日米で創業したバイオベンチャー2社は上場、京大理事が考えるキャリア形成で大切なこと
研究者から起業家に転じて、商品化した緑内障治療薬「レスキュラ点眼液」と過敏性腸症候群治療薬「アミティーザ」で、最終価格の売上高は約1兆円に。日米で創業したバイオベンチャーは2社とも株式上場を果たした。京都大学の久能祐子理事は、そんな最高レベルのイノベーションを体現した。日米の社会的起業家などの支援活動を手がける久能理事に、自身と若い世代のキャリア構築について聞いた。

―創薬ベンチャーで研究を実用化するという山の高さは、並大抵でありません。
「当時の新技術開発事業団(現科学技術振興機構)で、発明家で医師の上野隆司氏と出会い、中枢神経系のプロスタグランジン関連の創薬を考えた。認知症治療薬を狙っていたら難しかっただろう。自分たちが強い部分、他がやっていないことを考え、『緑内障ならデータも資金も集められる』と判断した。製薬会社を退職する臨床試験担当者の大ベテランの合流も大きかった」
「物事を進めるには“適切な案件、時期、場所”が必要だ。私の30代に1回目の“緑内障、バブル期の1980年代、日本”がはまり、2回目はバブル崩壊で米国に拠点を移したときだ。資金調達のため販売権を売るなど辛い決断もあったが、結果として予想以上の市場になった」
―責任ある立場に若くしてなる怖さは、どう乗り越えますか。
「仮説を確かめる小さな実験の結果から『進むのか、止めるのか、方向転換か』を選ぶだけだ。直感的に決めることもあるが、先が見えない時は霧が晴れるのを待つ」
「ローリスクで小さな成功を得るか、ハイリスクで大きな成功に眺むのか。それはプライベートを含めて『今、可能な状況なのか』『自分はやりたいのか』で決められる。あおられたり、焦ったりして選ぶものではない。間違えたら方向転換、時期尚早なら寝かせておく。チャンスは7年に一度程度でまた、やって来る」
―理系、女性の起業家としての可能性をどう見ますか。
「真理はある、私には見える、データでそれを示す―と信念を持てるのが理系の強みだ。マイノリティーでも英会話が苦手でも、数字で説得できる。基本はだれも考えていないことをすることだ」

―財団を立ち上げ、起業家などの寄宿舎を運営しています。
「高価格の医薬品は対象が先進国に限られ、途上国には手が届かない。社会起業家らの支援を米国で始めたのはそのためだ。8人の枠に約500人の応募がくる。1人でアイデアを生み出す安全な場所として個室を用意し、他の7人や投資家、助言者らと刺激し合っている」
「日本版で19年に立ち上げた企業『フェニクシー』は大企業社員など日本の埋もれた人材が主な対象だ。企業内起業のべったり指導から切り離し、家族とも距離を置き『自分しかいない』と心を決める場だ」
―京大生と接しての感想はいかがですか。
「京大は『教えない、自分で考えて決めさせる』自由の学風が伝統だ。直感が鈍るから、過去の成功も失敗も刷り込まない。キャリアは1人に一つ、比べるのは他人ではなく去年の自分だ。学生には『どうしたらいいでしょうという質問はなし』と返している」
―「重視するのは好きなことより得意なこと」と口にします。
「好きなことは流行や他人の影響を受けやすい。それより意識せずしてほめられる才能を自ら見つけ、努力すると能力は最大化される。一方でそれが難しい環境の人もいる、単なる機会平等ですむ社会でないことも理解する必要がある」
「キャリアや人生に正解を求めすぎてはいけない。重要なのは自分と対話する自由を持つことだ」
*取材はオンラインで実施
【記者の目/経済的成功、社会貢献の力に】 エリートの成功話は後進、特に女性に「私には無理」と思わせる。対して久能理事は博士研究員でスタート、大企業・研究機関の保護なしで「山は高くてもスモールステップ」と歩んできた。経済的な成功を社会貢献の力に変え、多くの人に憧れと希望を与えている。(編集委員・山本佳世子)
