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「破たん」劇的ビフォーアフター!JALは変わったか(12)入口から修羅場

連日徹夜でダイヤを引き直し、東北に臨時便
 日本航空(JAL)が部門別採算制度を実践するため、2010年12月に「路線統括本部」を新設した。満を持して走りだしたが、制度の運用を試行錯誤している真っ只中の11年3月に、東日本大震災が発生。航空会社は自然災害などのイベントリスクに弱く、JALの経営破綻も、最終的にはリーマン・ショックに端を発した世界不況で決定的となった。当時の路線計画部長で、現在、国際路線事業本部長の米澤章の脳裏には「二次破たん」がよぎったという。

 震災による旅客需要の落ち込みは避けられなかったが、その一方で延伸開業直後の東北新幹線や高速道路など地上の交通網が寸断。支援物資やボランティアの輸送は航空を頼ることになった。JALは震災発生翌日の11年3月12日から5月8日まで羽田から山形、花巻、仙台などを中心に臨時便1909便を運航。また、羽田―青森、羽田―秋田などの定期便は機材を大型化して輸送需要に対応した。

 JALは臨時便を運航するため、11年3―4月のダイヤをいったん白紙に戻し、路線計画部を中心に連日徹夜でダイヤを引き直した。通常、想定ダイヤを社内に開示してから、関係部署が1週間程度、その内容を検証する。しかし震災時には1―2日で取りまとめ、臨時便を運航した。米澤は「以前のJALでは考えられなかったスピード感で対応した」と話す。

 二次破たんも覚悟したJALだったが、フタを開ければ、12年3月期業績は売上高は1兆2048億円、営業利益は2049億円で過去最高益となった。当時の国内路線事業本部長で、現在、専務執行役員路線統括本部長の菊山英樹は「修羅場に入り口からたたき込まれて、部門別採算を体で理解できた」と話す。不測の事態に追い込まれて夢中で臨時便を飛ばす中で運用のこつを掴(つか)み、結果を出して確信を得た。菊山は路線統括本部の役割を「当たり前のことをやっているだけ」と話す。言葉の裏には、やれることをやってこなかった反省がある。社内取引を前提とした部門別採算制度は、部門間の利害が対立することもある。二度とつぶれない会社にするため、JALの試行錯誤は続く。(敬称略)
日刊工業新聞2015年03月24日 建設・エネルギー・生活面
高屋優理
高屋優理 Takaya Yuri 編集局第二産業部 記者
まさに「習うより慣れろ」。JALは否が応でも、その状況に追い込まれたことが結果的に功を奏しました。

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