これは新しいインターフェイスとして使えるんじゃないかと思いました」 (ろう者のフィードバックを受けて、少しずつ丸みを帯びたフォルムに進化)  2015年、大学院2年生のころにはITクリエータの登竜門ともいえる国家プロジェクト「未踏プロジェクト」のスーパークリエータに選出。予算が確保できたことで、Ontennaの基盤設計やデザインはどんどんブラッシュアップされていった。  「最初は長方形のデザインだったんですけど、『角があるので痛そう』という意見があったので、丸みを帯びたデザインにし、できる限りコンパクトに。基盤の幅は1.5cmほどですが、そのギリギリまでアーチ構造を取り入れることで、髪の毛をつかむ面積を増やし、つけやすく、落ちにくくしています」  「基盤の配置にもこだわりがあって、バイブレーターは振動が伝わりやすいように髪の毛に近い位置に、LEDは光を拡散しやすくするため基盤の真ん中に、マイクはハウリングを起きにくくするためバイブレーターから離すなど、工夫しています」  これまでに3Dプリンターを使って製作したプロトタイプは実に300個。ろう者のフィードバックを受けて改良を重ねてきた。「毎日身につけるものだから、デザインにも徹底的にこだわりました。どんなに優れたテクロジーであっても、いかにも障がい者用とわかるような見た目では、ろう者と健聴者との間にあるギャップは埋まりません。聞こえる・聞こえないに関わらず、誰もが使いたくなるような、シンプルでスタイリッシュなデザインを目指しました」 <次のページ、組織にもイノベーションを起こしたい>  大学院卒業後はメーカーでプロダクトデザイナーとして働く傍ら、個人でOntennaの開発を続けた本多氏。個人でOntennaの開発を続けていたが、展示会やメディアを通じてOntennaの存在を知ったろう者からたくさんの問い合せが届くようになると、「1日でも早く製品化したい」という思いが強くなっていったという。  「でも、個人でやるには資金面などのハードルが高く、一歩を踏み出せずにいたんです。そんな僕の思いを後押ししてくれたのが、富士通でした。富士通には障がい者の方もたくさん働いていますし、聴覚障がい者とのコミュニケーションを活発化するための『LiveTalk』などの製品も生み出していて、障がい者に理解のある会社だなという印象がありました」  「社内に『Innov8ers』というイノベーションを起こしたい人のコミュニティがある点も興味深かったですね。ベンチャーの方がスピード感があるというのも確かですが、大企業からこうしたプロダクトを生み出すことに価値があるのではないか、大学や未踏プロジェクトの後輩たちにとってのロールモデルになれるのではないかと考えました」  こうして2016年、富士通に入社。Ontennaの製品化へ向けた開発がスタートした。 (Ontennaプロジェクトチーム。社内外から様々な分野のプロフェッショナルが集まる)  Ontennaプロジェクトチームは本多氏と富士通のプロダクトデザイナーである高見逸平氏、富士通アドバンストエンジニアリング(FAE)のエンジニアたち、ろう者、カメラマンなど、多様なメンバーで構成されている。  「外装デザインは高見さんが、基盤設計はFAEのみなさんが担当してくれています。僕は、ろう者の意見を聞き、もっとああして、こうしてとお願いする係。ワガママな奴だと思われているかもしれませんが(笑)、ユーザーと技術者をつなぐこともデザインの一つじゃないかと考えています」  プロモーション用の映像やスチールは、社外のクリエイターたちによって製作されたもの。「展示会やメディアでOntennaを知った方から『協力するよ』と声をかけていただくことが多くなり、ありがたいですね」  「モデルは知り合いのろう者の子ですし、『あ、音がいた。』という素晴らしいコピーも、ろう者のコピーライターさんがOntennaに感動して編み出してくれました。そんなふうに、ろう者と健聴者、社内と社外などの垣根を越えて、たくさんの人とつながることで、Ontennaは進化してきたんです」 (2016年4月にオープンしたTechShop Tokyo。「開放的な雰囲気が魅力」と本多氏)  富士通が手がける会員制オープンアクセス型DIY工房「TechShop Tokyo」。広々としたスペースに3Dプリンターやレーザーカッターといった本格的な工作機器がそろった新しいものづくりの場で、Ontennaのプロトタイプ製作もここで行われている。  