トヨタが悩んだ時に訪ねたのは「ロードスター」開発者だった

スポーツ車「ハチロク」が若者に支持されるまで

 若者のクルマ離れが叫ばれて久しい。少子高齢化が進む国内の自動車市場では、それをなんとか食い止めたいところ。だが「スマホ世代」を振り向かせるのは容易ではない。そんな中、トヨタ自動車のスポーツ車「86(ハチロク)」は20代にも多く売れているという。どんなマーケティングをしてきたのか。

 トヨタは大量に売れるクルマを優先した結果、一時期スポーツ車が商品群から姿を消した。「それが若い人のクルマ離れにつながる要因にもなった」(嵯峨宏英専務役員)と反省する。

 2000年に発売した小型車「bB」など若者対策には以前から取り組んではいた。しかし、どれも「一時は支持を得られるが長続きしなかった」と86の開発責任者、多田哲哉チーフエンジニア(CE)は振り返る。

 行き着いたのが「クルマ好きの王道」(多田CE)であるスポーツ車だった。07年に開発を始めた。トヨタとしては久方ぶりのスポーツ車開発で、多田CEが助言を乞いたい先輩が社内にはいなくなっていた。困った多田CEが訪ねたのがマツダの貴島孝雄氏。スポーツ車「ロードスター」の2、3代目の開発責任者だ。

 「スポーツ車で一番してはいけないのは景気の波でつくったりやめたりすること。それがもっともファンを裏切る行為だ」。貴島氏の言葉はトヨタにとって耳が痛いものだったが、多田CEはしっかりと胸に刻んだ。「絶対にスポーツ車をやめない。このクルマを大事にしているとファンに伝え続ける」。

 86は12年に発売。当初、購入層の中心は40―50代。若いころにスポーツ車が欲しかったが買えなかった人たちだった。だが、そこから購買年齢層はどんどん下へ広がっていく。86の訴求の仕方は通常のクルマとはまったく異なるものだった。
「20代に一番多く売れる月もある」(多田氏)


 テレビCMは一切打たなかった。販売店には86専門スタッフが常駐するコーナー「エリア86」を設置し、試乗車を必ず置いた。すると買う気はないが、とりあえず乗ってみようという顧客が多数来店。試乗待ちが3時間という店舗もあったという。そうした話題が参加交流型サイト(SNS)を通じて拡散。普段、トヨタの販売店に足を向けないような若者が押し寄せた。

 さらにトヨタは86ファン交流ウェブサイト「86ソサエティー」を開設し、86オーナーが集まるイベント「86S(ハチロックス)」を企画。86Sは「すごい広がりでびっくり」と多田CEも驚く盛況ぶり。取り組みは実を結び若者のファンは拡大。最近では「20代に一番多く売れる月もある」(多田CE)ほどになった。

 8月にマイナーチェンジした「後期86」では満を持してテレビCMを開始した。「86をもう少し広めるため、CMが有効なタイミングにきた」(同)と、さらなるファン拡大に意欲を燃やす。
(文=名古屋・伊藤研二)

日刊工業新聞2016年12月30日

明 豊

明 豊
12月31日
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86は発売した2012年から14年の3年間「ニュルブルクリンク24時間耐久レース」に参戦したのは、エンジニア的にもマーケティング的にも効果があったのではないか。

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遠藤 諒
遠藤 諒
01月16日
30年以上も前に初代86に乗っていました。当時の若者はスポーツカーに羨望のまなざしを持っていましたね。どのメーカーにも素晴らしいスポーツカーがあって、わくわくできた時代でした。当時の86は、GTグレードで130万円、GT-APEXで約150万円。ドライバーの意思で意のままにコントロールできる楽しい車で、イメージは常にアクセル全開でした。(おまわりさんごめんなさい)。今の車は、車が人間のドライブをアシストするための制御装置などが価格を上げている要因でもあると思います。社会環境も当時とは大きく異なりますが、せめてスポーツカーはドライバーがコントロールするものとして、車が乗り手を選んで当たり前と考えられないでしょうか。もっと若い人が手にとどく価格にできないものでしょうか。
  

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