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「ななつ星」産みの親が語る“鉄客商売"の神髄

JR九州・唐池恒二会長インタビュー「隠せば隠すほど気になり価値が高まる」
 ―クルーズトレイン「ななつ星in九州」の開発経緯と舞台裏を自身の歩みとともに振り返っています。
 「『ななつ星』には社長就任後すぐに取り組んだ。構想を練った時期など聞かれることが多く、記録として残したいと筆を執った(※)。私自身が若い頃のエピソードも多いので、経営者だけじゃなく若い人にも共感してもらえると思う」

 ―「ななつ星」には外食事業での経験を生かしたとか。
 「発想までの経緯を整理すると、計7年間を過ごした外食事業部の経験が大きいと気付いた。店舗を経営すると売り上げやお客さまの評価を日々結果として実感する。その中で店の善しあしは“気”が充満しているかで判断できる。気は誰もが持つ、人や組織を動かすエネルギーと似ている。繁盛店は店構えの風格や良い意味の緊張感、夏場なら打ち水といった風情など固有の気を持つ。『ななつ星』はお客さまとの綿密な打ち合わせから車両デザインまで気が満ちている」


 ―独自の広報戦略です。
 「『ななつ星』のブランドを高めるため大々的な宣伝はせず、初の車両公開は運行開始の1カ月前だった。だからこそ製作途中の車両写真の流出などに気を使った。隠せば隠すほど気になり価値が高まる。だが失敗すると誰も見向きもしない。結果としてギャンブルに大成功した」

 ―JR九州の観光列車は「A列車で行こう」や「あそぼーい!」などユニークな名前が多い。「ななつ星in九州」の由来は。
 「車両のデザイナーである水戸岡鋭治さんに毎週、名前の案を伝える生活をしばらく続けた。なかなか満足してくれなかったからだ。ある日『北斗七星』を思いついた。列車は7両編成、九州は7県。北斗七星は和名で七つ星。九州7県を星になぞらえて輝かせたいと考えた。水戸岡さんも乗ってくれ、漢字の七を主張した。だが、私はひらがなが収まりがいいと譲らなかった。今まで何十と店や列車にネーミングしてきたがベスト3に入る自信作。選択は間違ってなかった」

手間を惜しまない姿勢が“気”となる


 ―「ななつ星」以外にもJR九州の車両をデザインする水戸岡さんの魅力は。
 「単に絵が巧みなだけじゃない。根底に人への愛や思いやりがある。また車両の装飾に使う小さな木ネジ1本にさえ妥協しない。『ななつ星』ではプラスでもマイナスでもない星マークの木ネジを特注した。手間を惜しまない姿勢が“気”となり、お客さまに感動を生んでいるのだろう。斬新や奇抜なデザインは初見の印象こそ強いが、すぐに見慣れる。だが水戸岡さんのデザインは毎日見る通勤電車でも飽きない」

 ―九州の観光は熊本地震で大きな影響を受けました。「ななつ星」に限らず、観光復興にJR九州の役割は重要です。
 「地震で新幹線が脱線したが、社員の不眠不休の活動で再開にこぎつけた。車中泊から復旧活動に当たった社員もいて、頭が下がる思いだ。地元の方から『新幹線の再開で被災地に復旧復興のベルが鳴った』と、喜んでいただいた。九州新幹線やD&S列車(デザイン&ストーリー列車)を生かし、気を緩めることなく元気な九州を発信していく」
(聞き手=西部・増重直樹)
◇唐池恒二(からいけ・こうじ)氏 JR九州会長
【略歴】77年(昭52)京大法卒、同年日本国有鉄道入社。95年JR九州流通事業本部外食事業部長、03年取締役、08年専務、09年社長、14年会長。大阪府出身、63歳。
※『鉄客商売』(PHP研究所刊)
日刊工業新聞2016年9月26日
三苫能徳
三苫能徳 Mitoma Takanori 西部支社 記者
「ななつ星」の車両お披露目は、私も取材しました。振り返ると、メディアはJR九州にうまく踊らされていたなあと思います。サービス概要や乗務員の制服など、小出しに情報が出てくるものの、一番見たい車両の外観や内装は最後まで水戸岡氏のデザインイメージのみ。情報の飢餓感ピークの中でのお披露目には、メディアも一様に興奮していた記憶があります。 ただ、当日まで内装工事をしていた(一部は未完成だった)ので、“見せられなかった”事情もあったとは思いますが。唐池会長が「ギャンブル」と表現したのは、スケジュールも含めてだったのかなと想像します。いずれにしても、日本初のことを成し遂げ、成功させたJR九州には感服します。株式上場後にも、そのチャレンジングな経営姿勢が引き継がれるのかに注目しています。

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