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「特別な人なんて一人もいない。いたとしても宇宙人からみれば誤差」(仲暁子)

ウォンテッドリー代表が語る人生論
 よく学生に「将来の夢がないんです」と相談を受ける。本当に夢がある人間はいない。もし夢なんて語っていたら、それはプロパガンダか思い込みだ。岡本太郎が「人生は無目的だ」なんて書いていて、学生の頃にそれを読んだ時は意味が分からなかったが、今ならかなり腹落ちする。人生は無目的で、意味もない。人生に意味を見いだすなんてナンセンスな行為だ。必要なのは「今この瞬間」「ワクワクしながら」もらった人生というチャンスをフルに活(い)かして、ハッピーかということだ。

大局では誰もが平凡


 2000年代頭にSMAPの「オンリーワン」みたいな曲が流行(はや)って、自分は「特別だ」「ユニークだ」みたいな流れができたが、それも嘘(うそ)だ。特別な人なんて一人もいない。いたとしても、誤差だ。宇宙人からみれば人間の偏差値の差や容姿の差なんて誤差の範囲。

 持ってる悩みだって、大抵一緒だ。「誰も私のことなんて分かってくれない」「俺の悩みは世界で一番深刻だ」そう思う人が多いが、実際はお決まりの既定路線の悩みで、社会システムのレールの上に乗っかった想定内の悩みだ。

 人生のライフステージの上で、「他者」がいるからこそ生じる悩み。けど、全部一緒だ。見た目も考えも誤差の範囲、だから、世界で70億人もいる個体の一つが消えても、悲しいというよりは、その「ホモ・サピエンス」という大きなうねりは続いていくし、その全体観を感じながら生きれるかどうかが重要だと思う。

愛と勇気のフィルターを


 うちは祖父母が敬虔(けいけん)なクリスチャンなので、子どもの頃はよく教会学校に行ったし、宗教の力は身にしみて感じてきた。宗教の力、要は「信じる力」で、まさに信じることで人は救われる。つまりは、生きる現実がどうであろうと、「自分の脳内フィルター次第」でハッピーにもアンハッピーにもなれるということだ。

 そこで私は「愛」と「勇気」という名の「脳内フィルター」がめちゃくちゃ重要だなとここ数年思うわけだ。手垢(てあか)にまみれた言葉ではあるけど、その一方で凄い本質的だと。

 さっき、人類とは一つの大きなうねりで、あなたは平凡で、別に特別では全くなくて、少しばかり音感があったり知能指数(IQ)が高かったり容姿端麗でも、それは誤差の範囲で、最終的にはそのうねりに戻っていくんですよという話をした。その巨大生命体的なものの中で生き続ける。

 少し前にTEDで、脳科学者が脳卒中で倒れるプロセスで、左脳が機能しなくなった時に「自分と世界の境界線を感じなくなった」的な話をしているのを観(み)た。左脳が機能しなくなると、自分という小さな器に閉じ込められていた意識がガンガン大きくなって、宇宙と一体化して、よくこんな小さな入れ物に納まっていたなと思ったらしい。

 人間というのは危うくて、どうにかしてその「全体」と「個」というのを区別する機能を持っているんだけれど、本来は一つ。要は人間が無意識に課してる「リミット制限」がなければ、身体の拡張は宇宙までいくということだ。

 そのリミット制限を意識的に取り払って、一体化しよう、僕は、私は、大きなうねりの一部だ!みたいな感情を広義で「愛」(特定の他人に対する見返りを求めない献身も「愛」というと思う)、そのために自分の瑣末(さまつ)な感情や損得より一体化への努力を優先する言動を「勇気」というのだと思う。

今この瞬間ハッピーに


 自分より強いものに果敢に立ち向かう行為を「勇敢」というけれど、私は誰しも最大の敵は「自分」だと思う。「自分」が敵だとついつい甘くなってしまい、相対的に戦う力は弱くなって、ついつい負けてしまう。

 負け癖がついてしまう。けどそこで「朝は機嫌悪いけど、笑顔で話しかけよう」とか、「あの人は話しかけづらいけど、勇気を持って話しかけよう」とか、勇気を持って人とつながる、理解をする、受容する努力をすることで、皆、よりハッピーになる。

 人生に目的なんてない。重要なのは「今この瞬間」ハッピーかどうか。「ワクワクしているか」どうか。そして何より、その状態を死ぬまで維持し続けられるかどうか。愛と勇気をもって挑もう。
日刊工業新聞2015年1月5日一部修正
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
去年のお正月に仲さんに寄稿してもらった記事。「オンリーワン」がキャッチフレーズだったシャープは正式に鴻海の傘下に入った。「世界に一つだけの花」が代表曲のSMAPが解散する。オンリーワンで居続けるのは難しい。最近、産業界は「つながる」、「共創」という言葉が流行っているが・・。

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