わずか2年で社長交代の日本電産、カリスマ・永守氏は後継者選びを間違えたのか

関次期社長(左)と永守会長

日本電産の社長が2年足らずで交代する。経営の先頭に立つカリスマ創業者の永守重信会長兼最高経営責任者(CEO)が今回抜てきしたのは、日産自動車のナンバー3で元副最高執行責任者(COO)だった関潤氏。2018年に登用した吉本浩之社長は永守氏が求める結果を出せなかった。成長ドライバーの電気自動車(EV)駆動用モーターを軌道に乗せることが4月に社長となる関氏が永守氏の後継者となる最初の関門だ。 日本電産は30年度売上高目標10兆円(18年度1兆4754億円)を掲げる。エンジンに代わるモーター、ギア、インバーター一体のEV駆動用モーターシステムの成長が鍵を握る。 昨春、同システムを業界に先駆けて量産し、中国大手自動車メーカーに供給を開始。独ボッシュなどのメガサプライヤーとの競争を制すべく、先行投資にも積極的だ。勝負の決め手とみるコスト競争力を高めるため、モノづくりやパワートレーン分野に精通する関氏に白羽の矢を立てた。 日産社内では西川広人前社長の後任として関氏を推す声も多かった。だが実質親会社の仏ルノーのスナール会長が「難色を示した」(日産関係者)。あけすけにモノを言う性格が災いしたという。 日本電産は永守氏の目利きによるM&A(合併・買収)とPMI(合併・買収後の統合プロセス)、「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」の精神で世界首位のモーターメーカーに成長した。 だが後継者選びは難航。ようやく2年前に吉本氏を社長に選んだが業績が厳しくなり、吉本氏に19年半ばに米国駐在の欧米事業立て直しを指示。今回の人事は業績に基づく結果だが、ほかのカリスマ創業者と同様、永守氏でも後継者育成は簡単ではなかった。吉本氏にも「再チャレンジしてもらう」という永守氏。後継者選びは始まったばかりともいえそうだ。 (取材=京都・松中康雄) 日刊工業新聞2020年2月5日  強烈なリーダーシップとカリスマ性によって、日本電産を1代で世界的なモーターメーカーに成長させた永守重信会長兼社長最高経営責任者(CEO)。その世代交代は、経済界から注目されてきた。その永守氏が見初めたのが、カルソニックカンセイや日産自動車で実績を積んできた吉本浩之副社長だった。今後の日本電産をどうかじ取りしていくのか。永守氏と吉本氏の二人三脚が始まる。  「経営力を見るには、ダメな会社を再生させて見たら分かる」。永守会長は吉本氏を選んだ理由を語る。吉本氏が日本電産に入社したのは2015年。  初めは日本電産トーソクの社長、その後に車載事業本部といずれも事業を成長軌道に乗せた。自分よりも20歳以上も若い吉本氏の年齢についても「その当時の私の経営のやり方より、彼の方が優れているんじゃないか」と評する。  15日の記者会見では吉本氏は座右の銘を問われ「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」と応じた。言うまでもなく、これは日本電産の経営を体現する永守氏の言葉だ。これを挙げるほど、「永守会長の経営哲学にひかれた。波長が自分にも合っている」(吉本氏)という。  永守氏の経営を象徴する一つのキーワードが“マイクロマネジメント”。部下に対して細かく管理し、指示することで、現場の生産性を最大限に引き出す。  この手法によって、日本電産は大きく成長した。吉本氏は、日本電産トーソクと車載事業の経営にあたり、このマネジメントを実践した。この手法を実現したことが、永守氏が後を継ぐのに十分と判断した要素といえる。  だが日本電産は永守氏の強烈なカリスマ性によって、グループ全体の統制が取れてきた面がある。これまでも幾度となく後継者と目された人が、永守氏の期待に応えられず、日本電産を去って行った。  当面は二人三脚の経営で手探りを続け、集団指導体制へ移行させていく。永守会長は「(役割分担は)まずは7割と3割でいくが、数年かけて逆転させていく」と、段階的にさらに権限を委譲する考えだ。  ポスト永守体制が日本電産最大の経営課題と指摘されてきた。カリスマなきあとの成長の軌跡をどう描くか。新たな挑戦が始まる。 日刊工業新聞2018年2月16日記事から抜粋

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