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「NEXT世界遺産」佐渡島~金を中心とする鉱山の遺産群

日本の鉱山技術革新の象徴。388年間に採掘された金78トン、銀2330トン!
「NEXT世界遺産」佐渡島~金を中心とする鉱山の遺産群

相川金銀山、道遊鉱脈の露頭掘跡

 佐渡島(新潟市)は東京23区ほどの大きさの島で、新潟港から島の中心部の両津港までフェリーで約150分の距離。江戸初期には世界最大級の金山「佐渡金山」と呼ばれ、現在「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」の名称で世界遺産暫定リストに記載される。

 島内には四つの大きな金銀山があり、閉山するまでの388年間に採掘された金は78トン、銀は2330トン。金の産出としては日本最大級。また相川金銀山には露頭掘跡として山頂をV字に切り崩した「道遊の割戸」(国指定史跡)や鉱山関連の遺跡や建造物が残り多くの人が訪れる。

  江戸幕府が直轄地としていた相川金銀山も明治2年に官営化され「佐渡鉱山」となり、増産に向けた近代化を進めるため、西洋の最新技術を積極的に取り入れ、日本初の西洋式立て坑(垂直坑道)や火薬発破法など、国内鉱山の模範鉱山となってゆく。

 1885年(明18)初代鉱山局長に日本の近代製鉄の創始者といわれた大島高任が就任すると、ドイツ・フライベルク鉱山学校に留学経験のある渡辺渡を技師に招き入れ、日本初の架空索道(空中ケーブル)を建設し、選鉱場から大間港(約1.1キロメートル)まで鉱石や資材運搬の自動化を進めた。

 構内照明ではカーバイド(炭化カルシウム)を使用する「アセチレン燈」を創案するするなど産業遺跡としての興味も尽きない。

 38年(昭13)に入ると国を挙げさらなる金の大増産に入る。北沢地区では月間7万トンの鉱石処理が可能な「東洋一の浮遊選鉱場」が建設され、2年後の金生産量は佐渡金銀山史上最多の年間1537キログラムを誇った。

 現在金はほぼ取り尽くされた。遺跡となっている50メートルシックナー(泥鉱濃縮装置)や浮遊選鉱場、火力発電所などは、日本の鉱山技術革新の象徴の一つとして静かに息をひそめ佐渡に眠っている。
日刊工業新聞2015年04月30日 1/2面
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」が登録される見通しになり、その次を目指している日本国内の候補地を日刊工業新聞で紹介しています。

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