「夏目漱石は一流の科学者になれた」(ノーベル物理学賞・江崎玲於奈氏)

書窓/横浜薬科大学学長・江崎玲於奈氏

横浜薬科大学学長・江崎玲於奈氏

振り返ると、17―19歳頃が最も自由奔放に本を読んだ時期だった。中でも、人間の内面に潜むエゴイズムが描かれた夏目漱石の『こころ』は印象に残っている。物事は包括的に捉えるか、または解析的に捉えるかの2通りがある。日本人の多くは前者で、後者は西洋的な考え方。ところが、夏目漱石の物事の捉え方はとても解析的だ。『こころ』の物語は非常に解析的に描かれている。夏目漱石は文学者だが、一流の科学者になれただろう。 夏目漱石と自分には共通点が多い。夏目漱石は1900年、33歳で英国に渡り、仏パリの万国博覧会を見ている。夏目漱石は私より58歳年上だが、私も同じく33歳の時に米国へ渡り、その後ベルギーのブリュッセルで万国博覧会を見た。ほかにも東京帝国大学(現東京大学)を卒業したことも同じだ。夏目漱石は海外生活の中で「異質の文化で育まれた英文学を、完全に理解することは極めて困難だ」という考えに行き着いている。英文学を学ぶ中、そこに内在する文化の理解の難しさに直面したのだ。『こころ』にもそれが現れている。 例えば、『こころ』を英語に訳す時、まず心に相当する言葉が英語に存在しない。英語では『こころ』は「Heart of Things」と翻訳されているが、日本語の意味する心に相当するのは、感情としてのHeartだけでなく、知性としてのMindも含まれる。文化の違いが、言葉に表れている。Heartは、国や文化によって異なり、理解できない部分がどうしても存在してしまう。 一方で、Mindというのは世界共通だ。私の専門は物理学だが、サイエンスに重要なのも知性であるMindだ。科学の研究は現象や自然界のルールの解明で、科学はHeartとは全く無縁である。科学とはMindに基づく、世界共通のものである。世界が協力して科学を発展させることこそ、世界平和へつながる道であり、大いに意義がある。 文化の違いに起因する言語や思考の違いは、その存在を理解できても、本質的な理解は非常に困難なものだ。一方、科学で明らかになる法則に、文化的な違いは干渉しない。江崎氏は知性に基づく科学を全世界の共通項と捉える。世界を豊かにするものとして、科学には可能性が満ちている。(取材・安川結野)

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