「Ontennaは、ろう者と協働で作り上げているプロダクト。彼らの意見をできる限り反映する、すぐに手を動かして形にする、このふたつのことを開発当初から心がけています。今までは技術者が作ったものをユーザーに使ってもらうという一方通行なものづくりでしたが、これからはユーザーと一緒にものづくりを行う"インクルーシブデザイン"の時代」  「それには、ものを作りながら考えるという姿勢が大事なので、TechShopのような環境が身近にあるのはありがたいですね。クイックプロトタイピングができる設備が整っているのはもちろん、イノベーションやテクノロジーに興味を持った人たちが自然と集まってくるのでコミュニティも生まれやすいと感じます」  先日は、TechShop TokyoにてOntennaの活用方法について考えるワークショプを開催。様々な年齢や職業の人が集まり、ろう者を交えて活発な意見交換が行われた。  「暗闇オーケストラとか、Ontennaを使った愛の告白とか、斬新なアイデアがたくさん出ました。それには、TechShopの持つ自由な雰囲気やアイデアをすぐに形にできる環境が大きく影響しているんじゃないかと思います」  国内だけでなく、海外の展示会やメディア、TEDxHanedaなどのイベントにも積極的に出演し、Ontenna の魅力を発信している本多氏。世界からの注目度はますます高まっている。  「海外の方からも『COOLだね!』『早く使いたい』といった反響をたくさんいただいています。2020年までにすべてのろう者にOntennaを普及するというのを目標に動いていて、今はテストマーケティングの段階。ろう学校やろう団体、医療分野でも使っていただく予定ですし、高齢者や認知症の方の生活にも役立つのではないかと考えているところです」  また、興味深いのは健聴者からも「使いたい」という声が多く寄せられている点。例えば、イヤホンで音楽を聴きながらPC作業やランニングをしているときに背後からの呼びかけや車の存在にいち早く気づくことができるなど、Ontennaは健聴者の暮らしも変えうる可能性を持っている。  現在、本多氏のもとには、様々な分野から「Ontennaとコラボレーションしたい」というオファーが届いているそうで、将来的には、音楽フェス、スポーツ観戦、映画館など、様々なシーンでの活用が見込まれている。  「特にスポーツの分野では、今後テクノロジーが一つのキーワードになると思うので、ぜひOntennaを活用していただきたいですね。ろう者の陸上選手がOntennaをつければ足を踏み出すリズムやタイミングがつかみやすくなって新たな記録が生まれるかもしれない。そんな未来を想像するとワクワクしますね」 (髪の毛にクリップすると音を感じることができる全く新しいインターフェイスOntenna)  ろう者の声に耳を傾け、積極的に人とつながることでプロダクトを進化させ、活用の可能性までをも広げてきた本多氏。Ontennaという新しい未来を生み出すことができた要因、それはいったい何だろうか?  「使う人の立場に立ち、使う人と一緒にものを作り上げていく"協働"する姿勢と、周りを巻き込んでいく"情熱"でしょうか。どんなに革新的なアイデアがあっても、ひとりじゃ何も動きません。一緒に考え、手を動かしてくれる仲間や支援してくれる人たちがいたからこそ、ここまでこれたと思っています」  「また、開発のパートナーでもあるろう者の存在も非常に大きいです。健聴者にはない特別な感覚を持ったスペシャリストである彼らと一緒にものづくりを行うことで新しいイノベーションが起こせると思っていますし、それによって僕らの暮らしもよりよいものになっていったら嬉しいです」  ろう者に音を届けるだけでなく、健聴者にも新しい感覚や感動を与えてくれそうなOntenna。障がいの有無に関わらず、誰もが快適に、心豊かに暮らせる未来を創るため、本多氏の挑戦はこれからも続いていく。 <プロフィル> 本多達也 富士通グローバルマーケティング本部総合デザインセンター 1990年 香川県生まれ。大学時代は手話通訳のボランティアや手話サークルの立ち上げ、NPOの設立などを経験。人間の身体や感覚の拡張をテーマに、ろう者と協働して新しい音知覚装置の研究を行う。2014年度未踏スーパークリエータ。第21回AMD Award 新人賞。現在は、富士通株式会社総合デザインセンターにてOntennaの開発に取り組む。

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