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クラッチがほしければ和歌山に行け、世界唯一の企業あり

他にないもの目指して半世紀 アクロナイネンの開発精神
クラッチがほしければ和歌山に行け、世界唯一の企業あり

遠心クラッチの製品群

 精密部品のクラッチ、ピストン、ブレーキを同時に製造する世界唯一の会社が和歌山にある。アクロナイネン。頂点を意味する「アクロ」と旧社名、和歌山内燃機の「内燃機」をかけ合わせ、2003年に「挑戦し、頂点を目指そう」との思いを込めた現社名に変えた。ダイカスト鋳造技術を生かし、さまざまな精密部品を製造。小型エンジン向け遠心クラッチで国内シェア90%強を占めるなど確固とした地位を築いている。

 創業者の勝本僖一会長が1963年11月に自動車と2輪車のエンジン修理工場、和歌山内燃機工作所を発足させたのが始まり。だが「一生をかけてやる仕事と違う」と悟り、製造業に転換した。最初は2輪車用ブレーキのライニング(摩擦材)の配合技術を生かして事業を拡大し、次にクラッチを手がける。

 1970年代半ばは自動車や2輪車が急速に普及した時期で、クラッチメーカーはこれらの受注の対応に追われていた。あおりを受けたのが農業機械メーカー。自動車や2輪車より市場規模が小さいためか、農業機械で使われる小型エンジン向け遠心クラッチは後回しにされる状況だった。

「あなたが神様に見える」


 そんな中、ある大手農業機械メーカーに営業で訪ねたところ「歓待された」(勝本会長)。その会社の社長に「あなたが神様に見える」とまで言われ、すぐに大量の受注に結びついた。タイミングよく訪れた商機をつかみ、やがて農業機械メーカーの間で「遠心クラッチがほしければ和歌山に行け」が合言葉になる。「大手(クラッチメーカー)がやらない間に入り込んでしまった」と勝本会長は振り返る。

 会社設立から間もない1969年、静岡県にある外注先のダイカスト工場を買収したのを機に、ダイカスト鋳造技術を徹底的に研究したことも飛躍の大きな礎になった。

 その象徴となるのが、業界では不可能とされていたダイカスト鋳造製法による小型エンジン用ピストンの製造技術の確立だ。グラビティ製法と呼ばれる従来の製法に比べ、加工の手間を大幅に省き、削り出しによる材料のムダが少なくて済む。20%前後のコストダウンを可能にした。

自動車メーカーからも注目


 長らく農業機械や産業機械などで使われているが、近年は自動車、2輪車メーカーからも注目されている。「ダイカストピストンは自分の信念でつくり上げた。(技術の確立から)45年かかってようやく認められた」と勝本会長は目を細める。今後、自動車、2輪車向けの受注が大幅に伸びると期待は大きい。

 勝本会長は起業する前、大阪でサラリーマンを経験した。営業を担当し、どこにでもあるものを「大量に高く売ってこい」と当時の上司から厳しく指導されて辟易したのを鮮明に覚えている。「私の原点はそこにある。よそとは違うもの、よそではできないもの、よそより優れたものを狙わないと商売は成り立たないとたたき込まれた」。その姿勢は会社設立から半世紀を経たいまも変わらない。

  新規事業のタッチパネルにも「よそではできない」精神が貫かれている。2012年、勝本会長が中国・無錫市(江蘇省)にある日系ベンチャー企業から相談を受けたのがタッチパネルを始めたきっかけ。この企業に出資し、製造も担当することになり、翌2013年には中国・湖州市(浙江省)に100%出資の湖州勝僖電子科技を設立、本格的に生産を始めた。

 タッチパネルは画面に表示されたアイコンやボタンを直感的に操作でき、さまざまな機器で広く普及している。券売機やATMなどで使われ指1本で操作する「抵抗膜式」と、スマートフォンやデジタルカメラなどのように2本の指で画面を拡大、縮小できる「静電容量式」などがある。

 手がけるタッチパネルは静電容量式。金メッキ技術を用いることで、外周部の金属配線を従来の3工程から1工程に減らしたほか、マスクの工程も不要となり製造単価を低減した。従来の静電容量式は少量の生産だと単価が高くなるため、用途がスマホなど大量生産する機器に限られる。そこで、より安価な製造技術を売りに多品種少量の需要の掘り起こしを狙う。

 これまでカーナビゲーションシステムの画面や医療機器のモニターなどさまざまな分野で採用された。数年後には一番の稼ぎ頭の事業に成長するとみており、勝本会長は「やはり狙うところは間違っていなかった。もっと認知される時期に備え、いまのうちにノウハウを蓄えて“体力”をつけておきたい」と語る。

グループ会社では高級梅干し


 グループ会社には梅干しを製造、販売する勝僖梅(しょうきばい)がある。地元特産の大粒の梅、南高梅(なんこううめ)を独自の製法で漬け込んだ高級梅干しは贈答用として人気が高い。

 もともとは和歌山県南部(みなべ)町にあった摩擦材の工場を閉鎖するにあたり、同工場勤務の従業員36人を助けたいと新しい仕事を探したのがきっかけ。会社を設立した1987年当時は小粒な梅干しが売れ筋で、大粒の梅干しは売れなかった。

 しかし勝本会長は「脱塩、脱酸しておいしい味に変えれば、違う商流をつくれる」と考えた。読みは見事に的中。「よそとは違う」路線を歩んだ勝僖梅は従業員の雇用を守っただけでなく、グループの知名度アップにも大きく貢献している。
創業者の勝本僖一会長


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日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
【企業情報】 ▽所在地=和歌山県和歌山市西浜789-3▽社長=勝本真人氏▽設立=1968年2月▽売上高=約87億円(2018年1月期)

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