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機械工具で物流革命を!気鋭の経営者が語り合う「日本流amazon」

【対談】トラスコ中山・中山哲也社長×ラプラス・井上有喜社長
機械工具で物流革命を!気鋭の経営者が語り合う「日本流amazon」

(写真左から)トラスコ中山の中山哲也社長、ラプラスの井上有喜社長

 幕末の動乱期に現在の仙台市で官軍のご用聞きとして事業を興したラプラス。創業から150余年の間に4度の業態転換を経て、日本のモノづくりを支える東日本有数の機械工具商社として地域に根付く。世界政治は保護主義の色彩が強まり、産業界では電気自動車(EV)、シェアリングエコノミー、IoT(モノのインターネット)など生活を一変する新潮流がある。社会の変化は大きく、かつてなく早い。日本のモノづくりはいかに対応すべきか。ラプラス第6代社長の井上有喜氏が3回にわたり、著名な経営者を訪ねて答えを探す。第1回は井上氏が最も尊敬する1人。機械工具卸売業界で物流革命を起こすトラスコ中山の社長、中山哲也氏だ。

「トラスココンビニ」構想


井上 今回の対談で一番最初にお会いしたいと思ったのが中山社長でした。弊社ラプラスがトラスコから商品を仕入れる、お取り引き先でもあります。はじめてお目にかかったのは、1990年代半ばに中山社長が企画した米国視察です。

中山 米国視察は超円高が進んだころでした。みんな慌てて東南アジアへ勉強に行きましたが、むしろ産業空洞化先進国の米国に学ぶべきだと考え、企画しました。計4回、550人くらいの参加でした。視察を通じ、空洞化した先進国でどう生きるべきかが見えてきました。

井上 あの時、業界にこんな面白い人がいるのかと驚き、刺激を受けていました。

中山 井上社長は着眼点がざん新ですね。「トラスココンビニ」をやらないかとスケッチを持参されたことがありました。

井上 きっかけは東日本大震災でした。仙台にあるトラスコの物流拠点に、被災地で役立つ物資がたくさんあるのに、それを売れないもどかしさがありました。病院横の調剤薬局のように、必要な人に必要な物を「トラスココンビニ」ですぐ渡せたら、少しでも被災地に貢献できると思いました。

中山 仙台にある物流拠点「プラネット東北」は震災1年前の完成で、地震でほとんどの商品が棚から落ちて出荷不能となり、求める方々にすぐに供給できなかった。いざという時に社会に役立たない会社はだめだと気付きました。それを教訓に震災後設計した物流センターはすべて免震構造です。当然、この対談会場もです。

井上 本日は昨年10月稼働の、最新物流センター「プラネット埼玉」にお邪魔しています。

中山 ここは延べ床面積が約4万3000平方メートルです。昨年12月時点の在庫数は33万アイテム。2023年には52万アイテムに増やすつもりです。最新鋭の物流機器を揃え、今年秋には高密度収納システム「オートストア」、自走型搬送ロボット「バトラー」も導入します。

トラスコ中山 中山哲也社長


代理店の付加価値がなくなる?


井上 こうした巨大施設を設置した狙いは何ですか。

中山 一つは在庫拡充と高密度収納・高効率出荷を実現するため、もう一つがインターネット通販に対応するためです。当社は卸売りなので、最終顧客への直接配送は急ぎの案件だけに線引きしてきました。ところが、ネット通販市場の拡大で「トラスコが最終顧客に直接届けて欲しい」という直送依頼が通販会社様から増えています。納品リードタイム短縮と他の物流施設がパンク状態にあることが理由でしょう。今後、ネット通販の直送比率が高まると、当社の卸売り先である既存代理店様も追随せざるをえないのではないかと仮説を立てています。

