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自動運転時代にあった常識をどう作り上げていくべきか

市民参画で次世代の育成を
 人工知能(AI)の社会的影響は文理融合で検討が進んできた。技術系と社会系の研究者の間には溝があるものの、対話を続けることで健全な方向に進みつつある。社会的影響の議論は、まだまだ専門家の中で成熟させる段階だ。ただ専門家同士の議論は「議論のための議論」と批判されやすい。議論の輪に市民を巻き込む工夫が必要だ。AIへの関心が高いうちに場を提供し、社会人の学び直しやリテラシー向上につなげる必要がある。

 内閣府の大臣懇談会では報告書を一般に読んでもらえるよう工夫した。報告書では倫理や法、経済、教育などの視点でAIの社会的影響を分析。サービスや製造などの分野ごとにリスクやベネフィットを整理した。内閣府の布施田英生参事官は「内容は多岐にわたるが、要約は中高生にも理解できる」と胸を張る。授業でディベートの材料に使う高校もあるほどだ。社会のリテラシーを高めることはAIを正しく評価できるユーザーを増やすことにつながる。

 俯瞰(ふかん)的な議論に対して、自動運転や知的財産などは具体的な議論に入っている。内閣府の戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)では自動運転時代の法曹を育てようと市民対話を重ねている。

 自動運転は事故が起きれば、運転プログラムについて説明が求められるためだ。技術の普及や進化で交通事故が減っている間は、社会は新技術を歓迎する。現在は「自動運転が普及すれば間違いなく事故が減る」と断言する専門家は少なくなく、自動運転推進の旗振り役になっている。

 ただ自動運転が普及した後に事故件数が下げ止まると自動運転への風当たりは強くなる。事故は防げて当然と扱われ、それでも防げない事故は誰の責任かと議論が起こると想定されている。ITSジャパンの佐藤昌之法務主査は「企業は訴訟は必ず起きるものと考え、準備した方がいい」と指摘する。

 メーカーやドライバー、歩行者など、事故責任の所在は、その時代の常識に左右される。自動運転時代の法律家には技術と法の両方がわかる人材が必要だ。社会で新しい交通マナーを醸成したり、裁判で判例を積み上げたりと専門家と市民、双方からの取り組みが必要だ。

 そこでSIPでは対話イベントを開き、現在の技術の限界や法的課題について学生と専門家で議論を重ねている。過剰な期待を防ぎつつ、議論しながら将来像を紡ぐ試みだ。

 学生からは「自動運転中の事故について企業に責任を取ってもらえないなら自動運転は要らない」や「科学や法にのっとって制度を整えても、感情レベルで納得できなければ意味がない」など素直な意見が出ている。

 常識は正しい、正しくないといった基準で判別できない。時間をかけて醸成していくものだ。判例主義を掲げても、感情に訴えられて判決が左右されることも、企業が都合の悪い判例を残さないように和解に持ち込むこともある。

 新技術の社会受容性を広げるには技術を正しく発信し、健全な議論を続けることが重要だ。これは人づくりと重なる。SIPの対話イベントを企画したジャーナリストの清水和夫氏は「若い世代が自ら考え主導して、自動運転時代にあった規範や常識を作っていってほしい」と期待する。
              

日刊工業新聞2017年5月17日
小寺貴之
小寺貴之 Kodera Takayuki 編集局科学技術部 記者
技術の進歩はいつか必ず停滞したり飽和したりします。サチったときに社会が技術を過信していると反動が大きくなります。自動運転では、事故低減などの効果が見えやすい間はいいのですが、いつしかそれが当たり前になり、事故を防げないのはなぜかと疑問を持ち、自動運転機能が普及した後で、防げなかった責任をシステムに求めるようになると企業は保たないと思います。死亡事故には契約や判例を覆す力があります。自動車メーカーにとって自動運転は甘いだけのリンゴなのか、将来毒リンゴに変わるのかわかりません。そもそも技術がサチることを前提に事業を考えるとと進歩もなくなってしまいます。ただサチる前提で社会を変えていく、次世代を育てていく取り組みを、誰かが続けといた方が良いと思います。

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