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富士フイルム、M&Aの凄さ。多額投資の一方で自己資本比率は健全性を保つ

00年以降は30件で約4800億円。多角化へ綿密な計算
富士フイルムは、創業事業である写真フィルム事業からの脱却を図り、時代に合わせて事業構成を急変させた企業である。 同社の前身となる富士写真フイルムは、1934年に大日本セルロイド(現・ダイセル化学工業)の写真フイルム事業を承継して発足した。

 世界で初めて写真フィルムの商品化に成功したイーストマン・コダックの創業から半世紀遅れての創業である。コダックに追い付け追い越せと猛烈な技術開発と営業活動を行った結果、ついに両者のシェアが逆転し、世界一の写真フィルムメーカーとなった。

 しかし、00年代以降はカメラのデジタル化の影響を受け、写真フィルム市場は急速に縮小していく。ここで富士フイルムは、主力事業の急速な縮小を乗り切るため、M&Aを活用した大胆な事業構成再編に出る。

 手始めは01年3月に1,600億円を投じた英国ゼロックスとの合弁事業であった。社名を富士ゼロックスとし、株式持ち分を買い増しして連結子会社化した。富士フイルムはこれを皮切りに、毎年大型投資を行っていく。

 その結果、現在は売上構成の47%をオフィス向け複合機販売(ドキュメントソリューション事業、以下DCM事業) 、38%をヘルスケア関連製品やフィルムなどの素材製造(インフォメーションソリューション事業、以下INF事業)が占め、創業事業であるカメラ関連製品事業(イメージングソリューション事業、以下IMG事業)は15%にまで縮小している。



 また、売上構成の変化に合わせて、資産構成も以下のように変動している。



 売上構成の変化は、アジア・オセアニアでの事業の拡大を推進するため、多くの人的資源を投入して販売力を強化、シェアの拡大に注力した結果と言える。

 一方で、高機能材料やヘルスケア製品に力を入れているINF事業は、売上構成と人員構成の比較から、効率的な人員配置を行っていることがうかがえる。同事業分野において、商品の開発力が大きく売り上げに寄与する点が影響を与えていることが推測できる。この分野は富士フイルムが近年M&Aを積極的に行っている分野でもある。

 また、共通部門の人員を増員していることから、同社は直近10年間でグループ経営に対する意識の変革があったことも推測される。

 M&Aを活用して売上構成や人員構成が急変する一方で、同社は06年に社名を変更、富士写真フイルムから富士フイルムとした。こうして名実ともに、写真と決別をしたのである。

主なM&A


年月 内容
2001.3 1600億円を投じて富士ゼロックスの株式を追加取得。出資比率を50%から75%へ引き上げ、子会社化
2002.9 写真プリント店を運営するジャスフォートの株式を162億円で公開買付により買収
2003.4 印刷機材製品の販売代理店を運営するプロセス資材の株式を取得し、子会社化
2004.4 オーストラリアおよびニュージーランドの販売代理店であるHanimex Australasia Pty Ltd.の株式を取得し、子会社化
2004.11 米国Arch ChemicalsからMicroelectoronic Materials部門と同社所有の富士フィルムアーチの全株式を取得し、子会社化

2005.2 Sericolグループの英国持株会社Sericol Group Limitedの株式を245億円で取得し、子会社化
2005.6 液晶パネル用偏光板メーカーであるサンリッツの株式を追加取得し、出資比率を10%から30%に引き上げて持分法適用会社化
2005.11 米国Arch Chemicalsの株式の50%を取得し、持分法適用会社化

2006.1 化学薬品を開発・生産する三協化学(売上高146億円)の株式を株式交換(買取価額35億円)により取得し、子会社化
2006.2 インクジェットプリンター用インク染料を製造するAvecla Inkjetの株式を300億円で買収
2006.3 フランスの医療用機器販売会社であるTSR HOLDING S.A.(売上高14億円)の全株式を取得し、孫会社化
2006.3 医療用機器サービス・メンテナンス会社FUJI MEDICAL SYSTEMS FRANCE S.A.(売上高117億円)の全株式を取得し、子会社化
2006.7 産業用インクジェットプリンター用ヘッドを製造するDimatix(売上高90億円)の全株式を取得し、子会社化

