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人類未踏破ルートで南極点へ、冒険家の夢に町工場が立ち上がった

「壊れない、軽いそり」開発へ連携
人類未踏破ルートで南極点へ、冒険家の夢に町工場が立ち上がった

そり左手から、アダチ造形社・安達孝義氏、タニタハウジングウェア・谷田泰社長、阿部雅龍氏、松本精機・鈴木敏文社長、広井工機・広井晃社長、シナノ・柳沢光宏社長

「人類未踏破のルートで南極点に到達したい」―。1人の冒険家の夢に、町工場が立ち上がった。2日、東京都板橋区の会場に真っ赤なそりが姿を現した。上り坂が続くルートで極寒の環境下、100キログラムの重量に耐える荷積み用のそりは、今回の冒険の命運を分けると言っても過言ではない。日本人未踏破の「メスナールート」で南極点到達を目指す、冒険家の阿部雅龍氏は11月9日に出発する。そり完成までの経過を追った。

到達目標40日間


 南極点は1400万平方メートルの南極大陸の標高2835メートルに位置する。大陸に厚さ約2700メートルの氷の山がのっている形となる。「メスナールートは約900メートルの上り坂。最大瞬間風速100メートルの向かい風の中を、歩き続けなければならない」と、阿部氏はその過酷さを語る。

 今回の冒険で阿部氏が課したのは「単独」「徒歩」飛行機の物資補給がない「無補給」というルール。1日10―12時間を歩き続け、到達目標日数は40日間。所持する食料は50日分。最低気温マイナス30―50度Cの過酷な環境下で、重さ約100キログラムの荷物に耐えるそりは、阿部氏にとっては命綱でもある。

 「『面白い人がいる』。2015年秋に、突然かかってきた電話がプロジェクトスタートのきっかけだった」と、開発チームリーダーである松本精機(東京都板橋区)の鈴木敏文社長は話す。板橋区内で開かれた講演会に阿部氏が登壇。講演を聴いた日進産業(同)の松島道昌取締役からの連絡だった。

 阿部氏は人類未踏破ルートでの南極点到達準備に向け、3度北極点を訪れている。その際に使用したそりは損傷が激しく、底はすり減り、一部割れ目が入っていた。素材は高密度素材のナイロンで、衝撃に強い分、耐摩耗性は弱い。主要メンバーは鈴木社長の呼びかけで集まった板橋区内企業3社と、新潟県長岡市企業2社。そのほか複数の企業が代わる代わる関わる形で、阿部氏の要望の「壊れない、軽いそり」の検討を進めた。

 時には英国製のそりを取り寄せ研究。また新潟県長岡市で地域の子どもたちを乗せ、引っ張る姿を観察した。設計・デザイン・製作を担当したアダチ造形社(新潟県長岡市)の安達孝義氏は、「『思う』だけでなく、『描きだす』ことを大切にした」と製作上の意識を振り返る。約150万円を投資し、検討を重ねること3年。長さ1960ミリ×幅570ミリ×高さ252ミリメートル、重量12・5キログラムのそりが完成した。

 製造はアダチ造形社を中心に長岡市で進め、技術コーディネーターとして広井工機(同)も加わった。そりは直線性能を出すため、市販品よりスリムにした。また半円に近づけたことで、接地点が少なくなり、摩耗しにくくした。そのほか雨どいを製造するタニタハウジングウェア(東京都板橋区)は水の流れや雨どいの構造などで、技術ノウハウを供与した。

南極向け荷物運搬用そり

 そり本体の素材も試行錯誤を繰り返した。耐摩耗性の観点から、当初はチタンを検討。しかしチタンは溶接やビスが必要で、故障の際にはドライバーなど工具が必要となるため、最小限の装備にしたい今回には向かない。このため強度がある繊維強化プラスチック(FRP)を採用した。スキッド部にはスキー滑走にも使われる、耐摩耗性に優れた超高分子量ポリエチレンを使用。またスキッドの幅を広めに取ることで、安定感も高めた。

 日進産業は宇宙航空研究開発機構(JAXA)のロケット先端部に使用されるセラミック系塗料系断熱材「ガイナ」を提供。そりの内側や上部を覆うシートに塗布することで、セラミックの遠赤外線効果で熱をはね返すため、そりの中に身体を収めれば、眠ることができる。またストックはスキーポールの世界的メーカーであるシナノ(長野県佐久市)が協力。ストックの先端部分の石突きには松本精機の金属加工技術を施し、滑りにくくした。

 阿部氏の最終目標は、「100年前に同郷で秋田県出身の探検家の白瀬矗(のぶ)中尉が果たせなかった人類未到達の『白瀬ルート』を、19年に踏破すること」。その実現に向け、そりの開発が続く。今回のそりの3Dデータを帰国後のそりと比較し、阿部氏の意見も取り入れながら、次回の挑戦に生かす計画だ。

 スポンサー企業も募り、そりの外観には多くのシールが貼られている。「俺たちのそりをつれていけ」。職人たちの夢とロマンを背負った阿部氏とそりの旅立ちに向け、出発直前まで改良を重ねる。

インタビュー/松本精機社長・鈴木敏文氏 ぎりぎりまで改善


―今回多地域にまたがるチームですが、メンバーはどのように集められたのですか。

「06年の板橋区と長岡市の産業防災に関する連携から長岡市の企業と知り合い、声をかけた。広井工機の廣井晃社長は長岡市の市会議員で、町づくりの第一人者。また板橋区の中小製造業グループ『イタテック』も全面協力してくれている。みんなの知恵を出し合う形にするため、板橋区内に限定せず、地域に根ざした信頼できる企業と組んだ」

―どのようにプロジェクトを進めたのですか。

「構想時点では月1回は東京か長岡でメンバーを変えながら集まった。開発の詳細が決まり、製作が始まったのは6月。それ以降は最低週1回は長岡を中心に集まった」

―苦労されたことは。

「阿部氏にもかなり現場に足を運んでもらった。彼自身が秋田大学工学部出身だったこともあり、要望が具体的だった。しかし阿部氏からすれば少しでもそりは軽くしたいが、職人側からすれば軽くすれば当然そりはもろくなる。削るか削らないかは今も意見を交わし、ぎりぎりまで改善を続けている」

―組織の運営で意識されている点はありますか。

「固定した組織はいつか壊れる。化学の立体格子のように自由な組織にすることで、組み替えもでき、みんなの意見を聞ける。今回のプロジェクトはこれを実現したもので、有効だと考えている」
鈴木敏文氏

(文=大串菜月)
日刊工業新聞2018年10月29日

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