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「究極の予防医学」、国際宇宙ステーションで進む医学研究

宇宙飛行士が「被験者」に
「究極の予防医学」、国際宇宙ステーションで進む医学研究

宇宙医学実験支援システムを介して、地上にいる医師による問診を受ける古川聡宇宙飛行士(JAXA提供)

 宇宙空間は骨密度や筋力の低下、放射線による人体の影響、閉鎖空間でのストレスなど、人体にさまざまな影響を及ぼす。現在、こうしたリスクを軽減しようと、国際宇宙ステーション(ISS)で“究極の予防医学”とされる宇宙医学実験による研究が進んでいる。将来の火星などへの有人宇宙飛行を視野に入れ、宇宙に1年間と長期にわたり滞在する飛行士が被験者となった実験も始まる。宇宙医学の近未来を探る。

◆若田飛行士が骨粗しょう症の投薬実験
 「私たちの体は1G(Gは重力加速度)という重力に慣れているが、適正な重力は0・5Gか、0・3Gかもしれない」。医師で宇宙航空研究開発機構(JAXA)の宇宙飛行士、向井千秋さんは重力研究の重要性を説く。人類が将来、月や火星に活動領域を広げるうえで、重力の研究が地上の医学に役立つという。

 なぜ重力研究が地上の医学に役立つのか。ISSは高度400キロメートルの軌道を90分で地球を1周し、昼と夜がめまぐるしく変わる。無重力下では、骨量減少や筋肉萎縮、体内リズムの乱れなどが起きる。

 JAXAで宇宙医学研究を担当する大島博主幹研究員(整形外科医師)は、「宇宙では地上の10倍のスピードで骨量が減少し、老化が加速する」という。こうした宇宙での心身の変化は、地上での高齢者の体に起きる老化現象と似ている。

 そこで着目したのが骨粗しょう症の予防だ。現在、日本では推計1300万人が骨粗しょう症と診断されている。そのリスクが高まる高齢者の大腿<だいたい>骨頸部<けいぶ>(足の付け根の骨)の骨密度は1年間に1―2%減少する。それが、宇宙を飛行すると1カ月平均で1・5%、1年で18%減少するリスクがあるという。

 ISSに4回の滞在経験のある宇宙飛行士の若田光一さんは、6年前の半年間にわたる長期滞在で骨粗しょう症の薬「ビスフォスフォネート」を自ら服用し、効果を確認した。スペースシャトルでのマウス実験でも米国の治療薬候補物質の投与実験が実施され、効果を確認。成果は創薬研究に生かされ、治療薬として日本の病院でも骨粗しょう症患者に使われている。

◆放射線被ばくの影響も評価
 地上では大気や磁気に遮られて宇宙から直接放射線の影響を受けないが、宇宙では地上の50倍から100倍の放射線が降り注ぐ。地上での日常生活で放射線による被ばく線量は1年間で約2・4ミリシ−ベルトなのに対して、ISS滞在中の飛行士の被ばく線量は1日で0・5ミリ―1ミリシ−ベルト。つまり、宇宙では1日の被ばく線量が地上の約半年分に相当する計算だ。

 このため、ISSの船内では放射線環境の変動を瞬時に把握できるモニターを設置。飛行士の生涯の被ばく線量の制限値も設定している。JAXAでは携帯型線量計を飛行士に持たせ、個人の被ばく量を管理している。飛行士の被ばく線量は公表されていないが、若田さんは最近、「半年間のISS滞在で50ミリシ−ベルトを被ばくした」と明かしている。この線量は原子力発電所事故の避難基準である年間20ミリシ−ベルトの2・5倍に相当するという。

 医師で宇宙飛行士の古川聡さんは月や火星などへ人類が活動領域を広げるには、「宇宙放射線を物理的にどう遮蔽(しゃへい)するか、食べ物や薬で被ばく影響をどうやって修復するかなどが課題」と力を込める。

 ISSに参加する日本、ロシア、欧州の各宇宙機関は、共同で宇宙医学研究実験も進めている。この実験は被ばく線量計を埋め込んだ人体模型を、「きぼう」船内に長期間設置して臓器の被ばく量を計測し、人体内の宇宙放射線の被ばくの影響を正確に評価するものだ。

 被ばくした際のDNAの損傷程度を評価する「バイオドシメトリー」という研究にも取り組んでいる。原子力施設などの被ばく事故で医学検査に使われている評価手法だ。宇宙でもその評価に使われ、検証結果を地上への応用に生かそうとしている。

◆人体ストレスにも対処
 一方、宇宙では閉鎖空間による人体へのストレスの問題がある。例えば、米ペンシルベニア大学などの研究チームが、将来の火星への有人宇宙飛行を想定し、10年6月から11年11月まで、ISSの居住棟に似た地上の隔離施設で520日間共同生活をする実験が行われた。実験には欧米人など6人の男性が参加し、さまざまな不眠症状が現れたとする結果が発表されている。

 同施設は太陽光が届かない環境で、昼夜のリズムが乱れて参加者の睡眠の質が低下。90日後には起きている間も体を動かす度合いが少なくなり、寝床などで休息する時間が増加したという。

 JAXAではISSに滞在する日本人飛行士を対象に24時間の心電図をとり、体内リズムに与える影響を計測。当初の予想に対して、昼に動き、夜休むという慨日リズムは飛行開始時や帰還直後に乱れるとの結果が出たという。この実験結果から、規則正しい食事、運動、睡眠の生活習慣を心がけるとともに、朝晩の照度を意識的に調節し、ストレスに対処することが必要としている。

 大島主幹研究員は現在の宇宙医学について「予想される医学的リスクを軽減する究極の予防医学になった」と、これからも地上への貢献につなげたいとしている。
日刊工業新聞 2015年05月08日 科学技術・大学面
日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
宇宙飛行士と言えばISSや宇宙空間での作業がまずイメージされますが、創薬研究の「被験者」も務めているということです。

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