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LINE上場、「我々の歴史は挑戦の連続」(出澤社長)

世界のブランドへ。「日本人のプライドは馬鹿らしい」(LINE前社長)
LINE上場、「我々の歴史は挑戦の連続」(出澤社長)

打鐘する出澤剛 社長 (LINE提供)

 LINEは15日、東京証券取引所第一部に上場した。初値は売り出し価格(3300円)を大幅に上回り4900円。初値を基に算出した時価総額は1兆円を超えた。終値は4345円だった。上場により調達した約1300億円は海外展開の強化などに充てる。

 米国ニューヨーク証券取引所にも14日(現地時間)に上場した。初日の終値は売り出し価格を約27%上回る41・58(約4370円)ドルだった。

 同社は無料でメッセージをやりとりできるアプリケーション「LINE」が人気で、利用者はアジアを中心に約2億2000万人に上る。日本のほかに利用率の高い台湾やタイ、インドネシアを主要市場に位置づけ事業展開する。上場で得た資金は主要市場の成長に向けたサービスの拡充などに使う。ニューヨーク市場への上場によって世界でブランド力を高めていく。

 同社の出澤剛社長は15日に都内で会見を開き、「我々の歴史は挑戦の連続で、今日は次の挑戦のスタートと考えている。世界を見据えて『LINE』がより良いサービスになるように尽力したい」と力を込めた。そのうえで「対話アプリは人工知能(AI)やボットと親和性が高く、我々が踏み込んでいかなくてはいけない領域」と話し、技術開発への投資を積極化する姿勢も示した。

森川前社長が一番悩んだライブドア買収


2015年06月22日「ニュースイッチ」記事を再編集



 ―いつごろLINEの社長を辞めると決めたんですか。
 「2013年の終わりですね。退任を発表したのが2014年12月なので、ちょうど1年前ですね」

 ―退任にはいろいろ要因があったと思いますが、内部要因と外部要因の割合みたいなものは。
「割合というか、このまま行くと、タイミングがなくなるので。もう社長を長くやっていたし、いいタイミングで辞めようと思っていたんですよ。ただ、業績が悪くてもダメだし、上場したらなかなか辞められない。そう考えると、総合的にあのタイミングが良かったんですよね」

 ―ということは、一区切り付けて辞めようと考えたのはもっと前ということなんですね。
 「そうです。ゲーム事業が成長したけど、ライブドアと一緒になって、なかなか辞められなかったんですよ。『検索』事業は上手くいっていなかったですし。2011年に(スタンプコミュニケーションアプリの)LINEをリリースして、いい流れになって大丈夫そうになったのが大きなきっかけです」

 「辞めたいとか辞めたくないではなく、もう10年近く社長でいると、僕の色が強すぎて次の人も困るでしょ。ゲーム事業も分社化したし、いろいろな意味でタイミングも良かったと思うんです。多分ここで辞めなかったら上場するまでやったいただろうし、そうなると3年は辞められなくなる。ITの会社で50代の社長はどうかと思っていたんですよね。正直」

 ―LINEの社長時代で一番悩んだ局面はなんですか。
 「いろいろありますけどね。例えば、検索の事業でグーグルと闘っていてもなかなか厳しかったですし、そんな中で、ライブドアを60億円程度で買収しました。それで本当にうまくいくのか?というのはありました。そこが一番きつかったですよね」

 「ゲーム事業で利益は出していましたけど、あまりに投資が大きかったので。そこから何かを生まなければいけないと考え悩んでましたよ。結局、2回も検索から撤退する形になって、ライブドアの人たちと頑張っていこう!って一緒になったのに。それで売却してしまったらその人たちにも迷惑が掛かってしまいますから。そういう部分は責任を感じちゃいますよね」

 ―逆に一番、達成感があったのはなんですか。
 「そうですね。最初はやっぱりゲーム事業が急成長したことですかね。僕がハンゲームジャパン(現LINE)に入った時は年間の売り上げが2億、翌年が確か25億くらいになったんです。10倍じゃないですか。規模は小さいですけど、1年でそれくらい伸ばす中で、サービスとか社内の雰囲気がずいぶん変わったな、というのは感じましたよ。僕は創業メンバーじゃないので、余計に達成感がありましたね」

