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高校を中退した少年が3Dプリンターのパイオニア企業を創るまで

コンセプト・レーザー、今ではGEアディティブの一翼を担う存在に
高校を中退した少年が3Dプリンターのパイオニア企業を創るまで

フランク・ヘルツォークと妻のケルスティン (写真:コンセプト・レーザー社)

 フランク・ヘルツォークが「金属」というものに心を奪われたのは、ドイツの歴史あるバイエルンの街、バンベルクの小学校に通っている頃。金属、つまりメタルに対する思い入れがあまりに強かったため、のちに彼はその道を究めるために高校を中退する。「この素材に心を奪われたのはまだ子供の頃だったよ」(フランク・ヘルツォーク)。

 それから30年以上が過ぎても光り輝く素材への情熱が色褪せることはなく、ヘルツォークは世界最大の産業用金属プリンターをはじめとする3Dプリンターのパイオニアメーカー、コンセプト・レーザー社を創業、そのCEOとなった。

 彼の装置は繊細なジュエリーや歯科インプラントといた小さなものから、トラックの大きなシリンダーブロックまでも造形することができる。

 昨年秋、米ゼネラル・エレクトリック(GE)はこの企業の過半数の株式を取得した。同社は現在、3Dプリンター、材料、技術的コンサルティングサービスを専門に提供するGEの新事業部門、GEアディティブの一翼を担っている。

経営センスは母方から、技術センスは父から


 45歳のヘルツォークは工学技術が集積した州で育った。バイエルン州の労働人口は機械エンジニアだけで17%を占めている。しかし、彼の家族は洋服を販売していた。祖父母はミュンヘンでブティックを経営していて、母親が後にそれを受け継いだ。

 当時、父親は小さな建設機械会社を営んでおり、自宅の設計・建築も手掛けたほど。「経営センスは母方から、技術センスは父から受け継いだんだと思う」(同)

 若かりし頃のヘルツォークの手はいつも油まみれ。14歳のとき小型バイクのエンジンを改造し、最高速度25kmのところを100km出せるようにした。「違法だったけど本当にワクワクしたよ。小型バイクをレース用バイクに改造しちゃったわけだからね!」(同)

 機械いじりに魅了された彼は高校を中退。その後3年間は工場見習いとして働き、ものづくりについて可能な限りを吸収した。「旋盤やフライス盤を使った穴あけ加工もこのときに覚えた」(同)とか。

 しかしこうした見習い作業は意欲と好奇心を増幅させるばかりだったので、彼は学業の道に戻って高校卒業資格を取得し、バンベルク近郊の小規模な技術専門大学、コーブルク大学に進んで機械工学を専攻した。

三角関係へと発展


エアバス社のコンセプト設計(写真:Airbus Operations社)

 コーブルク大学では、同じ工学部の女子生徒ケルスティン・ホフマンと出会い、金属に対する想いはすぐに三角関係へと発展。ふたりは付き合うようになった。

 バンベルク周辺で工場や施設を経営する家族や親戚を持つケルスティンは、週末はれんが職人として働いていた彼に、それをやめて父親のもとでアルバイトすることを勧めた。「でも、それだといかにも将来の義理の息子候補って気がしてね・・・(笑)」とヘルツォークは明かす。

 折衷案として、近くの町でケルスティンの伯父であったロバート・ホフマンが経営する試作品工場で働かせてもらうことにした。これが彼の人生を一変させる。

 時は1990年代半ば、工場内には樹脂を積層して立体モデルを造形し、紫外線で硬化するドイツ初の光造形装置のひとつもあった。

 「“これはスゴイ。金属を使って同じことができたら、ものすごくクールだよね”ってロバートに話したんだ」(同)。ロバート氏はこのアイデアを気に入り、ヘルツォークにどうすればよいかを説明してくれた。「そんなわけで、お決まりの鉛筆と紙を取り出して、試しにやってみるかということにしたんだ(笑)」(同)

 多くの3Dプリンターやその他のアディティブ・マニュファクチャリング(積層造形)装置は原料層を溶融することによって複雑な形状のパーツをコンピューター上のファイルから直接造形する。ヘルツォークは、光造形装置の紫外線をレーザー光線に変えれば金属部品を造形することができるはずだと確信していた。

外見は素晴らしかったが…


 彼はこのアイデアをコーブルク大学の卒論にまとめ、小型試作品も作った。大学で入手したレーザーを用いたこの試作品は表面被覆に用いるステンレス鋼粉末からサンプル造形するものだったが、出来栄えは思わしくなかった。造形した部品は外見は素晴らしかったものの、内側は多孔質で冷えると縮む傾向があったのだ。

 高密度部品の造形を幾度も試みた末のある晩、彼はケルスティンの同情を求め「なんとかここまできたけど、もうこれ以上は無理だ」と嘆いた。

 ところが彼女には解決策がありました。彼女は自身の修士論文のために最新式の固体レーザーを手に入れていた。低周波光線を継続放出するレーザーは、一様構造のステンレス鋼部品の造形にうってつけに思われた。

