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パナソニックの家電部門は「普通の会社ではなかった」

伝統にメス入れ改革
パナソニックの家電部門は「普通の会社ではなかった」

かつて入社式で「普通の会社にしよう」と話した津賀社長(前列左から3人目、今年の入社式)

 パナソニックは車載機器などのBツーB(企業間)事業に成長の軸足を移している。しかし、家電事業の成長も諦めていない。家電を担う社内カンパニー「アプライアンス(AP)社」の2016年度売上高は2兆5396億円。前年度より実質6%増えた。約4%の営業利益率が課題だが、売上高は全社の約35%を占めており、会社を支える屋台骨だ。

 パナソニック専務執行役員でAP社社長の本間哲朗は、総合家電メーカーとして売上高は「世界で3番目」と胸を張る。競合は韓国のサムスン電子やLGエレクトロニクス、米ワールプール、スウェーデンのエレクトロラックス。稼ぎ頭は冷蔵庫や洗濯機、エアコンなどの白物で、花形事業だったデジタル家電は規模を縮小し、白物が中心のAP社に集約した。

 白物事業は社内での歴史が古く、経営危機の時も営業黒字を続けてきた。しかし、それ故に、社内の組織や力関係が固定化されやすかった。

 そこで本間が取り組んだのが「製販連結」だ。パナソニックは伝統的に販売部門の力が強く、それが家電事業の推進力になっていた。ただ、製造を担う事業部門と販売部門は独立し、交わることはなく、パナソニックの社長以外は一体的に統括できなかった。

 製造と販売が別々に事業戦略を立てる異常な状況が常態化し、新製品の企画、開発、販売を機敏に進められない体質に陥っていた。家電部門幹部は「普通の会社ではなかった」と振り返る。

 15年にAP社社長に就いた本間は、パナソニック社長の津賀一宏の承諾を得て、この体制にメスを入れた。15年以降、日本、中国、アジアの販売部門をAP社の傘下に組み入れ、製販を一体化。AP社として意思統一できる体制を作った。18年には欧州と米国の販売部門も本間の指揮下に入る。

 本間は改革の成果について「家電部門の仕事は私の下ですべて完結している」と語る。製品開発や販売促進で津賀に相談することはなくなり「事業の動きは速くなった」と自信を見せる。

 一方で創業者・松下幸之助というリーダーの下で成長した企業の“DNA”かもしれないが、裏を返せばボトムアップの技術革新が起きにくい風土もある。

 本間は「トップのリーダーシップとボトムアップの二つをうまく組み合わせたい」と考え、2016年から「ゲームチェンジャー・カタパルト」と呼ぶプロジェクトを始めた。発売に至らなかった製品などを、社外の事業者と連携し事業化しようという取り組みだ。

 すでにスマート冷蔵庫を使った弁当宅配サービスや、食べ物を飲み込めなくなる嚥下(えんげ)障がいがある人のために手軽に食材を柔らかくする装置など、複数のアイデアを事業化する道を探っている。

 また設計開発の領域では、若手デザイナーを東京の拠点に派遣し既存事業の枠を超えて自由に考えさせている。社外の事業者やデザイナーとオープンに話し合い、技術革新のきっかけを求める。

 変革を促すのは本間だけではない。本社技術部門は4月に「ビジネスイノベーション本部」を新設し、独SAP出身の馬場渉を副本部長に迎えた。馬場は各部門から約30人を集め“技術革新の量産化”を目指すプロジェクト「パナソニックβ(ベータ)」を米シリコンバレーで始動した。

 馬場はβに「過剰な品質調整を取り払い、不完全な物で多くのトライアルをする」との意味を込める。

 素早く製品を作って試行的に投入し、ユーザーの反応を取り入れて改良する。このサイクルを細かく繰り返す。まずは住宅向けにIoT(モノのインターネット)技術の事業化に狙いを絞り、部品などの試作を進めている。

 パナソニックがこだわる品質重視の製品開発とは全く違う試みから、変革をもたらす挑戦が始まっている。
(敬称略)
日刊工業新聞2017年11月29日/12月1日の記事を再編集
政年佐貴惠
政年佐貴惠 Masatoshi Sakie 名古屋支社編集部 記者
日本の電機メーカー(に限らないかもしれないが)の弱点を象徴するような内容。かねてマーケティングの弱さは指摘されてきたが、改革に着手したのが2015年というのは、やはり遅い。硬直化した組織ではこの先のグローバル競争は勝ち抜けない。ほとんどの日本メーカーが家電事業を縮小、もしくは撤退する中、最近になって会社が変わり始めたパナソニックがどこまで成長できるか。期待したいところ。

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