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なぜ神社仏閣は広告を出すのか

うちの氏神様知りませんか?
なぜ神社仏閣は広告を出すのか

マナーをもって楽しみたい初詣

 氏神様に年末年始は参拝しましょう―。氏神様が分からない場合はとりあえず近くの神社に言って尋ねるのがベストだと、神社本庁の方は言った。

 しかし分からないことが分かっていて、尋ねる所まで到着した場合はいい。実際は到着することなく、「多分ここ」「周りの人がそう言っていたから」など曖昧な形で認識していく場合が大半ではないだろうか。
 
 神社側も時として、そういう誤解を求めている場合がある―というと語弊があるが、単純に「多くの人に参拝してほしい」という思いを抱いている。
 
 年末年始は神社仏閣が広告を提出しているケースを多く見る。参拝時間やセールスポイント、おすすめのお札やお守り。行ってみようかという気にさせる華やかな内容だ。
 
 ただ中には、その地域の氏神様ではないにも関わらず、氏神様であるかのような表現を組んでいる所があるから面白い。これはその神社が悪徳であるとかそういうことではなく、ただの広告戦略だ。

 例えば神社の名称は変えられないので、併設している結婚式場に氏神ではないエリアの商業地エリアの名前を付ける。小網町の「ニュースイッチ神社」の結婚式場が、証券会社が集まる兜町の顧客を狙って「兜町ニュースイッチ神社ブライダルサロン」を併設するイメージだ。

 あわせて兜町に駅看板も出せば、多くの人は「兜町の氏神様なんだな」と自然に誤解をしていく。(兜町にも小網町にも駅はないが)

 そんな馬鹿な、と思う方もいるだろうが、実際東京都内のわりと大きな神社はこれをやっている。
 
 とは言えこのような広告戦略を実施しているのはもちろん神社だけではない。日本橋にある「日本橋○○(古めかしい男性の名前)」という和菓子屋は、実は京菓子屋で8、9年ほど前に日本橋に参入したが、江戸時代から日本橋に続く和菓子舗「榮太樓總本鋪」などと似たようなイメージであたかも長く続いているイメージで売り出している。

 店内には日本橋の歴史などが掲載。一見すると「日本橋の老舗」というイメージを抱くように構成されている。どちらも嘘を言っているわけではなく、ただ表現を変えているだけだ。
 
 神社であれば気持ちが一番大切で、和菓子屋であれば美味しければそれが一番だ。ただ氏神様だと思って参拝していたら悲しいので、気になる方は曖昧なままではなく、氏神様を一度確認してみるのもまた新年の在り方、という2017年。あけましておめでとうございます。
(文=大庭雅生)
日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
広告云々とは関係なく、個人的に感動したことがあるのは東京大神宮(伊勢神宮の遥拝殿。東京都千代田区富士見)。手水舎では手拭きのペーパーを差し出してくれ、3が日には赤福のふるまいやプチ絵馬。夕暮れに並べばお寒いでしょうとホッカイロ。「黙っていても誰も来てくれないので、工夫して、皆さんに少しでも喜んでもらえれば」と穏やかに話す宮司さんが印象的でした。

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