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昔テレビは丸かったー。ブラウン管ガラス製造装置など機械遺産に

今年度4件を選定
昔テレビは丸かったー。ブラウン管ガラス製造装置など機械遺産に

ブラウン管ガラス製造装置

 日本機械学会は機械技術の発展に寄与した製品や施設を認定する2018年度の「機械遺産」に、ブラウン管ガラス製造装置など4件を選んだ。機械遺産は合計94件になった。「機械の日」の8月7日に秋葉原UDX(東京都千代田区)で認定式を開く。

 日本工業大学の所蔵する歴史的工作機械群=日本工大の工業技術博物館は232台の工作機械を所蔵し、その多くが稼働する。海外の装置を輸入していた時代から、模倣機製造、技術提携を経て、日本の工作機械が発展した歴史を紹介する。例えば、かつては1台のモーターにベルトを介して複数の工作機をつないで駆動していた。展示を通して工場をシステムとして捉え、その変遷を理解できる。

日本工大所蔵の歴史的工作機械群

 エアレス塗装機=旭大隈産業(現旭サナック)は米国特許の実施権を獲得し、国産化を開始した。1959年に初号機を発売、62年にはほぼ国産化を完了させた。エアレス方式は塗料そのものに高圧をかけスプレーガンから噴射する。この普及によって塗装環境は劇的に変わった。現在は車両や造船、建築、道路舗装など幅広い場面で使われている。

エアレス塗装機

 ブラウン管ガラス製造装置=日本では1960年にテレビのカラー放送が始まった。ディスプレーにはブラウン管が使われ、画面となる前部と漏斗状の後部(ファンネル)を別々に成形して封着していた。日本電気硝子は68年にファンネルプレス機で生産開始。遠心鋳造からプレス成形に転換させ生産効率を飛躍させた。24インチ以上の大型テレビでは80年代末に世界市場を独占した。プレス成形技術は現在も耐熱容器などの製造に使われている。

 新聞博物館の活字鋳造機=1934年林栄社製の「万年自働活字鋳造機」で現存最古の機体。新聞は一度印刷すると再製版せず、活字は一度限りの使用になる。毎日膨大な種類と量の活字が必要とされたため、活字鋳造機は新聞社にとってなくてはならない装置だった。本機は毎分90本の速度で活字を鋳造した。82年まで使われ、幾多の新聞を読者に送り続けた。熊本日日新聞社の新聞博物館に展示されている。

新聞博物館の活字鋳造機
(2018年7月25日)
梶原洵子
梶原洵子 Kajiwara Junko 編集局第二産業部 記者
テレビを生産する機械の一つが遺産になるのは感慨深いです。

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