「ニュースイッチ」3年目突入! 話題になった中小・ベンチャー10選
新日本工機
台湾の工作機械大手の友嘉実業集団(FFG)が同業中堅の新日本工機(大阪市中央区)を買収したことが5日、分かった。2014年に買収した池貝(茨城県行方市)を通じて、新日本工機のオーナー家などから新日本工機の全株を取得し、池貝の張春華会長が新日本工機社長に就任した。日本の工作機械中堅メーカーが台湾企業に買収されるのは異例。工作機械の市況は調整局面にある。台湾企業を中心に、世界で連携を模索する動きが出てきそうだ。
3日付で池貝の子会社が新日本工機株のすべてを保有したもよう。新日本工機は池貝のグループ会社となる。新日本工機のオーナー家の山口元造社長は退任し、社内に残らない。張新社長は中国上海電気出身。FFGは新日本工機が得意とする航空機部品などを加工する大型工作機械を取り込み、製品構成や販路を拡充する狙いがあるようだ。
新日本工機は2016年3月期に売上高197億円、当期損失46億円と経営難が続いていた。オーナー家が同じで大株主だった大和製缶(東京都千代田区)も15年3月期に867億円の赤字を計上したとみられる。両社の事業を継続させるには、売却することが適切だと判断したようだ。
新日本工機の従業員は継続雇用される。当面は生産拠点の統廃合もないというが、大阪市中央区の本社を堺市に移転する。
FFGは台湾で買収王と言われる朱志洋総裁が1979年に設立。独マーグなどの名門会社を含む積極的なM&A戦略で知られる。日本メーカーの買収では池貝を傘下に収めている。
【解説】台湾勢との合流も選択肢に
世界の工作機械業界は韓国、台湾勢が急速に力を付けている。汎用的な2軸旋盤や3軸マシニングセンター(MC)は日本や欧州勢と競争する水準だ。この背景は日本の熟練技術者の引き抜きや先進国の工作機械メーカーとの提携、買収戦略がある。
その急先鋒(せんぽう)が台湾の友嘉実業だ。積極的なM&A(合併・買収)戦略を展開し、約30ブランドを抱える企業グループを築いた。
今回の買収は新日本工機の経営難に端を発しており、日本の工作機械業界全体の現状を示しているわけではない。日本勢が得意としている高付加価値領域の工作機械は、欧州勢とともに依然として、世界市場で高い水準にある。
ただ、友嘉実業が台風の目となり、世界の企業をグループ化しているのも事実だ。日本メーカーでも海外展開や資金面に大きな課題があれば、合流は選択肢の一つだろう。今後は、同様の事例が増える可能性もある。
ファシリテーターコメント
「うちに言ってくれれば買ったのに」とは、日本のある工作機械大手首脳の言葉です。新日本工機は成長分野の航空機向けの工作機械に強い会社です。米国の航空機市場への参入は1980年代と古く、この世界では五指に入ります。経営難でしたが、工場を訪れれば従業員が元気にあいさつしてくれますし、2Sもいき届いているようにみえます。この会社の問題は経営そのものにあったのではないでしょうか。冒頭の首脳の言葉は本心でしょう。
台湾の友嘉実業集団は世界の工作機械メーカーをいわば買い漁っています。これほど多くの買収先のマネージメント、また本体の財務が気になるところです。このあたりが新日本工機を再生する焦点なるでしょう。取材を継続したいと思います。
(日刊工業新聞第一産業部・六笠友和)
日刊工業新聞2016年10月6日
マナボ
マナボの社長である三橋克仁が創業にかけたのは「学習を通じて自分が飛躍できるチャンスを、いろんな人に与えたい」という思い。貧困だった三橋自身の境遇が強い影響を与えていた。
マナボは中高生らが解けない問題をオンラインで質問し、家庭教師らが解答する仕組みのスマートフォン向けアプリケーション(応用ソフト)「マナボ」を提供している。自宅で問題を解く途中で不明点が出てきたらスマホで投稿。同ソフトと提携する学習塾の先生数人が通話やチャット、画像共有など複数機能を使いオンラインで解き方を教える。2012年4月にサービスを始めた。
貧困から脱却
三橋は東京大学工学部から、同大大学院工学研究科に歩みを進めた。一見するとエリートコースだが、中学校は「偏差値が低く、ヤンキー(不良少年)が通うような学校だった」。三橋の父は画家を目指していたものの、絵が売れず家庭は貧しかった。
三橋は小学生の時から宇宙飛行士に憧れ、東大工学部への進学を目指していたが、進学校に入れる環境でなかった。
どうしても学びたい―。思いをかなえる転機は中学校の校長との出会いだった。野球部の代表と生徒会役員を兼務していた三橋は何かと校長にかわいがられていた。そこで思いを話して、父の絵の購入を打診すると、校長は快諾。100万円を手に予備校へ通い始めた。学べる喜びから成績は常に上位。難関校コースを新設した他校から声がかかり移籍もした。この時、「出自は関係ない。努力と情熱があれば人は成長できる」と実感した。
東大では宇宙飛行士サークルと投資サークルを掛け持ち。過去の事例を解析して最適な売買時機を探るパソコンシステムの開発に取り組んだ。「当時はホリエモンブームで憧れた面があった」。
一時は1年で100万円近くを手にしたがリーマン・ショックで資金はゼロに。「まじめに勉強しよう」と一念発起し、大学院へ進んだ。
数式認識エンジン
起業への夢を持ち続けていた三橋。自身の強みを生かしたビジネスと考えついたのがITを使った教育システム、つまりマナボの開発だった。大学院で手で書いた数式をシステムに認識させる技術を研究していた時、その技術で先端を行くフランス企業の副社長が来日すると知り、突撃訪問。エンジンを使った教育支援システムを提案した三橋を副社長が気に入り、提携契約のため法人化した。
とはいうものの「当時は、本当にうまくいくのか迷いがあった」と明かす。三橋はコンサルティングファームからインターンの声がかかっていたため、ファームに勤務後、経営学修士号を取得して起業する人生設計をしていた。その時、中学生時代からの自身の境遇に思いが至った。「楽な方を選んだら挑戦はできない」。退路を断った。
12年のリリースから2年間は中小学習塾向けにマナボを販売。先生や生徒から人気だったがいまひとつ伸びなかった。学習用品にお金を出す親世代からの信頼を「当社の知名度の低さなどで得られにくかった」からだ。転機は14年。かねて面識のあったベネッセコーポレーションと提携し「リアルタイム家庭教師」サービスを始めたことで形勢が一気に変わった。
現在は2017年後半の株式上場を企図。生徒100万人の利用、先生10万人の登録を見込んでいる。活動を通じて目指すのが「マナボブランドの信頼性を確立し、教育分野を代表するウェブサービスになり、環境・境遇に関係なく学べる社会を作ること」。三橋の思いが着実に形となりつつある。(敬称略)
(文=山田諒)
日刊工業新聞2015年05月18日