ニュースイッチ

AD

いよいよ常磐線全線運転再開!いくつ知ってる?5つのマメ知識を紹介

いよいよ常磐線全線運転再開!いくつ知ってる?5つのマメ知識を紹介

国鉄時代の電車特急『ひたち』

3月14日に全線運転再開する常磐線。知っていても大して役に立たないけど、ちょっとトクした気分になるマメ知識5選をお届けします。

1)「本線」ではない路線で最長

都心から常磐線経由で仙台へ直通する

常磐線は東京・上野駅と仙台駅を結ぶ路線と思われがち。しかし正しくは東京都側の起点が上野駅から2つめの日暮里駅(荒川区)、宮城県側の終点が仙台駅から6つめの岩沼駅(宮城県岩沼市)。上野-日暮里間と岩沼-仙台間は東北本線という扱いだ。
 日暮里-岩沼間だけでも距離は343.7km。これは上越新幹線(333.9km)や九州新幹線(288.9km)より長い。にもかかわらず常磐線は「本線」ではない。全国を見渡せば、北海道の留萌本線(50.1km)や九州の筑豊本線(66.1km)など短い「本線」はいくつもある。
 JRは路線を「幹線」と「地方交通線」に分類している。常磐線は特急列車が頻繁に行き交う幹線のひとつ。そして非・本線としては日本で最も長い路線なのだ。

2)東京側の起点は田端?

常磐線の新旧(国土地理院画像に加筆)

1896年(明29)、半官半民の日本鉄道会社が、現在の常磐線を最初に東京につなげた時の始発は田端駅(北区)だった。
 当時のこの路線の最も重要な役割は、常磐炭鉱で産出した石炭を首都圏に供給すること。しかし、この時代は東京駅どころか上野駅と新橋駅の間は線路がつながっていなかった。そこですでに開業していた山手線に田端で接続し、池袋-新宿を経由して品川や横浜まで貨物列車を走らせた。常磐線の未成区間は順次開業し、1898年(明31)に田端-岩沼間が全線開業した。
 常磐線の列車が上野に直通するようになったのは1905年(明38)に三河島-日暮里間が開業してからである。その後も三河島と田端を結ぶ線路は残り、現在も貨物専用線として使用している。

3)地磁気を乱さぬ交流電化

地磁気観測所と直流電化禁止区域

電車を走らせる時、都市部など運行本数の多い区間は直流電化で、地方路線は交流電化が多い。例えば東北本線では北関東の最北部の黒磯駅(栃木県那須塩原市、東京駅から163.3km)までが直流、そこから北は交流となる。
 ところが常磐線では、東京駅からわずか43.2kmの取手駅(茨城県取手市)までが直流。その北側、取手の次の藤代駅の手前からが交流だ。これには理由がある。
 気象庁は地球の磁気を観測している。明治時代に東京の鉄道電化がはじまり、磁気への影響が無視できなくなった。そこで1912年(大1)に観測拠点を茨城県石岡市に移転し、地磁気観測所を置いた。観測所から半径30km以内の鉄道は、地磁気に影響を与えにくい交流電化を義務づけている。このため常磐線や水戸線(茨城県友部-栃木県小山)、JR以外ではつくばエクスプレスの守谷駅(茨城県守谷市)以北が交流となっている。
 直流と交流の切替には「デッドセクション」という電気を流さない区間がある。かつては架線のつなぎめに竹をはさんで絶縁材にした。通過時には車内照明が一瞬、消えた。今の列車はバッテリーによって照明はついたままなので、乗客が分からないままにデッドセクションを通過する。

4)『ひたち』と『いわき』

新旧の特急『ひたち』手前から651系、E657系、旧国鉄色のE653系(提 供:JR東日本 水戸支社)

日本の旧国名で、茨城県は「常陸(ひたち)国」。福島県から宮城県にかけての海岸に近い部分が「磐城(いわき)国」だ。両国名から1文字ずつとって「常磐」という地域名が生まれた。「磐城国」が設置されたのは1869年(明1)なので、実はさほど古い名前ではない。にもかかわらず「常磐地方」という呼び名が定着したのは、福島県と茨城県の海岸部に広がる炭鉱の重要性が多くの人に認識されていたからだろう。
 常磐線の優等列車として、よく知られるのは『ひたち』と『ときわ』。『ときわ』は「常磐」を訓読み風に読んだものだ。2つの愛称は現在も特急として運行している。
 しかし、かつて『いわき』という急行が常磐線を走っていたことは、あまり知られていない。『いわき』の運行は主に1980年代で、常磐線から磐越東線に入るルートを走った。その頃なら『ひたち』と『いわき』が常磐線ですれ違う様子が見られたろう。

5)半年だけ活躍した幻の駅

電機機関車が牽引する『エキスポライナー』

国家的イベントの観客輸送は鉄道の使命のひとつ。1985年(昭60)に筑波研究学園都市(現・つくば市)で開いた国際科学技術博覧会(つくば万博)では常磐線が大活躍した。この時、牛久駅(茨城県牛久市)-荒川沖駅(同土浦市)の間に設置した臨時駅が『万博中央駅』。上野から臨時快速『エキスポライナー』を多数設定し、電車だけでは輸送力が足りないため機関車の牽引する客車も動員した。観客は『万博中央駅』から2両連接バス「スーパーシャトル」で会場まで往復した。
 過去に日本で開催した万博は5回ある。このうち鉄道の臨時駅を設置したのは1970年(昭45)の日本万国博覧会(大阪万博)とつくば万博だけ。旧国鉄・JRでは常磐線が唯一の例だ。『万博中央駅』は会期終了後に取り壊されたが、1998年(平10)、同じ場所に『ひたち野うしく駅』が開業し、近隣住民に親しまれている。

常磐線に関するニュースはこちら https://www.nikkan.co.jp/jm/zyouban-line?=ns
ニュースイッチオリジナル

編集部のおすすめ