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東大卒のスーパーエリートが大手コンサルの内定を蹴って起業した理由

マナボ代表・三橋克仁「子どものころ家庭は貧しかった。学習を通じて飛躍できるチャンスをいろんな人に与えたい」
 マナボの社長である三橋克仁が創業にかけたのは「学習を通じて自分が飛躍できるチャンスを、いろんな人に与えたい」という思い。貧困だった三橋自身の境遇が強い影響を与えていた。

 マナボは中高生らが解けない問題をオンラインで質問し、家庭教師らが解答する仕組みのスマートフォン向けアプリケーション(応用ソフト)「マナボ」を提供している。自宅で問題を解く途中で不明点が出てきたらスマホで投稿。同ソフトと提携する学習塾の先生数人が通話やチャット、画像共有など複数機能を使いオンラインで解き方を教える。2012年4月にサービスを始めた。

 【貧困から脱却】
 三橋は東京大学工学部から、同大大学院工学研究科に歩みを進めた。一見するとエリートコースだが、中学校は「偏差値が低く、ヤンキー(不良少年)が通うような学校だった」。三橋の父は画家を目指していたものの、絵が売れず家庭は貧しかった。

 三橋は小学生の時から宇宙飛行士に憧れ、東大工学部への進学を目指していたが、進学校に入れる環境でなかった。

 どうしても学びたい―。思いをかなえる転機は中学校の校長との出会いだった。野球部の代表と生徒会役員を兼務していた三橋は何かと校長にかわいがられていた。そこで思いを話して、父の絵の購入を打診すると、校長は快諾。100万円を手に予備校へ通い始めた。学べる喜びから成績は常に上位。難関校コースを新設した他校から声がかかり移籍もした。この時、「出自は関係ない。努力と情熱があれば人は成長できる」と実感した。

 東大では宇宙飛行士サークルと投資サークルを掛け持ち。過去の事例を解析して最適な売買時機を探るパソコンシステムの開発に取り組んだ。「当時はホリエモンブームで憧れた面があった」。
 一時は1年で100万円近くを手にしたがリーマン・ショックで資金はゼロに。「まじめに勉強しよう」と一念発起し、大学院へ進んだ。

 【数式認識エンジン】
 起業への夢を持ち続けていた三橋。自身の強みを生かしたビジネスと考えついたのがITを使った教育システム、つまりマナボの開発だった。大学院で手で書いた数式をシステムに認識させる技術を研究していた時、その技術で先端を行くフランス企業の副社長が来日すると知り、突撃訪問。エンジンを使った教育支援システムを提案した三橋を副社長が気に入り、提携契約のため法人化した。

 とはいうものの「当時は、本当にうまくいくのか迷いがあった」と明かす。三橋はコンサルティングファームからインターンの声がかかっていたため、ファームに勤務後、経営学修士号を取得して起業する人生設計をしていた。その時、中学生時代からの自身の境遇に思いが至った。「楽な方を選んだら挑戦はできない」。退路を断った。

 12年のリリースから2年間は中小学習塾向けにマナボを販売。先生や生徒から人気だったがいまひとつ伸びなかった。学習用品にお金を出す親世代からの信頼を「当社の知名度の低さなどで得られにくかった」からだ。転機は14年。かねて面識のあったベネッセコーポレーションと提携し「リアルタイム家庭教師」サービスを始めたことで形勢が一気に変わった。

 【目指すは株式上場】
 現在は2017年後半の株式上場を企図。生徒100万人の利用、先生10万人の登録を見込んでいる。活動を通じて目指すのが「マナボブランドの信頼性を確立し、教育分野を代表するウェブサービスになり、環境・境遇に関係なく学べる社会を作ること」。三橋の思いが着実に形となりつつある。(敬称略)
 (文=山田諒)

 
日刊工業新聞2015年05月18日 中小・ベンチャー・中小政策面
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
三橋さんに最初にお会いしたのは3年前のビジコン。すでに起業もしていてプレゼン力は抜群、見ていて当然の優勝だった。でも話すとエリート臭などまったく感じさせない。去年も話す機会があったが、起業家としてさらにパワーアップしていた。あえて自分から困難に立ち向かうタイプのように思う。この分野は米国が大きく先行するが、日本もベンチャーが増えている。スタートアップは自分の思いと事業のスケールが一致しなくてジレンマを抱え込むのが普通。それを突破するためにも、良きマネジメントチームを作って欲しい。

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