井上 トラスコから最終顧客への直送が当たり前になれば、我々、代理店の付加価値がありません。手離れのいい小さい商品の販売で1割前後の利益をもらうビジネスは続かない、との危機感があります。十数年住んだ中国ではスマートフォンで何でも手に入りました。上海ならコンビニの商品も薬もクリックから20分で届きます。

中山 消費者がそうした時間軸で欲しいものを手に入れる生活を経験したら、現在の我々のスピードでは満足しないでしょうね。

井上 そうです。でも我々代理店に、そうした仕組みを作ったり投資したりするまでの力がない。エンジニアリングが不要な生産財や手を加える必要のない商品以外では、代理店は稼げなくなるのではないでしょうか。
 
 日本の生産財は日本のユーザーの声で熟成されてきました。その声がネット化で届きにくくなる。匿名のフェイクの声では生産財を作り、熟成することはできないはずです。地域に密着した代理店だからこそ、ユーザーの真の声を引き出せると思います。人間力とITを使うことで情報を商材にできれば、生き残れるかもしれません。

ラプラス 井上有喜社長


ターニングポイントこそ発展の源


井上 ラプラスは150年の間に業態を4回変えていますが、全てきっかけは戦争です。福島・二本松藩で水車により粉をひいて販売していましたが、戊辰戦争で仙台に移って官軍のご用聞きを始めた。日清・日露戦争では第2師団のご用商人をし、後に金庫や時計を売った。第二次世界大戦が勃発すると、祖父・喜三郎が国家号令で生産財の販売を始めました。自分の時代には、と思っていましたが、米中の覇権争いが始まってしまった。生産財を日本のモノづくりのために販売するのは変えませんが、売り方、売るモノ、売り先を若干見直さなければいけないかもしれません。

中山 私はターニングポイントがあるからこそ企業は発展すると思っています。当社では手形取引の全廃がそれです。自身が社長就任時、この会社は日本の製造業のために存在するべきだと気付き、人や社会のお役に立つという志を持てたことが最大のターニングポイントの原点でした。さらに本質を見極められたのも大きい。父が創業した当社に入った当時、ある社員が「交際費の額が少ないと同業他社に勝てないのでは」と言ったことがありましたが、私は交際費の多寡ではなく、お客さまに商品を早く届けることが本質では、と考えました。当社は業界最後発なので歴史や人の数では対抗できません。ならば早さで勝負しようと。「物流を制するものは商流を制する」と宣言し、今につながります。

井上 トラスコを参考に、同業他社に先駆けたネット通販も当社のターニングポイントです。売り上げこそ多くはありませんが、「アマゾン」での生産財の登録商品数はトップクラスだと自負しています。

中山 そうしたターニングポイントを経て今年、創業151年目ですか。

井上 室町時代から一族の血をつないでくれた二本松藩と、150年にわたり事業を継続させてくれた故郷の仙台に感謝しています。大きな迷惑をかけることなく続けてきた先人に感謝と誇り。今後も確実に事業を継承、継続していかなくてはならないとプレッシャーもありますが。

中山 当社は今年が創業60周年です。モノづくりが今後どう変化していくのかは、正直分からない。EV化が進めば切削工具の需要はある程度落ちるかもしれない。ただ、現在取り組んでいる在庫商品、取扱商品の拡大により、そうした時代でもリカバリーできるでしょう。物流や情報システムを一番重要な基礎体力として整えておけば、生き残れると思っています。

井上 焦土と化した日本、資源の少ない日本が世界中から尊敬される経済大国になれたのは、製造業が最大の功労者です。今後、日本のモノづくりがどう変わろうとも、研究開発と試作はあくまでも日本で行うことで、メイドバイジャパニーズは生き続けると信じます。当社も社会に必要とされる機能を持つ企業となり、私が100歳の年に心身ともに健康でいて200周年を迎えられるよう励みたいです。中山社長、本日はありがとうございました。

中山 ありがとうございました。

(写真左から)ラプラス 井上有喜社長、トラスコ中山 中山哲也社長

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