「地球は丸くない」と信じる人々に、どう「科学」を伝えるべきか

<情報工場 「読学」のススメ#69>『ルポ 人は科学が苦手』(三井 誠 著)

**「科学不信」によってパリ協定からの離脱を決めた米国大統領  日常生活の中で、「この歳になるまで知らなかった」「勘違いしていた」知識に触れ、感心したり、恥じ入ったりする経験は、誰しもあるだろう。ちょっとした笑い話として、雑談のネタになったりもする。  私は、つい最近まで「葉桜(はざくら)」の正しい意味を知らなかった。「花が散って若葉が出始めた頃の桜の木」を指す言葉なのだが、「桜の花と一緒に葉っぱが出ている、花と葉の共演状態」を葉桜というのだと、ずっと思い込んでいた。  ただ、まるっきり勘違いというわけでもない。葉桜の本来の意味をもう少し詳しく言うと「花が散り始めて若葉が出てきてから、花がすっかりなくなり新緑で木が覆われる時期までの桜の木」。私は、この「花が散り始めて若葉が出てきた」時期だけが葉桜なのだと思っていたのだ。  まあ、これは笑い話にもならない。私が「深窓の令嬢」をずっと「ふかまどの令嬢」と誤読していたのに比べれば、たいして恥ずかしい話でもないだろう。普段の生活や仕事には影響しない。ましてや人類の将来に関わる間違いでは、もちろんない。  ところが米国には、深刻な結果をもたらすかもしれない「科学的な誤り」をしている人たちが一定数いる。二酸化炭素排出が地球温暖化の原因であることや、ダーウィンの進化論が「正しくない」と固く信じる人々だ。前者についてはトランプ大統領もその一人で、2017年6月に地球温暖化対策の国際枠組みであるパリ協定から米国が離脱することを表明。人類の未来をかけた国際協調による環境対策に暗雲をもたらした。  『ルポ 人は科学が苦手』(光文社新書)は、こうした米国を主とする「科学不信」「反科学主義」の現場をリポート。なぜ「不信」になるのか、また、そのような人たちに正しい(とされる)科学知識を伝えるにはどうすればよいかを、読売新聞科学部記者である著者が論じる。  同書には、いくつもの「科学不信」が紹介されているのだが、とくに驚かされたのが「フラット・アーサーズ」と呼ばれる人たちの存在だ。地球が「球体」であるのは、小さな子どもでも知っている科学的な常識だが、彼らは「地球は平ら」であると信じ、強く主張している。  米国を中心に広がるフラット・アーサーズだが、2017年11月には初めてノースカロライナ州で「フラット・アース国際会議」が開かれ、約500人が参加したそうだ。  彼らを研究するテキサス工科大学のアシュリー・ランドラム博士によれば、ユーチューブ動画を見てフラット・アーサーになった人が多い。「Eric Dubay: 200 Proofs Earth is Not a Spinning Ball」と題された約2時間の動画は、現時点でおよそ84万回も再生されている。内容はタイトル通り、「水平線や地平線はどこで見ても常に平らだ」など200もの「地球が平らである“証拠”」を紹介している。  ランドラム博士がインタビューした「フラット・アース国際会議」の参加者の一人は、「私が頼れるのは自分の目だ。その目で、はるか100キロメートル先の平原を見渡すことができる。これこそが地球が平らである証拠だ」などと話している。他のフラット・アーサーもおそらく同様に、自身の感覚や直感を信じている。  学校で教わったことが、自分の直感からすると、どうもピンと来ない。そんな時、自信満々に、しかもビジュアル要素も入れながら、その直感を巧みに証明してくれるユーチューブ動画と出会う。すると「こっちの方が信頼できる」と思ってしまうのも仕方ないのかもしれない。  このように、どうやら「直感と信頼」の組み合わせが、科学不信の有力な容疑者のようだ。だが、ちょっと待ってほしい。少なくとも「信頼」については、科学不信者ではない私たちも、科学知識を得る際に使っているのではないか。  測量や調査を行って「地球が丸い」ことを自分自身で証明したという人は、ほぼ皆無だろう。二酸化炭素がオゾン層を破壊して温暖化の原因を作ったという科学的な証明ができる人も少ないはずだ。  地球が球体であることも、地球温暖化の原因や進化論も、私たちは、学校の教室で教師から教えられたか、メディアを通して国際機関の見解を知るなどのプロセスで知識を得たにすぎない。要は、「信頼」できる人や組織が言っているから、という理由だけで、エビデンスを深く追究することなく「科学的事実」を知識として呑み込む。  『ルポ 人は科学が苦手』の著者、三井誠さんは、そもそも人類は「科学的に考えるのが苦手」なのではないか、との仮説を立てている。長い人類の歴史の中で、「科学」が登場したのは、ごくごく最近だ。まだ人類は「科学」に慣れていないというのだ。  原始時代の狩猟採集生活や、その後の農耕社会で、人類は、集団生活を守り、子孫を残すべく生活を営んできた。そこに科学が入り込む余地は、ほとんどない。何より、生き残るために大切なのは「信頼」や「共感」だったはずだ。  その頃からの思考の習慣が染みついた人類は、今でも、信頼、あるいは共感できる存在からもたらされる知識を、そのまま受け取りがちだ。その信頼・共感する対象が、「科学的には正しくないとされている主張」をする人や組織だったりすると「科学不信」が生まれる。  だから三井さんは、科学を伝える際に「信頼」と「共感」をもたせる工夫が必要であると説く。これは、さまざまな場面での教育やコミュニケーションにも当てはめられる。  ところで、「この科学常識は間違っているのではないか」という問いかけは、それ自体悪いことではない。常識を疑うことで科学は進歩し、たくさんのイノベーションも生まれてきた。  だが、「科学不信」は、それとは異なるのではないか。  科学者のあるべき態度として「常識を疑う」のは「動的」である。つまり、“常に”疑う習慣を持っているのであり、「これが正解」と満足して止まることはない。「正しい答え」や「真実」などどこにもないと認識した上で、少しでもそれに近づくために、疑い、思考し続けるのだ。  一方、典型的な科学不信の人々が「常識を疑う」のは「静的」だ。ある事実を「疑う」のは、一度だけだろう。「常識とは異なる新しい“真実”」が見つかれば、それを固定させ「信念」に変える。  私たちがめざすべきは、正しく「信頼」して知識を得ながらも、常に「違う答えもあるのではないか」と思考すること。そして、それに信頼と共感を加味しながら他者に「伝える」ことに他ならない。 (文=情報工場「SERENDIP」編集部) 『ルポ 人は科学が苦手』 -アメリカ「科学不信」の現場から 三井 誠 著 光文社(光文社新書) 248p 840円(税別)

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