 ―ゲーム事業は収益変動が大きいですよね。アプローチはどういう風に考えていたんですか。
 「ゲームの事業といっても、プラットフォームの事業だったので、まあ、当たらないものもあれば当たるものもある、だからそれほどリスクはなかったですね。当時のディー・エヌ・エーやグリーも同じような事業形態でしたから」

シンプルに考えるシフトチェンジ


 ―今回、LINE時代の経営ノウハウが詰まった本「シンプルに考える」を出版されました。初著作ですが、とても分かりやすい一方で、とても本質的でユニークなことが書かれています。「計画はもたない」、「ルールはいらない」、「差別化は考えない」、「イノベーションは目指さない」などなど。いくつかの項目がある中で一番伝えたかった部分は。
 「必要ないものは載せない、ということで書いたので、どれも意味があります。ただ、全体的にセットでやらなきゃいけないということですね。『ここだけ抜き取ってやります』だと、社内も混乱しますから。実践して行く上で最も難しいのは、やっぱり全部セットで進めていくことなんです」

 ―森川さん1人がそう思っていても、なかなかできないじゃないですか。それをどういう形で社内にプロセスを共有したんですか。
 「ちょっと会社が複雑だったので特殊かもしれません。もともとNHN Japanがあって、そこにネイバージャパンやライブドアが入ってきた。たぶん最初から一つの会社だとセットで変革していくことは難しかったと思うんです。別々の会社だったからシフトチェンジがやりやすかったという面はあります」

 ―結構ダイナミックに人が入れ替わったのも良かったんですね。
 「そうですね。今までやってきたことを変えるときには、ある程度、多くの人が辞めることを覚悟してやらないといけない。同じ人のままで変えるのは難しいです。気持ちを変えるのには時間がかかる。結局、成功した人を変えるのは難しいんですよ。ネイバージャパンやライブドアも事業が上手くいってなかったので、社員の人たちもそういう意味で変化することに抵抗がなかったと思います」

価値観の違う中で経営と向き合う


 ―本に書かれていることはLINEの社長になってから、言葉としてまた行動として整理できるようになったんですか。
 「そうですね。社長になる前と社長になった後でずいぶん変わりましたね。どの会社も多分そうだと思うんですけど、ナンバー2や3の人は、事業をうまくやれば会社を経営できると思いがちなんですけど、いざ社長になると事業はほんの一部で、『経営』とはどういうことなのか、ということとしっかり向き合わないといけない。そこからすごく学びがある」

 「大学や経営塾などとはまったく違います。親会社は海外の企業で、外国人は価値観がまったく違いますし、そういうところも一つひとつクリアしていきました」

 ―森川さんをみてると、思考も行動も非常に柔軟だな、と感じます。そこが強みなのでは。
「変なこだわりはないですからね。確かに柔軟性とスピード感はありますね。スキルはきっとそんなに高くないと思いますが」

 ―もともとの性格みたいなものもあるんですか。
 「前職(LINE時代)で変わりましたね。経歴でいうと、日本テレビ時代があって、ソニーに入った時に、随分と苦労したんです。それでもプライドがあったので上司ともぶつかっていました。そしてハンゲームジャパンに入ってみて、韓国や中国の人たちが変化しないと生き残っていけない、という危機感をもってやっているのを目の当たりにしました。でも日本人は全体的に変えることにぐずぐず言っている。比較して、日本人のプライドは馬鹿らしいと思ったんです。その時に変わりましたね」
日刊工業新聞電子版2016年7月15日
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
森川さんがLINEを辞めた直後のインタビューを再編集。出澤さんを始めライブドア人材が成長に貢献してきたの確かだが、森川さんのいう「ちょっと会社が複雑だったので特殊かもしれません」という発言と、そこから導き出された「シンプルに考える」はとてもコントラストがあって興味深い。森川さんも上場はいろいろな思いもあって感慨深いだろう。今年発表した新しいミッション「Closing the distance」をどう各国で「カルチャライズ」していくか。壁は相当に高い。

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