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情熱は訴訟ではなくソリ開発に注ぐ…下町ボブスレー再始動

「五輪で滑走するソリを生み出すまで止められない」
情熱は訴訟ではなくソリ開発に注ぐ…下町ボブスレー再始動

下町ボブスレーは“乗りたいと思ってもらえるソリ”を目指す

 このままでは終われない―。東京都大田区の町工場を中心に、冬季オリンピック種目ボブスレーのソリを作ってきた下町ボブスレーネットワークプロジェクト推進委員会(下町PJ)。2月の平昌五輪ではジャマイカチームが使用する予定だったが、直前で不採用の憂き目に。行政が離れ、協力企業も減る中、下町PJは全国展開プロジェクト続行を決めた。彼らはなぜ再び挑むのか。プロジェクトの今を追った。

 発足から7年がたった今年、改めて運営体制を刷新した。4代目委員長に三陽機械製作所(東京都大田区)の黒坂浩太郎社長が、副委員長に関鉄工所(同)の関英一社長が就任した。これまで下町PJをけん引していたマテリアル(同)の細貝淳一社長はゼネラルマネージャー(GM)の職を降りた。

 黒坂氏は「五輪はあくまで最終目標。2022年の北京五輪挑戦は明言しない。五輪に出るソリではなく、“乗りたいと思ってもらえるソリ”を目指す」と意気込む。

 下町PJは大田区で内部に金属部品が多く使われているソリを製造し、五輪で乗ってもらい、技術力をPRする目的で立ち上がった。五輪出場は実現していないが、参加企業のPRにはつながった。

 元副委員長の西村修エース(同)社長は「本業で作るモノは具体的なイメージがわきにくい。ボブスレーならソリを指さして“これを作っているんだよ”と言える。PRにつながった」と語る。名刺にロゴを入れているだけで取引先や金融機関との話の種になった、という企業も多い。

 また下町PJは技術力向上にも一役買った。下請け企業は特定の会社が作る図面しか見る機会がない。大肯精密(同)の大崎和夫社長は「いつもと違う図面を見て、作り方を検討することは、技術力向上につながった。若手社員にはいい刺激」と話す。実際に加藤研磨製作所(同)や上田製作所(同)では、ボブスレーの部品製造は段取りから仕上げまで、全てを若手に任せて教材にした。

 新生・下町PJは、部品を作る協力企業を大田区に限らず、全国から歓迎する。以前は区外企業の参加は原則不可だった。黒坂氏は「手伝いたいという企業はあったが、断っていた。今後は受け入れて、アイデアと視野を広げたい」と笑顔だ。

 三陽機械製作所は、9月に山形県米沢市で工場を完成させる。地元につながりができるので、賛同する企業があれば協力してもらうという。また大田区には全国に協力企業を持つ企業が多い。興味を持っている企業に声を掛け、ネットワークを広げる構えだ。

 当面は新しくソリは作らず、現在ある10台を改良する。五輪に出すレギュレーションが確認されているのは、ジャマイカチームが五輪で使う予定だった1台のみ。まずは練習用の9台のレギュレーションをチェックする。違反部分があれば、国際規格に合わせる。

 改良したソリは、世界のボブスレーチームに、練習用のソリとして売り込む。既に16−17年のシーズン、ルーマニアのジュニア選手が2号機を使った実績がある。また18年にオーストリアで開催されたシニアヨーロッパカップでも使われ、見事5位を獲得した。

 今まで築いた人脈を生かし、より多くの選手に練習やテスト滑走で乗ってもらい、改良点をあぶり出し、必要な部品を作る計画だ。

 さらに、設計面では技術承継に挑む。従来ソリの設計と組み立ては、マテリアルの品質保証開発設計課の鈴木信幸部長が一手に引き受けていた。今後設計は三陽機械製作所の緑川玲子氏に、組み立ては関鉄工所が引き継ぐ。若手設計者や技術者の育成につなげる。
 
 下町PJは11年に発足。これまでの協力企業は100社以上におよぶ。14年のソチ五輪で日本チームに使用してもらうべく開発と製造を進めたが、不採用に。18年の平昌五輪も同様。そこで海外への売り込みを始めた。同五輪でジャマイカチームが公式に採用を表明していたが、直前になって不採用が決定。ジャマイカチームはラトビア・BTC製のソリで出場した。

 下町PJはジャマイカチームを訴える準備までしたが、現在その予定はないという。前委員長の国広愛彦フルハートジャパン(東京都大田区)社長は「現在、ジャマイカチームは貸与したソリ2台を持っている。これさえ返ってくれば訴えない。情熱は訴訟ではなく、ソリ開発に注ぎたい」と話す。

今後は下町ボブスレーのネットワークを全国に広げていく(有坂弁栓工業)

下町PJ委員長・黒坂浩太郎氏「メカニックの確保が課題」



―平昌五輪はまさかの結末でした。

「五輪で滑走するソリを生み出すまで止められない。このまま終わりにしたらプロジェクト自体の負けだ。思いのある人を集めてもう一度挑む」

―既に10台のソリがあります。新しいソリも作るのでしょうか。

「まずは10台を生かす。幸いこの7年間で海外のチームとの付き合いができた。練習やテスト走行であれば乗ってもらえる。当面は改良がメーンだ」

―大田区の支援は一区切りしました。区内の反応は。

「協力企業が減ったのは事実だが、残ってくれた企業も相当数ある。ソリ作りは続けられる。新規で参加したい企業、戻ってきたい企業、双方ともに大歓迎。必要に応じて声をかけたい」

―プロジェクトを進める上での課題は。

「ソリに帯同するメカニックの確保だ。どこで何が起きているのかをリアルタイムに知れる状況にしたい。英語が話せて技術があり、冬の間ボブスレーを担当できる人材を発掘できるとうれしい」

下町PJ委員長・黒坂浩太郎氏

下町PJ初代委員長・細貝淳一氏「世界大会で勝てるソリを」



―GMを降りたそうですね。

「今後は後方支援に徹する。下町ボブスレーに試乗してくれる選手探しや、アイデア提供をしていく。各国の選手にどんなソリかを知ってもらいたい」

―アイデア提供とは。

「今考えているのはインターネット上で寄付を募るクラウドファンディング。協力者の名前をソリに載せ、愛着をもってもらいたい」

―7年間、細貝氏が考える一番の成果は。

「協力企業が自分の会社を“PRする”というマインドをもってくれた。大田区の製造現場には『インタビューを受けるのも照れくさい』という人が多かった。下町ボブスレーを通じて慣れ、PRがうまくなった」

―今後、どんなソリを目指しますか。

「“ワールドカップで勝てるソリ”になってほしい。下町ボブスレーは目標が明確かつ実現できそうなモノがあるため参加しやすい。多くの人のお力を借り、たとえ小さな大会であっても、実績を残したい」

下町PJ初代委員長・細貝淳一氏

(文=門脇花梨)
日刊工業新聞2018年8月27日
日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
さまざまな困難に見舞われた下町PJだが、「決してあきらめない」という強い気持ちは健在。これまで以上に長い戦いが始まろうとしている。 (日刊工業新聞社南東京支局・門脇花梨)

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