2006.10 光学機器を開発・製造するフジノン(売上高859億円)の全株式を株式交換(買収価額46億円)により買収
2006.10 がんの画像診断などに用いる放射性医薬品を扱う第一ラジオアイソトープ研究所(売上高172億円)の全株式を取得し、子会社化
2006.10 オーストラリア・ニュージーランドの印刷システム事業の販売代理店であるGraphic Systems Australasiaの印刷製版機材の販売および技術サポート関連事業(売上高34億円)を子会社を通じて譲受け
2006.12 循環器部門向け医療画像情報システムメーカーである米国Problem Solving Conceptの全株式を取得し、子会社化
2007.5 住商情報システムより内視鏡・超音波・病理の各部門システム事業を10億円で譲受け

2008.1 ドイツのオフラインフォトサービスのシステムを開発するIP Labs GmbHの全株式を取得し、子会社化
2008.3 富山化学工業(売上高167億円)の株式の66%を1169億円で公開買付により取得し、子会社化
2008.11 米国の放射線情報システムを開発するEmpiricの全株式を取得し、子会社化
2008.12 創業系バイオベンチャーであるベルセウスプロテオミクスに対する出資比率を22%から77%(買収価額10億円)に引き上げ、子会社化
2008.12 丸紅よりロシアのメディアカルおよびイメージング製品の代理店であるZAO"FUJIFILM-RU"の全株式を取得し、子会社化

2009.3 内視鏡製品の国内販売会社であるフジノン東芝ESシステムの株式を取得し、完全子会社化
2010.7 オーストラリアのマネージド・プリント・サービスプロバイダであるUpstream Print Solutions(売上高80億円)を買収
2011.2 システム企画研究所の生体情報システム事業を譲受け
2011.2 トルコの内視鏡製品の販売代理店であるFILMED TIBBI CIHAZLAR PAZARMA VE TICARET A.S.の全株式を取得し、子会社化

2012.2 システム計画研究所の生体情報システム事業を譲受け
2012.3 米国の超音波診断装置メーカーであるSonoSite(売上高225億円)を公開買付により815億円で買収
2012.6 イメージング商品、メディカル製品、グラフィック製品の販売代理店であるトルコのFilmat Dis Ticaret A.S.を買収
2012.10 オーストラリア最大のビジネスサービスプロバイダであるSalmat Limitedのビジネスプロセスアウトソーシング事業を303億円で譲受け

2014.10 米国でワクチンを製造するKalon Biotherapeuticsの株式の49%を取得し、持分法適用会社化
2014.10 再生医療製品を開発するジャパン・ティッシュ・エンジニアリング(売上高10億円)の株式の6%を68億円で追加取得し、出資比率を45%から51%に引き上げ、孫会社化
2015.3 iPS細胞の開発・製造をするCellular Dynamics Internationalの株式の91%を380億円で取得し、買収

多角化を進めて生き残った


 富士フイルムのM&A案件では、08年の富山化学の子会社化が知られているが、それ以外にも医療機器・医薬事業を中心に相当数のM&Aを行い、事業の中身を大胆に入れ替えている。

 00年以降の主なM&Aを見ても30件を超え、買収金額は公表しているものだけでも4,800億円以上に上る。本業が消滅するという強烈な危機感の表れと言えよう。注目に値するのは、多額の投資を行う一方で、自己資本比率は健全性を保っている点だ。

 一般に積極的なM&Aにかじを切ると、自己資本比率が低下することが多い。しかし富士フイルムでは、ここ10年間の自己資本比率がおおむね60~65%を安定的に推移している。事業の入れ替えをM&Aによって大胆に行いながら、裏側では綿密に計算された投資が行われていることがうかがえる。

 「選択と集中」。経営危機が訪れた時に多角化事業を切り離し、主力事業に集中するのが正しい、と説く言葉である。しかし、多角化事業を立て続けに売却したコダックは消滅し、富士フイルムはM&Aによる多角化を進めて生き残った。

 技術革新がもたらす劇的な市場変化の前では、「選択と集中」が、必ずしも正しいとは限らない。富士フイルムの事例はそれを語っている。
M&Aアーカイブス2016年01月21日
石塚辰八
石塚辰八 Ishizuka Tatsuya
ものづくりの企業にとって「祖業を捨てる」ことは、場合によって創業者や先代の顔に泥を塗るようなことにもなりかねない重い決断となる。しかしそれを果敢な意思決定で切り抜け、大胆に事業構成を入れ替えて成長を続ける企業がある。一方で切り替えがうまくいかず、消え去ったコンペティターもいる。その判断の分かれ目がどこにあったのか。富士フイルムとコダックにそれを見る。

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