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経営危機からオーダースーツ首位に、SADA復活の理由とは?

日刊工業新聞 連載「不撓不屈」より
経営危機からオーダースーツ首位に、SADA復活の理由とは?

おもてなしの心を小売りで具現化

オーダースーツの「佐田」の歴史は創立以来、波瀾万丈だ。戦後もバブル崩壊、百貨店そごう倒産、リーマン・ショック、そして東日本大震災と大打撃を受けてきたが、不死鳥の如く再生した。それを支えてきたのは現社長の佐田展隆の祖父、佐田茂司の残した「迷ったらいばらの道を行け」の言葉だ。

いばらの道を行け


展隆は“おじいちゃん子”。優しいが、戦争をくぐり抜けてきただけに厳しさもあわせ持つ茂司の膝に抱かれて育った。幾度となく、膝の上で「迷ったら、いばらの道を行け」と説かれたという。

一橋大学を出て東レに就職した展隆は、2003年に3代目社長の父、久仁雄から呼び戻された。その時、売上高の半分近くを占めていた取引先のそごうが倒産。マイカル、長崎屋も倒れ、経営危機に陥っていた。

「これほどとは」。経理を担当して驚いた。売上高22億円に対し、有利子負債が25億円。「雪だるま式に借金は膨らみ、給料も遅配の連続となった」。

やっと金融機関に85%債権放棄してもらい私的整理のめどをつけたが、会社からは追い出された。そこで入ったIT会社は外資に身売りされたため退社。次に入社したコンサルタント会社は東日本大震災で倒産した。

「俺は疫病神か」と悩む中、東日本大震災で大打撃を受けた「佐田」の経営者から一本の電話があった。「帰ってきて。金融機関もOKしている」。これには当惑した。夫人はもう苦労はしたくない、安定した生活が欲しいと大反対。「その時、脳裏に祖父の『いばらの道を行け』の言葉が駆け巡った」という。

いばらの道の歩みは結果をもたらした。12年に社長就任以来、無我夢中で経営立て直しに尽力した。17年7月期にはオーダースーツ業界ナンバーワンの直販店舗40を設置。12万8038着を売り、約半数は直販で達成。売上高も過去最高を記録した。

とんがり帽子の建屋は東日本大震災にも生き残った(宮城県大崎市の三本木工場)

製造直販に転換、低価格化


「お洒落(しゃれ)とはおもてなしの心だ」と説いたのは佐田(東京都千代田区)社長の佐田展隆の祖父、茂司。経営立て直しを図る展隆は自社のミッションに日本のビジネスパーソンのセルフイメージ向上、「おもてなし」の心の復権を入れた。できるだけ安価に、身体にジャストフィットするオーダースーツを製作・販売。一人でも多くの人が良いセルフイメージを構築し、ビジネスシーンを活性化していくための手助けしていくことを心に誓った。

とはいえ、社長として戻った当時、そごう倒産の傷が癒えぬ中で、東日本大震災により宮城県の工場が被災。2011年7月期の売上高は17億円に落ち込み、このうち直販は4億円強の状態。倒産の危機に瀕(ひん)していた。

卸売部門は、高齢化で廃業していく小規模テーラーの肩代わりをしたことで売上高がさほど落ち込まなかったが、先行き拡大は望みにくい。そこで製造卸業から製造小売業への転換を決断。直販比率拡大のため店舗数の増加を図るなど積極経営に乗り出した。

製造小売業への転換は、卸部門の売り上げ減少をカバーする守りの戦略だけでなく、軌道に乗せつつあった中国工場のコスト優位性を生かそうという攻めの戦略でもあった。

展隆の父、久仁雄が国内3工場のうち2工場を閉鎖。1991年に開設していた中国工場「北京佐田服装」を本格的にテコ入れした。宮城の工場の前工場長を送り込み、品質の確保・安定を図り、日系海外オーダースーツ工場でトップの年産10万着の体制を構築していった。

「本格オーダースーツを既製スーツ並みの価格で」。初回お試し価格1万9000円(消費税抜き)で提供できるのも、難しい素材や仕様の品は国内工場で、それ以外は中国工場が生産する分業体制のたまものである。提供価格は2万4000円(同)からで、低価格の実現でより多くのユーザーがオーダースーツでビジネスシーンを飾れるようにした。

神は細部に宿る。工場では細心の注意を払い、裁断や縫製を行う

営業を見直し


品質を確保し低価格にしたからといって、商品が売れるとは限らない。課題として浮かび上がったのが営業マンの体質。「かつては半分近い売り上げを、そごうをはじめとする大得意先に依存していた。大得意先に対するご用聞き営業が身に染みついていて、いくら中国製品の品質が確かでも得意先から『中国製は品質がね』といわれればすごすご帰ってきてしまった」(佐田)。いわば提案営業ができていなかった。

そこで、チャレンジ・スピリットとポジティブ・シンキングおよび執着心を求めた。佐田は「常に環境変化する以上、現状にしがみついていては時代に取り残される」と指摘。去って行く営業担当重役もいたが、「唯一生き残るのは変化できるものである」とするダーウィンの進化論を盾に、ご用聞き営業からの脱却、チャレンジを強く訴えた。

悲観的な考え方をしていると人の思考・行動のパフォーマンスは低下する。そこで「勇気を持って強い意志の力で楽観的な解釈ができるように自らを鍛えることを求めた」。それがポジティブ・シンキングだ。そして「執着心」を持って物事を行えと檄(げき)を飛ばす。

チャレンジ・スピリットやポジティブ・シンキング、執着心などは現在策定中の「SADAフィロソフィー」の「マインドの規範」として盛り込まれる。そして「神は細部に宿る」であり、「凡事徹底」だ。思考の改革に力を注ぎ、業績回復へと導いていった。(敬称略)
日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
大手既製服メーカーがオーダースーツ分野に進出、競争は激化の一途だが、創業100周年にあたる2023年度には店舗数を現在の46店から80店強に拡大し、売上高を50億円強に増やす方針だ。(石掛善久)

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