 彼はこのレーザーを借りて自分の3Dプリンターに搭載し、市販のソフトウェアとつないで動作をコントロールできるようした。卒論の期限が迫っていたため、この装置に並んで眠る夜もあった。

 「パーツの造形は何時間もかかったし、たとえ深夜2時半に装置が故障しても対応できるようスタンバイしておく必要もあった。それも、本当に故障するんですよ!」とヘルツォークは笑う。

 幾多の夜を経て、彼はとうとう縦・横1cm、厚さ10層の完璧な立方体の高密度金属を造形することに成功。「割って中を見て、成功したと分かった」(同)

 ふたりの愛から生まれた過酷な実験労働は報われたのだ。ヘルツォークは学位を取得しただけでなく、この装置の商用化に向けてケルスティンの父親と伯父から200万ユーロの投資を受けることに。問題は父親と伯父が他のプロジェクトにも資金を必要としていたので、2年以内に商用化に漕ぎつけなければならないことだった。

 ヘルツォークとケルスティンは2000年にコンセプト・レーザー社を法人化。ロバートの工場内の小さなスペース使って、初号機の組み立てを開始した。

2000年のユーロモールドに


 そして翌年、フランクフルトで開催された見本市、ユーロモールドにこの装置を出品し、溶融金属3Dレーザープリンターが上市さた。

 「この水路に冷却液を送り込むわけですが、壊れることもないし、鋳型を冷却するスピードが30%も向上した」とコンセプト・レーザー社のマーケティングディレクター、ダニエル・ハンドは話す。

 ところが、当時あまりにも斬新だったこのテクノロジー(ヘルツォークは初号機で5つの特許を取得)を見ても、潜在顧客たちは、どう活用すればよいのかがピンとこなかった。

 「僕らはすごく興奮していたし、とにかく世間知らずだった」と彼は振り返ります。それでも、ロバート、ケルスティンの父親、そしてドイツの高級自動車メーカー、ダイムラー社が1台ずつ購入してくれた。ダイムラー社は自動車部品の迅速な試作品製造にこれを活用した。

 当時すでに結婚していたヘルツォークとケルスティンは、かつてロバートの光造形装置のセールスを担当していたオリバー・エデルマンを雇い、マーケティングを手伝ってもらうことにした。

 コンセプト・レーザー社はバイエルンの小さな街、リヒテンフェルスで営業を開始し、大小さまざまなサイズに対応でき、ステンレス鋼はもちろん、チタンやアルミニウム、コバルト、ニッケル合金、その他の金属材料で造形できる新型機の開発に乗り出した。エデルマンは現在、GEアディティブのグローバルセールスを担当している。

 新型機はとても実用的なものとなった。例えば、ケルスティンの父親と伯父はプラスチック射出成形に用いる、スチール製鋳型の内部に配置する複雑な冷却水路を造形するのにこれを活用した。

 「この水路に冷却液を送り込むわけですが、壊れることもないし、鋳型を冷却するスピードが30%も向上した」(同)。この3Dプリントするという技法のおかげで、ユーザーは設計を改める度に新しい成形機を購入する必要もなく、鋳型製造の生産性を劇的に向上させた。

 会社が成長するにつれ、装置の販売台数も増加していった。2014年までに年間100台を売り上げるようになり、65の特許を取得、さらに120の特許を出願するようになった。

造形するだけでは意味がない


人工股関節を精密に造形(写真:フラウンホーファーIWU/コンセプト・レーザー社)

 翌年にはエアバス社とLaser Zentrum Nord社がコンセプト・レーザーの別のプリンターを活用して、エアバスの最新旅客機A350 XWB向けに「バイオニックな」翼の取り付け金具を設計・造形し、30%の軽量化を実現した。この快挙は、ヘルツォークと共にエアバス社で開発に携わっていた2名の仲間たちに2015年のドイツ連邦大統領賞をもたらした。

 今日、コンセプト・レーザーのMlabという機種は人工股関節や手術器具を精密に造形でき、超大型機のX LINE 2000Rは世界最大の金属3Dプリンターで、シリンダーブロックを丸ごと造形することもできる。

 2016年に同社が販売した3Dプリンターは150台を突破。世界で稼働するコンセプト・レーザー製プリンターは750台にのぼっており、GEアディティブの支援によって、この数はさらに伸びようという勢いだ。

 GEアディティブは企業がテクノロジーの限界を探究できるカスタマー・エクスペリエンスセンターを世界中に開設し始めていて、最新のセンターはミュンヘンにオープンする予定。

 ハンドは言う。「従来の設計を3Dプリントして造形するだけでは意味がない。いろんなものを作れますよ。私たちは、それをもっと軽量にしたり機能的にしたり、従来は溶接していた30個の部品をひとつの部品にしてしまう、といった方法で設計そのものを一新する支援をしていく」・

 ヘルツォークは「ひとたび使い始めたら、夢中になってしまいますよ!」と話す。
ヘルツォーク初作の手動3Dプリンター試作品(写真:コンセプト・レーザー社)
GE REPORTS JAPAN
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
ドイツの企業だからしょうがないが、出てくるプレーヤーがダイムラー、エアバス、そしてGE…。日本企業が出てこないのは寂しい。

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